八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

百歳のばあちゃん

2014年10月26日 19時28分51秒 | Weblog
八月十一日に、満百歳のお祝いをして、もう、三か月が過ぎる。お祝いをしたのが、今年一番の、思い出になる。画像は、介護をするようになった、六年間の、時々のことを書き留めていたのを、まとめて、百歳の記念の冊子を作った。その、冊子を見ていた時を、カシャッとした。六年前に、大腸の腫瘍を摘出手術をした。その後、脳梗塞になり、認知症になってしまつた。今、百歳の峠を下り始めた。最近のひとり言は、「お金」のこと。「なぁ-んにも、ねぇぐなったぁ」と、しゃべっている。戦争前、戦争中、特に戦争後は、お金に苦労をしたようだ。その頃は、日本国中、普通の人々は、だれもが、そうだったと思う。当時の、戦争末期は、ひとつ月の生活費は、80円。家族四人で、暮らしていたと、言っていた。それも、戦争が終わって、インフレになり、お金の価値がなくなり、蓄えもなくなり、嫁入りに持ってきた着物を売って、お金に換えて、食べ物を買っていたと、話しをしていた。「なぁ―んにも、ねぇぐなったぁ」は、ばあちゃんが苦労をしたことが、頭の中に、焼きついているのかも。
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終着駅ちかくの車内

2014年10月26日 19時03分05秒 | Weblog
一週間前、中学校卒業時の、同期会に、出席した。その帰りの、ス-パ―ひたちの車内。上野を、17時発車をした。発車までは、通路を急いでいる人の、ざわつき。前の席に座っている人の小声の話声。到着駅と、その時刻の案内放送。発車をして間もなく、車内は、走行音だけになり、うたたねをはじめた。一時間も過ぎて、到着駅の案内放送で、目をさました。乗車したころは、まだ、西の空に、太陽が沈む前で、明るかった。到着駅の案内放送が、停車駅ごとにあり、車窓の、真っ暗闇を、ぼんやりと見ていた。同級生との、一年ぶりの再会を楽しみにしていた。その帰りに、「行はよいよい、帰りはこわい」、なんて思い出していた。
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