「病気は不幸」「健康なら幸せ」
このように考えている人は多かれ少なかれいると思います。
実際私もそうでした。
かつて、重度のアトピー性皮膚炎があり肌のかゆみやスキンケアトラブルに悩まされ
疲れが出ると熱の吹き出し、ヘルペスが顔に出るといった弱さがありかつて「健康は悩みの種」でした。
しかし、アトピー性皮膚炎やヘルペスも、「医療だけでは何ともならない」ものです。
生活習慣が原因であり、生活習慣を作り出す、本人の考え方や価値観も問題だからです。
また、体質的な部分も影響しています。
体質ですら、本人の価値観から生まれるものですから、一種の個性のようなものでしょう。
それらの部分を克服することなく、全て薬剤だけで何とかしようとするのが現代医学なのです。
それは無理なはなしだと思いませんか?
さらに言えば、人それぞれ違うから社会が成り立つのです。
個性があり、刺激があるため人生が面白い。
それを政府が「国民は健康であるために努力する必要がある」と健康ファシズムを押し付けるような
「健康増進法」を策定しました。
形だけの企業に義務付けられている「定期健康診断」などもその最たるものでしょう。
生きるとは?つまり「死に向かっていくこと」です。
日本人の死生観は「死んだら終わり。だから苦しまずに死ねればいい。あの世はあるのかどうか知らないけど、孤独死は嫌だ」
その程度です。
だから人生に目標がない。
「死ぬことが分からない、死ぬのは不幸だ」くらいしか考えていないため
「死に繋がっていくような病気や障害」に対して遠ざけたり、必要以上に恐れたりします。
生命現象と止まれば人間は終わりという科学しか知らないため、こういった現世利益だけを追い求める国民性が作り出されます。
「健康であることが幸せだ」「幸せのお手伝いをするのが現代医療だ」
というなら、「不老不死の方法を知らない医学」は生まれてきたら必ず死ぬ人間に無力な存在だと考えられます。
実際無力なのです。
しかし「痛みを取る」という技術にたけた医学を現代人はもてはやします。
手品のような解剖学を駆使した外科手術によって「神の手を持つ医師」などともてはやします。
麻酔の技術、つまり薬学の進歩と解剖生理学の発展による恩恵です。
これらは腑分けと言われ、かつてえたがやっており、ユダヤ人の仕事でした。
第8回 精神障害者差別はユダヤ人が作り出した可能性大(上)
その仕事に「価値がある」と思わせているのです。
その延長線上が現代医学なだけです。
医療従事者は「人の不幸で飯を食べさせてもらっている卑しい仕事だ」
という自覚を常に持つ必要があると思います。
そしてそのような不幸な人が減っていくように取り組みのが医療従事者の仕事であり
「新規顧客獲得」のために医療を発展させることによって、どんどん新しい病気づくりをしている
製薬マーケティングや、それにのせられている医者を見ると情けなくなることがあります。
国民皆保険制度を悪用し、どんどん医療費に税金を投入しぼったくる。
製薬会社がぼったくり、その上澄みを医師や看護師がかすめ取っていく構造。
知らずに健康保険料を払い続ける国民。
国家ぐるみの健康不安ビジネスによって国民はぼったくられ放題です。
コロナ騒ぎによって明らかになりました。
「コロナにかかると他人に迷惑がかかる」
嘘馬ばかりです。
「病気になる事は迷惑をかけることでしょうか?」
「病気をうつすことは他人に迷惑をかけることでしょうか?」
「死ぬことは他人に迷惑をかけることでしょうか?」
違います。
病気も死も人間の力では防ぎようがありません。
罪悪感を植え付けるように、政府や製薬企業がプロパガンダしているだけなのです。