精神科医療は思想警察なのか?

児童思春期病棟→精神科急性期病棟→精神科救急病棟→精神科訪問看護ST→PSW→特定保健指導員→看護教員。

精神科病院における暴力を科学する。なぜ精神病院には知的障害者も入院してくるのか?

2019年12月21日 | 精神科看護

精神科で勤務したことがある人や、重症慢性期病棟に実習に行ったことがある方は知っていると思いますが、何故か精神科の閉鎖病棟には、一定数の「知的障害者」が入院しています。

 

そして、精神科のイメージである、壁をけったり、ドアをたたくといった行為を行っているのは、例にもれず、いわゆる精神疾患と診断されていない、「知的障害者」が行っています。

今回はその理由について根拠を示して行きたいと思います。

 

1、療育手帳を持っているから

2、親が入院を望んでいるから

おまけ EPSばかり出るため、結局、知的障害者の衝動性は精神薬では抑えられない、

 

まずは、「精神科病院は牧畜業」でしたね?

精神科は何も、必ずしも、心が病んだ人が治療のために行く場所ではありません。

中には、騙されて、世間のイメージから、安易に精神科を受診して薬漬けになり、抗精神病薬の副作用で日々苦しんでいる人もいます。

何せ、「多くのうつ病の人は入院する前の方がましだった」と臨床経験からそう思わざるを得ないからです。

 

また、現在、精神科だけでなく、「医療が逃げ道」となっている風潮があります。

「医師の診断書があれば、病休となる」

「嫌いな食べ物があっても、医師のアレルギーの診断書がれば、学校は許してくれる」

このような、「医療が社会の問題を全て解決できるんだよ!」と言わんばかりの医療万能化、メディカリゼーションが社会の風潮となっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(内海聡Facebook)

あらためて、どうしてみな医療や医学に頼るのだろうか?
私も昔はその罠に陥っていたわけであり、さらにいえば薬の害を多くの人に伝えても、それでも人は薬を飲みたがる。
いまだ自分であってさえそうなのである。
西洋医学であっても、東洋医学であっても、代替医学であっても所詮同じである。
生物の中で薬を飲むという愚かな行為をする唯一の存在が、人間であることを今一度思い返さねばならない。
 
人が人であり知能や知識や思想がある以上、その人がよくなるときに何が最も大切かといえば、知識を身につけその理由、その背景、その必然を理解するということしかあり得ない。
まずあなたが病気をよくしたいと願うのなら、健康を獲得したいと願うなら、徹底的に知ることである。
徹底的に勉強することである。
徹底的に理解することである。
そこに「専門でないからわからない」などという、愚かな言い訳が介在する余地はない。
 
あなたが自己の意見にとらわれ、受動的に誰かの情報を求めている限り、あなたに福も健康も訪れることはない。
素人であればあるほど健康になれる可能性は高いのである。
中途半端に知識を持っている人間ほど、ありもしない病気に振り回されるだけである。
医学は毒学であり現在の社会学も毒学を優先せねばならない時代になっている。
医学不要論では毒の危険性を説いてきたが、実は逆も言えるこということを忘れてはならない。
 
それはつまり毒を食う、ということの重要性である。
これまでの文章は何だったんだ!と言われそうだが、少し読んでみてもらいたい。
この世にあるすべてのもの、医学毒、社会毒、食品毒、その他の毒、それらさえも何かしら価値があるという考え方である。
逆説的にいうと体内に一切毒を入れないというのは非常に危険な行為ともとれるのだ。
生物でさえ自身に多くの生物毒を宿している。
これは選択毒性や植物毒、自然毒の観点からも説明できる。
 
ある動物には猛毒であっても他の動物が食べてはほとんど無毒というものもある。
しかしそれは当然無毒化の工程をたどっているからだ。
無毒化の工程が重要であり、つまり生と毒は表裏一体ともいえる。
それはあたかも無重力空間で生活する人間の筋肉のようだ。
それは重力がなければどんどんと委縮していく。
人間生活におけるストレスもそう、毒もそうであり、それは一定の範囲でなければならない。
それがあるから人間は肉体をさらに強靭化することができ、生きていくことができ、強くなることができる。
 
医学不要論として最後に述べるべきもの。
それが生とは何であるかということの問いかけである。
なにも毒を口にせず健康でいればそれは生きているというのか?病気ばかり気にしていればそれもまた生きているというのか?これは多分に概念的な問題である。
人がどうやって衰えどうやって死ぬかと、医学の問題は直結する問題である。
 
私は自分自身の健康には明らかに無頓着である。
私は自分自身がいつ死んでもいいと思いながら酒を飲む。
人は生き、人は老い、人は死ぬ。
これはすすめてきたすべての治療を受けるなということではない。
しかし医学、薬学、食品学、それらに頼っているだけでは真の世界を見ることはできないのではあるまいか。
私は宗教は嫌いだが、哲学的にモノを考えるのは嫌いではない。
全てにおいて本質や根幹がある、これもまた医学不要論の根幹である。
 
内海 聡 (Satoru Utsumi)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

内海聡はカルト集団のような行為を行っています。

しかし、ある意味において、船瀬俊介氏と西洋医療の闇を告発した人でもあります。

内海聡は最期は昂って、落ち目にあいました。

彼の書籍を読んでも、頭が混乱するだけですから、ネットの情報レベル、youtubeの講演会動画を見ればよいと思います。

しかし、彼が言うように、「自分の問題、社会の問題、人生の問題をどうして医療や医学、医者に頼るのだろうか?」

と警鐘しています。

薬は必要な時は内服すべきです。

しかし、病気となった原因は、患者本人しかわかりません。

 

実はアメリカでも製薬会社が医師を神格化して薬の販売のマーケティングをしてきました。

そして、以下のPDFの論文ではメディカリゼーションは優生学から起因しており、科学万能主義を産み出して、病気になるもの、障害を持って産まれてくるものは、劣っているため、人類に今後そういった病気になる者、障害を持つ者が生まれてこないようにするための根本解決は去勢や避妊手術といった断種による方法しかないとまでナチス政権時のドイツや1930年代のアメリカ、そして日本でも行われてきました。

転載はこちらから

 

進化論を肯定して、「人間が優秀な人間を創る事ができる」「人間が神になることができる」

といった政治思想に基づいて、科学が取り込まれ、科学的根拠=EBMを持って、社会の問題、世の中の問題が解決できるという風潮を作ってきたのがナチス政権から始まった優生思想です。

 

そういった優生学を元に、断種を平然と行ってきたのだと言えます。

そして、アメリカでも平然と行われてきた断種や優生思想です。

この優生思想は、先ほども述べましたが、「人間が人間を作る」ために作られた思想です。

そして、「メディカリゼーションとは社会問題を単純化した、生物学的問題にすり替えることです。

それと同時に、問題をそれぞれの個人の身体の中にあると責任転嫁する思想です」とあります。

「老後の生活は自己資金で2000万円貯蓄しておかないといけない」

 

今現在、自己責任論の嵐が日本では吹きまくっています。

その思想の根本は優生思想であり、優生思想は神の否定、そして、神が創った人間を自分たちがコントロールして、地上の神になるために作られた、世界統一政府樹立のための思想かもしれません。

信じられないかもしれませんが、世の中を支配して動かしている人たちの目標は「世界統一」です。

本気でそんなことを考えている人たちが存在するのです。

(詳しくはこちら→NWO(世界統一政府)の提唱者がフリーメーソンであり、日本人であるという確たる証拠。)

 

本題から大きくずれましたが、医師をの診断書という免罪符によって、社会生活が機能してしまっていることに注意していかなくてはいけませんね。

さて、本題に戻ります。

知的障害者が精神科病院に入院している理由の一つとして「療育手帳を持っているから」です。

療育手帳は知的障害者と認定されると自治体から交付される福祉手帳でしたね?

詳しくはこちら

人間の自立を阻害するものが、障害者年金制度と生活保護制度だとしたら?2019年11月15日 | 精神科看護

 

知的障害者の医療費自己負担はゼロ円です。

つまり自分で医療費を支払う必要がないのです!

ですから、入院医療費のとりっぱぐれがない人は『①知的障害者』か『②生活保護受給者』になるわけです。

 

しかも、実際に知的障害者を家族に持つ人たちは、知的障害者の日々のケアや日常生活の世話は苛烈を極めています。

知的障害者の子供を持つ親は、「自分が死んだら、この子は誰が面倒見てくれるのだろうか?」とふと考えてしまうそうです。

親なら当たり前の発想です。

そこで、授産施設やグループホームなどを家族会を立ち上げて活動するのです。

しかし、「そんな努力しなくても、うちで死ぬまで面倒みますよ」という施設が現れました。

精神科病院です。

ただし、「少ない人数のスタッフで対応させていただきますので、急に興奮されてもこまりますから、飲んだら少し大人しくなる薬を内服してもらえるような、薬物治療はさせていただきますね。」

という条件で、お預かりするわけです。

知的障害者を持つ親は「ホッ」とするでしょう。

親なき後の子供の面倒を見てくれる存在に出会えたのですから。

(しかしこれらの入院生活費は国民から集めた保険税、つまり健康保険料から支払われているとはつゆ知らず)

 

冒頭でお話したように、「なぜ精神病院には知的障害者も入院してくるのか?」という理由は以下の通りです。

1、療育手帳を持っているから

2、親が入院を望んでいるから

おまけ EPSばかり出るため、結局、知的障害者の衝動性は精神薬では抑えられない、

 

知的障害を定義するとき、真っ先に挙がってくるのが、「IQ 知能指数」です。

しかし、知能指数が低くても社会生活している人たちが世の中に沢山います。

 

そして、その人が住む社会によって要求される知能指数は変わってきます。

 

日本で生活する以上、他国と比べ相当高い知能指数が求められるおそれがあります。

さらに言えば、EQ社会能力指数と呼ばれる、「人の気持ちを考えられる、想像力を図る力」が人間には必要となってきます。

自己中心的な考えの人はどれだけ知能指数が高くても社会生活することは難しくなっていまいますね。

 

知的障害者に対して、抗精神病薬を投与しています。

しかし、その衝動性は抑えることはできず、実際は要求がエスカレートすることもしばしばあります。

精神科病院での暴力のほとんどは「知的障害者や自閉症の患者からによるもの」というのは私の経験論です。

「お菓子が欲しい、カードが欲しい」という理由で実際、知的障害者が暴走すると、男性スタッフ数名で抑えることになります。

考えるより、手が出てしまう(暴力が出てしまう)ため話し合い、説得が通用しないからです。

損か得かで行動していません。

抗精神病薬を飲む知的障害者は快不快のレベルで判断して行動しているのです。

 

ですから、力業で抑えて、「セレアキの筋注指示をもらうしかない」のです。

状況によっては静注することもあります。

 

つまり、こういった諸問題は、精神科病院がビジネスであり、とりっぱぐれがない患者であれば、どんな理由をつけてでも入院させてしまうという経営の仕方から来るものだったということです。

 

知的障害者に必要な治療とは何でしょうか?

知的能力を上げるための教育と訓練ではないでしょうか?

 

薬漬けという一時的な方法では問題解決できません。

 

知的障害者にとって「基本的生活習慣を身に着け、我慢することを覚える」ことが大切なのです。

こんな単純なことも理解できない人が多いのです。

(ある意味、懲罰的な薬漬けによる行動療法を行っているのかもしれませんが)


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