生き生き箕面通信

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生き生き箕面通信336 ・「神風特攻隊、太平洋上に散る」と発表

2009-10-28 06:13:49 | 日記
おはようございます。昨夕、プラタナスの葉がわずかな風に散っていました。
生き生き箕面通信336(091028)をお届けします。

・「神風特攻隊、太平洋上に散る」と発表
 65年前の今日、当時の日本の海軍が、特攻隊の初出撃を発表しました。爆弾を抱えた戦闘機ごと、アメリカの艦船に体当たりして自爆する狂気の”作戦”でした。

 実は特攻隊の初出撃は、フィリピンのマバラカット基地から10月25日に飛び立ち、帰らぬ人となりました。敗戦の前年、昭和19年の7月にサイパン島が玉砕し、この時点で日本の敗戦は決定的になりました。闘う艦船もなければ、戦闘機もない、砲弾も不足のなかで、フィリピンにはマッカーサーの艦船が圧倒的な数で上陸しようと押し寄せていたのです。

 日本本国の海軍軍令部は、ひそかに特攻隊という「してはならない作戦」(作戦と名付けるも恥ずかしい猿知恵)を打ち出し、しかも後ろめたいために「下からほうはいとして沸き起こった作戦」と発表。当時の新聞は朝日も、毎日も、もちろん読売もみんな「空の英雄」と大本営発表を書きたてたのでした。

 特攻隊創設の発案者は、海軍の源田実・航空参謀。この人は戦後も生き残り、自衛隊の航空幕僚長、参院議員、空将として、国防の”重鎮”に位置づけられました。その流れが、田母神俊夫・前航空幕僚長です。いまも特攻隊の精神は自衛隊のDNAとして連綿と受け継がれているのです。

 昨日は、海上自衛隊の護衛艦「くらま」が関門海峡で、韓国籍のコンテナ船と衝突し、船首部分が無残に大破しました。あの狭い関門海峡の通過には小さな船でさえ緊張するのですから、でかい図体の護衛艦なら細心の注意で航行しているのでしょうが、それでも衝突してしまう。

 こうした状況の後に出てくるのは、決まって過激な発想です。危機感が過激な発想を現実にします。特攻隊を生み出したのも、背景にはこのままでは日本が危ないという危機感でした。

 一見、平和な日本。しかし、こういうときこそ「正気の安全保障」を考える必要を感じます。鳩山政権は、沖縄にアメリカ軍の基地は「いらない」という政策は出せないようです。いつまでもアメリカ軍に駐留していただくという選択の上で「少しだけ減らしていただく」という政策です。ぼくは、いまが根本的に考え直すチャンスだと思うのですが。




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