精神科医療は思想警察なのか?

児童思春期病棟→精神科急性期病棟→精神科救急病棟→精神科訪問看護ST→PSW→特定保健指導員→看護教員。

自殺した人は一体どこへいくのでしょうか?2

2019年12月01日 | 子育て論

人生で悩み苦しむことで、そこから「楽になりたい」という気持ち、「逃げ出したい」という気持ちから、人間は「自殺」「自死」という道を選択します。

自殺、死ぬという行為を行うと、「肉体を持った人生」は一旦終わります。

それと同時に、次の人生が始まるのです。

「死」とは蝶がさなぎから脱皮して飛び立つのと似ています。

(死について、本質をさらに詳しく知りたい方はこちらをどうぞ)

 RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。

私たちは最高の人生を生きる事で、さなぎが健康に成長し、成人することで、綺麗な蝶となって羽ばたくことができます。

終末期医療に関わってきたエリザベスキュブラーロス医師も、「死とはあの世への出発点であり、蝶がさなぎから脱皮して飛び立つようなものだ」と表現しています。

(エリザベスキュブラーロス医師)

看護学生はEキュブラーロス医師について、死の受容の過程を学ぶだけで、本質的な部分については教えて貰えません。

(だから何?と学生は思っている、喪失の5段階、著書『死ぬ瞬間』を読んでいないからでしょう。)

つまり「死んだらどうなるのか?」という話をすると、「科学的な話ができない」ため、どうしても「宗教を理解していないと教える事ができないから」なのです。

日本の教育では「宗教を教える事がタブー」となっています。

さらに、スマホや電子レンジやwifiなどは使っているくせに、

いざ「目に見えない世界』の話をすると、「妄想」だとか「非科学的だ」と精神病扱いされる始末です。

 

ですから、肝心な「死んだらどうなるのか?」ということを教える事ができません。

教える側も宗教を知らない、信仰を持っていないため、教える事ができないのではないでしょうか?

 

ですから、結果として「安楽・気持ちいい」といった肉体的な「現世利益」しか患者にすることができないのです。

つまり、日本の看護師は「人生、死んだら終わり。死んだら負け」という教育を受けているのです。

「その人らしい最期を迎えることができるように援助する」と言いますが、その人が「本当は世界一周したかった」「若い女性と肉体関係を持ちたかった」「毎日贅沢して暮らしたかった」「もっと自分のために生きれば良かった」「人生これで良かったのか?」など希望や苦悩を話すはずです。

しかし、人生が「この世だけで終わり」だとしたら、今までの苦労や努力は一体何のためだったのか?と絶望してしまうのが関の山ではないでしょうか?

ましてや、抗がん剤のような毒を体に流し込まれて絶えず痛みが続いたり、筋肉が衰えて動く事もままならないとなると、

「人生は、最期、こんな痛くてみじめな想いをして死んでいくのか?」「赤ん坊のように、世話されて死んでいくのか?」

「あれほど、人脈や人付き合いを大切にしてきたはずなのに、最期は孤独に終わっていくのか?」

となるわけです。

そして実際に秦の始皇帝も、「死」が受容できず、自分の墓に、兵士やお金や財宝を生き埋めにしたと言われています。

 

これほど、死への議論がなされていないのが日本の看護教育なのです。

 

私たちの人生は100年と設計してあります。

そして、世の中は、『その100年の間に何をすべきなのか?』を知らずに生きている人ばかりです。

ですから、一言で表現すると、さなぎが成長しないまま、「死」を迎えるのです。

つまり、自分の飼っているさなぎが、実は蝶として羽ばたく事ができることを知らず、飼育しているのです。

「芋虫は芋虫で終わっていくのだな」

と信じ込みながら、芋虫を育てているのです。

蝶として脱皮して羽ばたく人生があることを知らないまま生きているのでしょう。

 

人生の道半ばで自殺をしてしまった人は一体どうなるのでしょうか?

その人は、神様から与えられた「さなぎを育てる期間」を放棄したことになります。

つまり、さなぎに十分な栄養が行き届く前に、みずからさなぎを潰して殺してしまったのです。

ですから、さなぎは、蝶に成長することなく、さなぎのままでいる状態です。

 

脳の状態はさなぎのままですから、肉体がなくなっても、生きている時と同じような状況が続くのです。

死んだ時と同じような状況が永遠に続くと表現しても良いでしょう。

 

「シックス・センス」予告編

 

この映画は不慮の事故などによる「死後の世界」を上手く表現しているかもしれません。

(残念ながら、さなぎから蝶に脱皮して羽ばたく「天国」についての描写はありません詳しく知りたい方はこちら↓)

RAPT有料記事280(2018年5月28日)毎日持続して霊的な恵みに満たされて生きられる人こそ、その霊魂がより高い次元の天国に引き上げられた人だ。

 

自殺した人の死後の世界はこの映画シックスセンスの世界のようなものだと思います。

つまり、一時的に自殺によって肉体の時間は終わりを迎えるだけで、意識が戻ると死ぬ前と同じような生活が再開する。

その世界は、「肉体があるうちに、同じように自殺した人や不慮の事故で死んだ人たちとの生活がまっている」のです。

それはなぜか?

自分に与えられた「霊魂を育てていないため」、同じような次元の霊魂の人たちとしか生活レベルが合わないからです。

霊魂と聞くと、日本人はすぐに「怖いおばけ、不気味な霊」をイメージするかもしれません。

しかし霊魂とは、一人一人の人間が持っている個性の源のような電磁波を表します。

詳しくはこちら↓

 RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。

 

その人その人が持つ、電磁波の強さによって、肉体がなくなってからの行き先が変わります。

その電磁波の強さを輝かせる事が人生の目的となるわけですが、日本人の多くは、そういった霊魂(個人個人の備える固有の電磁波)の

存在を知りません。

ですから、そのまま死を迎えると、「生きていた時と同じような生活が続くこと」も知らないのです。

ですから、現世利益に走って、どこか虚しさを感じていても解決方法がわからないのではないでしょうか?

 

逆に、私たちが時折、訳もなく「不安になったり、虚無感に襲われる」のは、この霊魂(電磁波)の飢え渇きから来ているのです。

これが「霊的な苦しみ」と言われるものです。

 

残念ながら、現代日本では、物質的欲望や快楽を充足するものや情報が溢れている状況ですから、「霊魂を満たそう」「元気にさせよう」という発想には至りません。

ですから、目の前の欲望に溺れていくことで、霊魂も汚れていき、光を失っていくのです。

そして、それが極地に至ると、人生を破壊的に生きたり、絶望してしまうのです。

 

私たちは100年という人生で、その後の人生を選別されてしまうのです。

 

なぜ金持ちは死を恐れるのでしょうか?

それは、「あの世にお金や権力や恋人を持って行けないから、それらのもので楽しむことができない」と死を前にして気付くからです。

 

「死んだら、皆、仏様になる」わけではありません。

「死んだら、天使になる」わけでもありません。

どうして、生前の生き方や努力も評価されず、みんながみんな天国に入れるのでしょうか?

もし悪人も善人もごちゃ混ぜな場所が天国だとしたら、そこは、生きている世界と何ら変わりない世界となってしまいます。

金や権力、肩書といった物質的な欲望を追い求め、欲望まみれ、欲望を満たすためだけに生きてきた人が死ねば、

死後の世界は欲望を満たす物質がない世界に行くことになるため、そこは何も楽しみがなく、地獄かもしれません。

 

さしずめ、自殺した人の行く世界は

「透明人間状態」

の世界なのかもしれませんね。

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