草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

舛添都知事を追い詰めたのはマスコミではなくネットの力だ!

2016年06月05日 | マスコミ評

舛添東京都知事の疑惑を最初に問題にしたのは、マスコミではなくネットであった。今頃になってマスコミが騒ぎ立てても、それは二番煎じでしかない。新党改革に属していたときの政治資金をめぐっては、その金額まで取りざたされていた。頻繁に海外に出歩くことや、韓国の朴槿恵大統領との会見を批判したのもネットであった。朝鮮学校に土地を提供することに対してもネットは猛反発した▼ネット言論はいうまでもなく保守派が中心である。だからこそ、早い段階から、行動する保守運動などがリーコールを呼びかけたのである。それを自分たちの手柄にマスコミはしたいのである。舛添都知事を辞めさせようとのデモであったのに、あたかもヘイトデモであるかのように報道したのがマスコミなのである▼自民党の都議会議員にしても、舛添都知事をかばう理由は微塵もない。それこそマスコミにおだてられて、野党に転落した自民党を離れて、民主党をほめちぎった過去は誰でも知っている。自民党都議団が一致して舛添都知事を辞任に追い込むべきだろう。老害でしかない森喜朗元首相がいかに弁護しようと、相手にする必要はない。テレビタレントになって名前が広まれば、国会議員になるのは難しいことではない。それで世の中を甘く見れば墓穴を掘るのである。舛添都知事は即刻辞任すべきなのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

 

               ←応援のクリックをお願いいたします。

 

 

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の拠り所としての家族の復権こそが保守の立場だ!

2016年06月05日 | 思想家

今もっとも深刻なのは家族の解体ではないだろうか。経済のグローバル化にともなって、大家族から核家族へ、さらには家族そのものが消滅しつつあるのではないか。それを目の当たりにして、多くの人は立ちすくんでしまっているのではないだろか▼今村仁司は『現代思想の系譜学』では、それが市場経済の最終的帰結であると書いている。グローバリズムがどんどん進行すれば、それはもはや避けられないのだろうか。「近代市場経済の展開と近代家族の成立とは無縁ではない。共同体の崩壊と大家族制の崩壊とはパラレルである。核家族とは、ファミリーの中に市場経済が侵入した現象といえるだろう。資本主義は、諸民族をつかむだけでなく、ミクロのファミリーをもつかみとる。資本主義の効果は、どんなに小さい場面をもみのがさない。家族は、ある意味では、資本主義化された人間の空虚さをいやしてくれる最後の逃げ場所であったのだが、その最後の避難所も解体しようとしている。家族の歴史の流れからみれば、近代家族としての核家族は、まさに消えなんとする最後のあり方ではあるまいか」▼市場経済の原理が貫かれることで、家族が消滅することを今村は予言したのである。一つの家族でありながらも、親子や夫婦であろうとも、分断されたアトムとして孤立を余儀なくされているのである。今は亡き今村は現代フランス哲学の日本への紹介者として知られている。構造主義やポストモダンを論じた今村は、最終的には「市民社会のリズムとは異なるリズムをもつ生活世界」に活路を見出そうとしたのである。それはまさしく保守の立場なのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

 

               ←応援のクリックをお願いいたします。

 

 

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする