今になってようやく、民主党を離れる政治家が出始めた。増税やTPP交渉参加に反対だから、というのを理由に挙げているが、本当のところは、当選がおぼつかないからだろう。国家議員の立場を守りたいだけだ。そんな政治家を選んでしまったことを、ようやく国民は気づき始めているようだが、後の世の歴史家は、失われた年月として記述するに違いない。野田内閣の支持率も低空飛行になってきており、鳩山由紀夫、菅直人と、まったく同じ運命を辿ることになるのは、ほぼ間違いがない。徳富蘇峰は『吉田松陰』のなかで、松陰の人物像を取り上げている。現在のような危機的状況下にあっては、松陰のような人物が必要とされるのではないか。「ただ一の真誠なり、赤心なり。父母に対すれば孝となるい、兄弟に対すれば友愛となり、朋友に対すれば信義となり、君に対すれば忠となり、国に対すれば愛国となり、道に対すれば殉道となる。その本は一にして、その末は万なり。万種の動作、ただ一心に会(あつ)まる。彼が彼たる所以、ただこの一誠以て全心を把持するが故にあらずや」。命を投げ出す覚悟なくして、権力維持にばかり汲々しているのは、松陰と比べれば、月とスッポンである。民主党を飛び出すにあたっても、大義名分が求められるし、そこで問われるのは、已むに已まれぬ気持ちがあるかどうかだ。
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