草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

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ネットに対する中共の干渉を許せば自由な言論空間が奪われる!

2020年05月31日 | ネットの世界

ツイッターに自由に投稿できるかどうかは、民主主義社会であるかどうかの目安である。ツイーター社が中共の要求に屈して規制をかけているとの批判が高まっている。その急先鋒がトランプ大統領である。ネットにも中共の影響力は及んできているのだ。中共の人口は14憶を突破したともいわれ、市場として大きいことから、中共の言いなりになる企業が多いのである▼中共という国家が問題なのは、自らの権力の維持を優先させるがゆえに、人と人とのコミュニケーションの成立を妨害しているからである。ツイーター社などへの介入によって、自由な言論空間に横槍を入れているのだ▼オールドメディアであるマスコミよりも、ネットの方がはるかに健全である。マスコミのフェイクは訂正されるまでに時間がかかるが、ネットにおいては即座である。自浄作用がすぐに働くのである▼ハンナ・アレントを持ち出すまでもなく、私たちは他者に対して開かれた自己でなくてはならない。自己とは単一ではなく複数なのであり、だからこそ他者との対話が可能なのである。ネットは人類が生み出した画期的なコミュニケーションツールである。いかなる国家であろうとも、そこを支配することは断じて許されないである。全体主義国家であればなおさらである。

㊶笠井尚氏の会津の本を読む 辻まことの「帝釈山」(『辻まことセレクション1』)

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https://www.youtube.com/watch?v=rkl35NaYGTI

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (ななしさん)
2020-05-31 08:09:23
ツイーター社は開かれているからこそシステムに対する干渉を許すという言い方もできるわけで、どんなにこれが屁理屈っぽく響くとしても、単純な道理で中共を封じ込めることは難しい
ネットはオールドメディアよりもむしろ独裁へ向かう閉ざされた言論になりやすいという、マルクス・ガブリエルのほうがハンナ・アーレントよりも現代を見据えていると思います
リーダーとエリート (嫌韓有理)
2020-05-31 09:39:16
 一国の栄枯盛衰は人材にかかっている。それは、散文的な穏やかな日々の続く時代にも、目くるめくような疾風怒濤の時代にも、つねにプリンシプルである。
 なので、エリート教育、英才教育は、どんな時代であろうと必要である。エリート教育、英才教育を捨てた(国家・民族は、枯衰(ほろび)る。
 但し、全き危機の時代(今はまだ完全にはその姿を現していない)には、そんじょそこらのエリート、学校秀才では、国家・民族を導いて危機を突破することができない。それは、戦前(大正昭和)の学校秀才・エリートが蝟集(いしゅう)した旧・日本軍指導部の“おごり”“お役所仕事”などに明らかである。そんじょそこらのエリート・学校秀才の“枠”を踏み越えた「リーダー」でなくては、国家・民族を導いて危機を突破することができないのである。

 そんな「リーダー」がいるの(いたの)だろうか? 確かにいた。
 「この人を見よ」、吉田松陰である。
 しかし、「吉田松陰は奇跡である」。奇跡であるから、再現性がない。
 なので、松陰を継ごうと志す者が、吉田松陰の伝記や残したものの「超訳」「意訳」「新釈」「解説」をどれほど読み込んでも、吉田松陰の神髄に至ることはできないのである。
 率直に言って、吉田松陰の伝記や残したものの「超訳」「意訳」「新釈」「解説」は、たかだか「経営者の覚悟」「教育者の自戒」「新社会人の心構え」「学生に贈る言葉」へと“希釈された”吉田松陰でしかない(“希釈”を否定しているわけではない。念のため)。
 真の「リーダー」は、意図的に創ろうとしても創ることができないのである。

 それでは、西郷隆盛、大久保利通を育んだ薩摩の郷中教育はどうだろうか?
 「薩摩には『詮議(せんぎ)』といって児童の判断力を鍛える教育方法があった。例えば『殿様の行事で急ぐ場合、早駕籠でも間に合わぬときはどうするか』と子供に問い、答えさせる。ふだんから、仮定の質問に答え、対処法を考える訓練をしていた。これにより、いざという時の処置判断を誤らせない。
 西郷も大久保もこの教育で育った。幕末の混乱期、最も見事な政局判断をみせたのは、彼ら薩摩藩の面々であった」(磯田 道史)という。
 しかし、郷中教育で育った維新元勲たちが位人臣を極め、権門勢家となるや、「権門上(かみ)に傲(おご)れども 国を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う心なし」になったことを、後世のわたしたちは、残念な思いとともに知っている。

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