ポポロ通信舎

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「海外留学必修」への疑問

2019年07月29日 | 教育・文化

千葉大学が来春から入学者全員に「海外留学」を必修とする。国立大学では初めてで2週間から2ヵ月間を義務づけるという。これに伴ってか学部生で年11万円程度の授業料も値上げする。 (朝日新聞2019年7月28日)

最初、見出しを見たときに「義務づけ」ってどうなんだろうと感じました。かつて大学のカルキュラム再編成で「ゼミナール(演習)」が「選択」から「必修」に変わろうとしたときに、学生のゼミ組織(ゼミナール協議会)が学生の自主性の観点、さらには「学問の自由」のあり方までさかのぼって異議を申し出たことを思い出しました。

留学必修はオヤジ的発想?

「海外留学」そのものに否定はしませんが、全員に課するというのはいかがなものでしょう。せめて「選択」制でもいいのではないでしょうか。

同大副学長は「これからはどんな職に就くにも、海外は行ったことがないではすまない。大学教員の採用でも海外経験がない、英語の論文が1本もないでは厳しい」と話す。

これって一見、進歩的に映りますが意外にオヤジ的発想ではないでしょうか。今の学生は小さい頃から家族旅行で海外に行っているものもいる。スポーツ文化交流を通して中高生から外国を経験したものも少なからずいる。修学旅行が海外であったり夏休みには学校間の海外交換ホームスティで参加した生徒達も。仮に海外に行ったことがないからといって「どんな職」に就くのにも不利益になるのだろうか。インターネットの普及で海外情報は瞬時に十分得られる時代の中で育った世代の学生たちでオヤジの時代とはちがう。

国立大学の授業料も昔に比べ決して安くない。海外留学のための値上げであれば、どうかと思う。すべての学生が海外留学に行くとなれば費用面でも各自が工面する額も要る。学費ローンにはこれ以上頼りたくはない。

同大では、「TOEFL」も進級条件にするよう検討しているという。私は、大学においては専門外のカルキュラムで「義務」や「必修」を増やすことにはとても疑問です。

英語力で優劣をきめて切り捨てることにも違和感です。企業の昇進試験でも英語力を第一関門に置くところが目立ちます。社内公用語を英語にまでにするところも。これって違うのではないかと思いますね。英語が苦手でも専門分野に長けている社員、技術者はたくさんいますからね。

今回の海外留学必修化は、千葉大が、学園の特色を打ち出すため(売り出すため?)、また「世界を知らない」学生に対しての親心から意欲的に取り決めたことなのでしょうが、ちょっとマトがズレているのではないでしょうか。

余談ですが、今、全国的に先生たちの勤務が過重労働になっています。全員海外留学による大学教職員の事務量の増大も心配です。必修化ともなれば裏方の業務が膨大になるでしょう。大学側には要員をしっかり確保して、事務職員らの労働条件も十分考えていただきたいと願います。

 

 

【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

 

【24時間密着】コロンビア大学・アメリカ留学生の一日/ A day in a life of a study abroad student

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