古代日本の歴史を謎解き

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旧唐書に登場する「倭国伝」と「日本伝」

2020-03-29 13:03:49 | 歴史
隋の次の大陸の国 唐の時代史記
旧唐書 からです。
なんと
「倭国伝」と日本伝」に分かれていています。
これは 旧唐書 も 新唐書でも同じです。
・倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり
・日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
とはっきり 倭国 と 日本国 は違う・・・
日本の歴史書では
女帝の持統天皇の時代 89年に飛鳥浄御原令を施行し
『日本という国号』、『天皇という地位・称号』が公式に設定された。
この時代、大和朝廷は、九州の倭国をまだ統一するには至っていなかったようです。

倭国伝
・倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり
・東西は五月行、南北は三月行。
 隋書と同じです。隋書の倭国伝には、後の日本国「ヤマト朝廷)は含まれてません。
 ※新羅東南は出雲の可能性もあります。
・世ヽ中国と通ず。
 魏の時代の邪馬台国の事??
・其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)り、草を以て屋を為る。
 柵を作るは環濠集落的ですが500年近く前の時代
 塀を作るなら平安時代の屋鋪です。
・四面に小島、五十余国あり、皆焉(こ)れに附属す。
 国の数も増えている。筑紫+出雲か?
・官を設くる十二等あり
・すこぶる文字あり、俗、仏法を敬う。
・衣服の制は、すこぶる新羅に類す。
聖徳太子の冠位十二階も筑紫が始まりなのか?

日本国
・日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
・倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となす
・日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたり』と。
・その人、入朝する者、多く自ら矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず。故に中国焉(こ)れを疑う。
聖徳太子の「日出・・・」の国書の事でしょう。
怒りと云うより、倭国の国書ではないと疑っていた。

・其の国の界、東西南北各々数千里あり、西界南界は咸(み)な大海に至り
・東界北界は大山ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なり
確かに近畿を中心に
西界の海は伊勢
南界の海は和歌山
東界北界は大山ありて限りをなし
日本アルプスなど中部から関東に至るのでしょう。

旧唐書 と 新唐書 の違いに
旧唐書 倭国が日本国を統合
新唐書 日本国が倭国を統合
と違いが見れます。
冠位十二階など体制が倭国から日本国に伝わったので 倭国が日本国を
国名の日本国を 倭国も使う事になったので     日本国が倭国を
いずれにしても大きな武力闘争があって
西日本が「日本」と云う国にまとまった訳ではない様です。

日本の史記「古事記」「日本書紀」では
527年に筑紫磐井の乱があり、大和朝廷が勝利しています。
冠位十二階も仏教伝来、漢字の普及もヤマト朝廷が・・・
大和の天皇家の正当性を主張する「古事記」「日本書紀」ですので
鋳方がないと思います。
次に、簡単にまとめてみます。
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