漂着した木造の漁船に乗っていたのは、予想した通り北朝鮮の兵士であった。彼らは警察の事情聴取にも応じず、帰国することを望んでいるといわれる。魚を取るためだけに、日本海の荒波を乗り切ってやってきたとは思えない。何らかの目的があったのではないだろうか。北朝鮮という国家を甘く見てはならない。食糧が乏しいから戦意を喪失していると高を括ってはならないのである▼マックス・ウェーバーが『宗教社会学論集・第一巻』で述べているように「暴力的脅威の最高形態としての戦争は、まさに近代国家において、一つのパトス、一つの共同体感情をつくりだす」のであり、戦場でつくり出される非日常姓によって、兵士相互間の絆は強化され、神聖な秘儀に加わることになるのだ。だからこそ、平気で敵を殺傷できるし、死をも恐れないのである▼一般の北朝鮮の国民が難破して日本に流れ着いたというのとは、事情がまったく異なる。もはや警察だけでは対応できないのは明らかである。自動小銃を手にした自衛隊員が海岸線を警備すべきだろう。木造船でレーダーでの捕捉が困難であれば、24時間哨戒機で監視を強化すべきだろう。海沿いの集落に住む人たちとは、常時連絡を取れるようなシステムも必要だろう。混乱は最小限にとどめなければならない。超法規的な決断を含めて、国はやるべきことを全てやるべきだろう。有事はすでに始まっているのだから。
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