古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

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古代のお墓

2018-03-24 16:13:22 | 歴史
古代の遺跡を分けると
・住居跡(建物など)
・農耕跡(水田など)
・お墓 (集合墳、古墳など)
です。お墓は古代より重要な物であったようです。
ここからは多くの推測を含みます。
土坑墓(どこうぼ)
穴を掘って遺体を埋めるお墓です。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代と結構長い期間があります。
一方で、貝塚から人骨が出てくる事例もあります。
お墓に葬ってもらえるのはそれなりに権力があった人で
多くの遺体は、山など見えない場所へ放置
川や海に流される。
食されてしまい骨が貝塚に捨てられる。
葬儀を行い文化が広まるには結構な時代が必要だったのでしょうか。
日本神話でも、遺体から穀物が埋めれる神話は多数あります。
土葬した後から草木が生える事を人が食物に生まれ変わると考えたのでしょう。


集合墳
縄文時代・弥生時代、やはり住居地域に遺体を埋めるのは恐怖だったのでしょうか。
住居の生活地域と遺体を葬るお墓の地域が分かれます。
弥生時代の遺跡には、必ずと言ってよいほど、集合墳(お墓の地域)が見つかります。
同時に棺が登場します。
・土坑墓・・・穴を掘って遺体を寝かせて埋める(伸展葬)
       埋めた場所がわかるように、或いは死体が生き返らない様に不明ですが
       上部分の大きな石を置いたりします。
・箱式石棺・・掘った穴の周囲を石で囲んで遺体を寝かせて埋める(伸展葬)
       遺体を大切に扱い始めます。
・木簡・・・・弥生時代に発展した建物の建築が始まり木材の加工も進んだのでしょう。
       やはり、伸展葬です。
・甕棺・・・・弥生式土器が発展して、遺体が入る位の土器が作れるようになります。
       高貴な衣類を着て屈葬です。弥生時代の九州で多いですが
       後に無くなります。遺体を大切に保存する意図があったと思われますが
       屈葬が嫌われたのでしょうか。
       魏志倭人伝に、上下関係など身分の格差があった事も記載されています。
       人が亡くなると喪に服す様な儀式も既にありました。
       日本独特の葬儀の形の始まりがあったようです。
・古墳・・・・弥生時代の集合墳から王家など権力者が大きな墓を作る基本1人のためのお墓です。
       当初は、縦穴式で、土を山上に盛って中央に竪穴を堀、遺体を入れて土を盛って行きます。
       次は、横穴式で、石で石室を作り土を盛っていきます。
       手前に儀式を行う場所を作って前方後円墳となります。
       装飾品に埴輪が使われます。殉死のしきたりがあったのでしょうか。
       卑弥呼の墓では、100人の殉死者がいたと記載されています。
        646年大化薄葬令が規定され、前方後円墳の造営が停止され、古墳の小型化が進むが、
        この時に人馬の殉死殉葬も禁止されている。
       という事は、稀であっても殉死を行う古墳もあったのでしょう。
       遺体は、石室に入れて、横穴式から入れていきます。夫婦など複数の遺体が入る様になります。
       権力者が生前に作り始める。死後もその権力を保持させる欲望からでしょうか。
・火葬・・・・弥生時代に仏教伝来と共に日本に伝わったようですが、普及することはありませんでした。
       現在の火葬は明治時代が始まりとされています。
       鎌倉新仏教が広りますので、お経をあげる葬儀はあったでしょう。
       土葬ですが墓石・墓標を立てるお墓の始まりです。

お墓で気になるのが、魏志倭人伝に紹介に紹介されている卑弥呼のお墓
 径百歩で殉死者が百人 と表現されています。
 卑弥呼の死は、突然であったでしょうから生前から準備されたものではないはずです。
 卑弥呼は女王の座に60年以上(180年~248年)いた事になりますので、王家の墳丘があったわけでもないはずです。
 卑弥呼の周りには千人の侍女、周囲には戦士がいますので、卑弥呼の宮殿の近くに集合墳があったでしょう。
 卑弥呼は、その近くに埋葬されたのではないでしょうか。
 百人の殉死も生きた人間が埋められてのはなく、既にあった集合墳の近くに大きな墓を作ったとも考えられます。
 古墳時代に多数つくられて大きな前方後円墳
 だから、卑弥呼のお墓が前方後円墳の原型と考える人も多いです。
 卑弥呼は既に老婆でありながら、南の敵国狗奴国と争いの真っただ中、魏国へ応援を依頼したりしています。
 自分の死後を考えるゆとりはありませんでした。
 後継者の指名もできないまま亡くなっています。
 私たちがイメージする近畿の大きな前方後円墳とはかなり異なるお墓ではないでしょうか。
私のイメージ、丘の集合墳の上部にある高台の頂点に穴を掘って卑弥呼のお墓にした。
石室、石棺ではなく、木棺、甕棺だと思います。
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