新自由主義に対して、ストレートに自分の考え方を表明していた哲学者に、保守派の論客であった田中美知太郎がいた。田中は『哲学談義とその逸脱』のなかで、ハイエクやフリードマンの名前を挙げながら、「かれらは個人の財産、生命、自由を守るためのサービスをするために国家はあるのだという立場に立っているように思う」と指摘するとともに、個人的自由を強調するあまり、「その干渉を最小限度にとどめ、貧困者の救済とか教育問題とか職業の免許制度、所得の平等化などは、国家の介入すべきことではないとする」と解説している。国家の力を弱めることについては、田中は疑念を抱いていたのである。現存する国家を否定することは、かえって混乱を引き起こすからだ。別な力が働くことを危惧したのである。その行き着く先に関して、田中は懐疑的であった。「国家の強制力を上廻る阻止の力としては、国家より強い別の国家を必要とするかも知れない。強大な外国からの内政干渉とか、革命や内乱によって、地下国家が地上の国家を倒して、これに代わるとか、何かこの種の異変が考えられねばならないだろう」とまで書いていた。新自由主義を旗印にする限り、国家の力は弱まり、それに取って代わる別な力が出てくるというのだ。日本国家が弱体化して喜ぶのは、外国勢力の手先となっているサヨクである。それだけみても、サヨクと新自由主義は同根なのである。
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