かぶれの世界(新)

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身近に迫る友の死

2018-05-13 15:13:25 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日いつもの様に川沿いの道を散歩していると、見知らぬよぼよぼのお年寄りから声をかけられた。声の主をよく見ると懇意にしていた集落に住む先輩だった。私より3歳年上の運動万能の野球部の先輩で、私が中学に入学した時卒業したので一緒にプレーしたことはない。

その後地元の大学を出て農業試験場で働き、退職後は長く地区長を務め母もお世話になった。近年余り見かけなくなり、癌の手術を受けたと聞いていた。近況を確認したのち、彼は熱心に我が家の家系のことを聞き出した。実は義母の法事に行った時も同じような質問を受けた。

こういう言い方は失礼だが、人は自分の将来が見えて来ると逆に身近な人の家系や歴史を知りたくなるのではと思った。今度は肺気腫になり医者からそう長くないと告げられていると彼は淡々と言った。話しているうちに体力が続かなくなったようで、彼は堤防の斜面に座り込んでしまった。彼の話は大袈裟ではなかったようだ。

実は2週間前に彼と同い年で、懇意にしていた先輩が2月に急死したと聞きショックを受けた所だった。彼は松山市で先端電子部品の輸入商社を経営しており、何度か事務所に伺ったことがある。昨年、偶然会った時も元気な様子でどこにも異常がある様には見えなかった。

聞くところでは本人も含め亡くなる前までそんな気配はなかった。孫の運動会を見に行きその場で心筋梗塞で倒れ亡くなったという。子供は4人とも女性でやっと後任の社長が決まったそうだ。彼を良く知る人は若い頃松山市の盛り場で遊び惚けたのが遠因ではないかという。噂とはそういうものだ。

私の散歩コースはこういう話があちこちで聞ける情報源の塊だ。加えて話好きで誰とでも友達になると自称する私は、普段なら聞けない深い話も漏れ聞くことがある。先日脳梗塞になってリハビリ中だという老人につかまって、聞きもしないのに発症から治療を受けリハビリまで詳細に説明してくれた。

私が死ぬのもそう遠くないかも知れない、いつかそうなる可能性があるのは認識している。彼の経験は貴重で参考になると思い最後まで彼の演説を聞いた。二人の先輩の話を聞くまでもなく、彼等の死は単なる話題ではなくなった。だとすれば何をやる?その答えは見つからない。■

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