NHKが国民を意識しなくなったのはいつ頃からだろうか。江藤淳が解説委員として出演していた頃が思い出されてならない。江藤は平成7年3月12日の日本経済新聞のエッセイ欄「人さまざまの」に「窓のある地下室」を執筆し、「NHKの解説番組に出はじめて、いつの間にか二十年以上経ってしまった。一口に二十年というけれども、オギャアと生まれた赤ん坊が、成人してまだお釣りが来るのだから相当の時間である」と書いている▼それほどまでに長い期間にわたって、保守派の論客である江藤を、NHKはお茶の間に登場させていたのだ。江藤はそのエッセイで、最初は放送センターの六階に陣取っていたのが、一階の増築部分に降りてきて、今度は地下一階に移ったというのを紹介していた。江藤ほど戦後の日本に違和感を抱いた思想家はいなかった。安田祥子と由紀さおりの「赤とんぼ」の童謡を聴いて、懐かしい日本に帰ることを望みながら、その一方で「だが、どこへ?」と自問自答したのだった▼かつては江藤がNHKの解説委員として、国民に語りかけていたのである。いつからNHKの方針が変わったはっきりしないが、我が国の伝統に立脚し、失われた日本にこだわりを持つ江藤のような保守派には、声がかからないはずだ。民放と同じように、アナウンサーが勝手なことを口にし、特定国の代弁者に成り果てているようでは、国民から信頼されるわけはないのである。
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日本列島には、古典的な景気循環論のジュグラー循環、クズネッツ循環、コンドラチェフ循環などのように、およそ400年毎、100年毎とかに、列島を揺るがす大震災が必ず襲来する。
「世界で発生する地震の10分の1が集中する日本・・・明治期までさかのぼれば、ほぼ10年に一度の頻度で、千人以上が犠牲になる震災が発生しています」
「2013年に内閣府がまとめた首都直下地震による被害想定では、・・・M7.3の地震が都心南部直下のフィリピン海プレート内部で起きた場合、最大で2万3千人の死者が出るとしています。直接・間接の経済的損失は約95兆円以上・・・これは国家予算並みの金額です」(平田 直)
“備えあれば憂いなし”である。
「先の東日本大震災でも・・・他の自治体に比べて、格段に死者・行方不明者の少なかった村がある。普代村。(中略)普代村の事例にはいくつもの教訓が含まれる。和村(ワムラ)元村長のように、献身的に地元のために働くことをいとわないリーダーがいること。自然は想定外と考え、防災設計では、過去の災害の強度を参考にして、お金や人間の都合で安易な妥協はしないこと。人工の防災設備を運用する人間の技や志が維持されていること」(『天災から日本史を読みなおす』磯田 道史)などが、ぜひとも必要である。