古代日本の歴史を謎解き

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邪馬台国(卑弥呼)=>大和(台与)

2020-02-23 13:02:32 | 歴史
久しぶりです。
一応、私が考える弥生時代をまとめておきます。
一番の疑問が 邪馬台国と大和朝廷との関係でした。
・倭国大乱
 2世紀頃に7~80年もの間、国同士が争い
 100国ほどあった国が30国にまとまっている。
 30国は魏志倭人伝に昇華されている国名です。
・祈祷師 卑弥呼が女王に推薦される。
 2世紀末頃と考えられています。
 30国になかでも
 邪馬台国 7万戸
 投馬国  5万戸
 奴国   2万戸 です。
 100国から減った70国の多くは
 この3国に吸収されたのでしょう。
・邪馬台国の場所
 奴国を起点、終点とした22国が紹介されています。
 九州北部の地域です。
 その南に位置する大国 邪馬台国ですの
 有明海の福岡~熊本辺りでかなり広域でしょう。
 卑弥呼の宮殿が 福岡の 山門、朝倉でも不思議でありません。
・卑弥呼の死(248年)
 大陸から使者 張政ら は卑弥呼は生きていると信じて
 倭国へ到着しますが、亡くなっていました。
 男王が国を纏めようとしますが、まとまらず争いに
・再び、卑弥呼の宗女 台与(トヨ、イヨ)を女王にする事で争いは収まる。
ここまでが魏志倭人伝など大陸の史記で紹介されています。
この年を境に
弥生時代の文化(銅矛銅鐸、環濠集落、甕棺)が無くなり

古墳時代に突入(地域王族が大きな古墳を造る)
飛鳥時代には、近畿のヤマト王権が西日本の支配をしています。
感じが使われるようになり
九州には 筑紫、豊国、日向国、熊襲国)
山陰の出雲、山陽の安芸、吉備
近畿の大和が大国です。

この古墳時代の始まり
ここからは私の持論です。
九州北部は男王支配の 筑紫
と 女王 台与 の豊国(トヨ国)に分かれる。
この時を境に
弥生時代の祈祷文化、甕棺による葬儀などが無くなり
結婚を重んじる血族で国同士の連合体が作られます。
張政らが台与を女王にして出来た豊国
張政の倭国統一は、台与 と 大和の男王との結婚でした。
卑弥呼の遺産(魏国から送られた百枚ほどの銅鏡など)を
持参して近畿へ移動します。
鉄器の分布を見ても弥生時代末期に
近畿で鉄器文化が始まっています。

これが後に作成される「古事記」「日本書紀」に登場する
神武東征の神話のもとではないでしょうか。

古墳時代初期に邪馬台国は滅び、豊国へ
近畿へ移動して大和王権として復活
近畿の倭国 纒向遺跡 は台与の墓ではないでしょうか。
邪馬台国は ヤマタイコク ではなく、ヤマト と発音します。
九州の 山門 が始まりの様な気がします。
邪馬台国の否定地
卑弥呼の墓
探しに重点が置かれる弥生時代の謎解きですが
邪馬台国 九州説(ヒミコの墓は??)のまま
台与の時代を知る方が面白いと思います。
以前から
邪馬台国 = ヤマト = 大和
魏志倭人伝を読む限り、邪馬台国は九州説
遺跡を見ると邪馬台国は近畿?
「古事記」登場する 神武東征 の必要性
天照大神の神話(天岩戸隠れ)は九州の皆既日食
卑弥呼 = 天照大神
これで、大和と邪馬台国の関係が解けたと思います。
長くご愛読いただきありがとうございました。
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