一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

リピート

2018-02-02 00:10:37 | プライベート
先月から始まった、日本テレビ木曜の深夜ドラマ「リピート~運命を変える10か月~」がおもしろい(今夜は第4話)。
過去を遡ってきたという謎の男(六角精児)が、任意で選んだ男女8人(貫地谷しほり、本郷奏多、ガレッジセール・ゴリなど)に、「10ヶ月前」にタイムスリップさせるという。その際、現在までの記憶も持って帰れるというのだがここが肝心で、仮に10ヶ月間の記憶が一切合切消されてしまったら、過去とまったく同じ行動を取ってしまい、意味がない。
戻る、戻らないは本人の自由意思だが、結局8人とも、10ヶ月前に戻る。そして各自、その10ヶ月間に起こした「やり直したい出来事」を、やり直していく。
しかしそれが叶っても、必ずしもうまくいかないのが人生である。各自の運命の歯車が微妙に狂いだし、却って不幸な結果になったりもして、みんなに「こんなはずではない」という焦りが広がってゆく。
このあたりを将棋に譬えれば、中盤で悪手を指し終盤で敗勢になったのを中盤まで巻き戻し、そこで最善手を指したのに、その手も意外に良くなかった、ということになろうか。
この筋の運びは、2014年にフジテレビで放送された「素敵な選TAXI」とよく似ている。
もっともこちらは、過去に戻る時間をおカネで買い、しかもそれが高額なので、戻れる時間はせいぜい数時間だった。それでもいろいろドラマがあった。

私はつねに過去を振り返って後悔する性格で、最近は、私が20代のころ旅先で知り合った女性(このブログでは初出)に、交際を申し込むのだった…と後悔しはじめた。
彼女―夏子さんとは東京で一度再会したことがあるのだが、彼女も私ことを好いてくれたようだし、私が強引に押せば、夏子さんと結婚まで行ったのでは…などと妄想して、ひとり憔悴する毎日なのである。
もし私が六角精児に招かれ25年前に戻れて、夏子さんと結婚したらどうなっていたか。子供も生まれ、私の自堕落な生活は改善されたに違いない。相当幸せになっていたと思う。
しかしその後の将棋熱は復活しなかったと思われる。よってLPSA駒込サロンにも行かなかったろうし、現在の棋友との交流もなかった。植山悦行七段や大野八一雄七段とも懇意にならなかったと思う。もちろんこのブログも存在していない。
だがそんなものは構わないのだ、私が幸せになれるならば。
問題は弟の存在だ。こんなことをブログで書いていいのかどうか分からぬが、弟にはかつて、彼女がいた。いろいろあって弟は彼女と別れ、数年後に別の女性と結婚するのだが、もし私が結婚していたら、弟は最初の彼女と結婚していた可能性が高い。
そもそも弟が結婚を見送ったのは、いい歳をしていつまで経っても結婚しない私に倣ったところがあるからだ。
だが弟がその女性と結婚すると、現在の弟の娘と息子、つまり私の姪と甥がこの世から消えてしまう。これはひじょうにマズイ。
私の一度目の人生の記憶は残っているから、将棋熱が高まれば寸暇を割いてLPSA駒込サロンに行っただろうし、棋士や棋友と親しくなることもできる。ブログだって、勝手に開設すればいい。
しかし姪と甥との楽しい記憶はどう処理したらいいのだろう。これを背負って一生生きていくのはイヤだ。
結論として、私に彼らの誕生を阻むことはできない。
とはいえ、弟が最初の彼女と結婚しようとしているのに、お前は別の女性と結婚する、そして2人の子供に恵まれる、とも言えない。
いや違う。弟は、結局今の奥さんと結婚するのだ、きっと。弟らの運命は、変わらなかったことにしよう。
だがまだ問題がある。一度目の私の人生、すなわち今の世界では、夏子さんがかなり高い確率で、結婚しているはずだ。その旦那の運命は、どうなってしまうのだろう。彼は誰とも結婚せず、独り者でいるのだろうか。これは百万が一の仮の話だが、私の奥さんが郁子さんになっても、優子さんになっても、範子さんになっても、真知子さんになっても、同じことがいえる。
こう考えると、私が人生をやり直して幸せになっても、そのぶん他の人を不幸にする気がするのである。

「素敵な選TAXI」はバカリズムの脚本だったこともありハッピーエンドだったが、「リピート」は先が読めない。人生をやり直しても、それほどいいことはないよ、という教誨は含まれると思う。
私も、ここまでの人生はたいそう退屈だったが、選択は最善だった、と考えるよりないのだろうか。
いやぁ、キツイなあ…。
コメント
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