ポポロ通信舎

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【中学下宿記】(24) うまかった天ぷら、そしてまた旅支度

2010年01月11日 | 中学生下宿放浪記
揚げ物屋の下宿だったので、美味しい天ぷらをいっぱい食べました。
テープレコーダー事件のIW家のようなひもじい空腹感はありません。
良質な油のせいか体重も増しました。弁当のおかずは、大きな天ぷらが常。
それでもH家の子供たちは、
「母ちゃん、天ぷらは飽きた。もう弁当に入れんなよ」
「何言ってんだい、もったいない事を言うんじゃない、何もなかった戦争中
 に比べたらバチが当たるよ・・」
「いつも同じじゃ食えねーよ」
「バカ!」
親子でケンカ調の話し方ですが、どこかのどかな感じの会話でした。
そうこうしているうち私もいくらか天ぷらに飽食感が出はじめたころ、
いろいろな事がありました。

H家のおばさんは、情が厚くとても良くしてくてました。赤いバイクに
乗った友人が訪ねることを親心で警戒し
「イチローさん、あの子とは付き合うのは止めな」と言って、その友人は
訪ねてきても、私の知らない間に追い返されていました。
少し不良っぽいヤツでも私にはそんなにワルには、見えません。なんせ
転校先の大泉で鍛えられいるので、その基準からすれば前橋一中の生徒は
どの子も不良の名などに値しないかわいい?ものでした。
でも親身になって守ってくれたおばさんの善意は、ありがたく思っています。
実際、来訪者が多すぎて自分の時間が少なくなっていることに焦りを感じても
いたからです。
ただ親切だったこのおばさんとも何かのことで、対立してしまいました。

私と同じ年の三男(前橋二中生)とも、ケンカになってしまいました。
彼と、小学生の四男と私、3人で町を歩いていましたが、何かの話題で
急に三男が怒り出し、
「おい!・・かかってこい!」
と路上でにらみ合いに。びっくりした弟が二人の顔を代わる代わる目を
丸くして下から見上げていました。
三男にとって、ケンカは朝飯前。日頃から騒動は常習でケンカが強いことは
近所では有名でした。彼の軽く握ったこぶしが小刻みにふるえ、不気味な
時間が流れました・・。
平和主義の私は、かろうじて睨み返してはいましたが、その場で仁王立ち。
内心はびくびくしていました。
ふだんはこの三男と仲は悪くなかった。私と二人でお揃いの朴歯(ほうば)
の下駄を履き、尾崎豊の『卒業』の歌詞と同じように、三男の悪友たちと
「夜の校舎、窓ガラス壊してまわった~♪」こともありました。

しばらくして、H家に東京で就職していた次男の人がUターンしました。
食事をする四角い掘りごたつのようなテーブルの一角に私が座っていて、
帰ってきた次男の兄さんのスペースがなく、私に遠慮してか大きな体を
弟と二人掛けにして並んでいました。
その座る陣の形からして、そろそろ私はおじゃまな存在になっているな、
と感じました。

ここの下宿での滞在期間は中学時代で一番長く、2年生後半から3学年の
夏の終わり頃まで、約半年間を過ごしました。
独立した一軒の小屋のような部屋が与えられたことで自由な空間を得ました。
この空間には、クラスの友人を始め、近くの年上の店員さん達や幼い子まで
気楽に寄ってきて“避難所”“休憩所”“保育所”のようでした。いつも
夜遅くまで来客、珍客が絶えません。
真夜中に、誰かに追われているような負傷した背広姿の渡り鳥のような人が
「頼む、泊めてくれ!」と部屋に上がりこんできてきたこともありました。

落ち着いて勉強する雰囲気には、ふさわしくない環境ではありました。
ただ、ここでの生活は、学校での教科書からとは違った多くの「世界」を
知ることができ、今でもお金で買えない貴重な体験を得たと思っています。
当時のことが、このように今も鮮明に思い出せるのは、それだけこの頃が、
私にとって毎日がこの上もなく刺激的な「15の夜」であったからなのです。

下町のこの付近には恵まれた家庭の子供たちが少なく、みなハングリーでした。
5、6才くらいの子供で、いつもオチンチンをいじっている坊やも知り合いに
なりました。
「オチンチンはさわると傷がつくからよしな」と注意しても
「うん」と返事は良いのですが、しばらくするとまたさわっています。
幼児期の性器いじりは、精神的に十分満たされていないことに原因が
あるようです。

ある日、その“オチンチン坊や”が、オチンチンをさわった可愛い手で、
紙切れを私に渡しました。その子のお姉ちゃん(中2)からの伝言です。
「勉強を教えてください」と書かれていました。近所なので顔も知って
いるし視線も気にはなっていたのです。どうしようか困りました。勉強は
教えるどころか、こちらも受験前なのに一向に捗らず余裕がないのです。

しかし、慕ってくれたその子達へロクに挨拶もせず拙者、“紋次郎中学生”
は、ほどなくしてこの下宿を後にしました。(つづく)

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H家三男とお揃いで履いていた朴歯(ほおば)


お店の横の橋で。母(左)とH家のおばさん(右)。
川の水をこの橋一帯に撒いて涼しくするのが私の“しごと”

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1 コメント

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Unknown (新橋のサラリーマン)
2010-09-16 10:59:13
色々な人生がありますな。



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