池田湖通信

指宿市池田湖から鳥見人の写真エッセイ

147 ホシハジロ

2013年12月31日 | Weblog

池田湖には、4カ所の流れ込みがある。一番多きいのが田神川2番目が大谷川だ。田神川は、家庭排水の流れる川で既に川としては、死んでいる。大谷川は、昔、大谷金山という金採掘鉱山があったのだがその採掘後からわき出した水が源流と成っていて、今より60年前は、きれいな冷たい水が蕩々と流れていた。6月頃は、池田湖の金ブナやマブナが産卵に遡上して子供だった私などにも手つかみできるほど遡上していた。

10月頃は、池田湖の陸風アユであるコアユがこれも産卵に遡上していた。だけども10月は、水が冷たくて長く使っていると体が冷えてしまうので長い時間は遊べなかった。ような記憶がある。しかし外気が寒くなってくる頃は、逆に水の中が温かく感じるのでことによると私の記憶違いで、フナの遡上する頃だったかもしれない。

生き物の宝庫でもありました。上流(と言っても1㎞くらいしかないのだが)は、マムシが生息しているいう噂があって、時折は、マムシも流れてくるというので怖かったけれども、私は、一回も見たことが無かった。今でも怖いので逢わずにすんで良かった。ヤマカガシは、たくさんいた。この蛇は、カエルを専門に食べる蛇で、現在は、いない。田んぼが消えて畑になったせいかもしれない。田んぼには、カエルがたくさんいたから。

越年になってしまった。書くのがです。池田湖の環境は、40年前に比べて激変した。まず池田湖の北東部には、およそ50町歩の水田があった。それが現在はすべて畑に変わった。これは生き物たちを大きく変えた。5町歩の田んぼを貫流していた、田の神川の流れを変えている。何のためにこのようなことをしたのか、私には今もわからない。前の川の下流域には、湿田があった。下手に踏み込むとずぶずぶと子供なら沈んでしまうようなところもありこれがために私などは踏み込むのを躊躇することもあった。だからゲンゴロウ、ミズカマキリ、タイコウチ。野鳥では、シギやチドリなどが四季を通していた。

今、トリノオリンピックフィギュアスケートをテレビでやっている。このとき出た村主という選手の父親が、先日逝去した私の尊敬する居酒屋のオヤジと同じ職場の人だった。このときの選手達は大人だったよ、インタビューに応える話しぶりでそれがわかる。ソチに出る日本代表に比べてです。滑り終えた村主選手の目力も強いものがありました。荒川選手が金メダルをもらったのだが。村主は残念だった。スルツカヤ選手のインタビュウーも良かった。私は、演技よりもインタビューに注目擦るようになった。これ以降ですけれど。選手の人生を忍ぶことができるよ。

写真の前方の鳥が少し口を開いているでしょう。kの時は、5羽居たのだが、盛んに潜水しては、何か黒いものクチバシの中で転がして飲み込んでいる。双眼鏡でじっくり見るとシジミだとわかった。

5羽で潜っては水面で飲み込んでいる。個々で思い出したが、千葉県習志野市に谷津干潟という野鳥の宝庫がある。個々は干潟への立ち入りが禁止されている。そのため、千葉あたりで「ふかんど」と呼ばれる深場には、1メートル位の(大きさは、正確ではないが)スズキが群れていることもあった。昔、埋め立ての際、漁業権を放棄した老人が、「一日1回は、海を見に来る」という人にスズキを眺めながら話を聞いたこともあった。話の内容は忘れてしまった。 人が入らないことで谷津干潟には、あさりや潮吹きなどが増えていると教えてくれたのは、観察センターの人だった。

池田湖は、何の意味があるのか不明だが湖岸を頑丈な護岸で仕切っている。だから梯子でもかけない限り湖水にふれることができない。皮肉なことだがそれがシジミなどを守っているのではないかと思われる。

カモの場合水に潜るかも(潜水カモとか海ガモと呼ばれるが)潜るカモは、尾羽(しっぽ)が下を向いている。対して非潜水ガモは、しっぽが上を向いている。潜水ガモには、ヒドリガモ、キンクロハジロなどがいる。潜らないカモには。マガモやカルガモなどがいる。ただし飛べない雛の場合は、少しだけだけれども潜れる。身を守るためと思われる。