古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

古代の歴史書をデタラメにした犯人

2016-12-24 18:26:02 | 歴史
日本古代の歴史を知る手掛かりが 古事記・日本書紀 ですが、
その内容と年代があまりにもデタラメです。
何故、この様な事になったのでしょうか。
事の始まりは、初代天皇 神武天皇の即位が 紀元前660年2月11日 に設定したためです。
この年を天皇家(日本国家)の始まりとした理由は
中国古来の考え方で、「革命勘文」にある1260年単位で大きな革命が起きるとされる辛酉(かのとと)の年の思想です。
辛酉の年は60年周期で、西暦年を60で割って1が余る年が辛酉の年になります。
辛酉の年が21回で1260年ごとに大きな変化が起きると云うのです。
古事記・日本書紀は、この思想を取り込んで紀元前660年から西暦601年の1260年を一つの世界として書き上げたのです。
その犯人は、60年周期で現れる辛酉の年で、始まりを紀元前660年、終わりを601年を選択しています。
つまり、犯人は601年の人物です。
601年の人物と云えば、推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子です。
後に、聖徳太子と蘇我馬子で 天皇記・国記の編集を行います。
この様な操作が出来たのは、この二人しかいません。犯人は、聖徳太子と蘇我馬子です。
時代は
神道保守派の物部氏VS仏教革新派の蘇我氏の対立があり
587年 丁未の乱 で蘇我馬子が勝利し、物部氏が滅びます。
聖徳太子も蘇我氏の影響を受けて根っからの仏教信者で大陸思想の勉強も行っています。
600年には、1回目の遣隋使が派遣されます。
聖徳太子は、中国の史記も呼んだでしょうし、倭人伝についても知っていたはずです。
推古天皇が神武天皇から何代目に当たるかも家系図に近いものがあったはずですが
二人は、601年を新しい国の始まりとして天皇記・国記を編集したのです。
当時、天皇家の家系図で判断できたのは応神天皇位までだったでしょうが
それに大勢のご先祖様を加えて歴史を1000年ほど追加したのですから
周囲の天皇家の人々からは喜ばれたでしょう。
しかし、本心は蘇我家一族による新しい仏教国の始まりを意味していたのです。
その蘇我氏の陰謀も
622年 聖徳太子死去
626年 蘇我馬子死去
628年 推古天皇崩御
最後に、642年に乙巳の変(クーデーター)により蘇我入鹿が暗殺されて、蘇我氏の野望は崩れてしまいます。
天皇記も国記も意図的に焼き払われたでしょう。
しかし、その内容は多くの人が知る存在であったため、古事記・日本書紀も利用、神話の世界を加えて
更に壮大な世界観を作り上げたのです。
既に神武天皇以後は出来上がっていますので、それ以前、或いはその他の内容は全て神話の世界で表現せざると得ませんでした。
中国の史記との関連もありますので、所々に 史曰く と云う表現を付け加えます。

余談ですが、601年から1260年後の1861年は幕末の時代です。
大政奉還で1868年で明治政府が出来ています。
ジャンル:
文化
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 16代仁徳天皇と倭の五王 | トップ | 前方後円墳の数 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事