トッペイ:
年頭から嫌なニュースが入ってきました。あのケケ中が安倍内閣の「産業競争力会議」に入ることになりました。
小泉政治の復活です。
国民主権勢力は退潮していますが、ここであきらめたら試合終了です。「愚公山を移す」の精神で「生活の党」を応援したいと思います。
いかりや:
竹中にイイジマが何でまた今頃、亡霊のようにアベ政権に出没するのか。恐らく駄目リカの差し金だろう。タケナカは、アメリカの超党派のシンクタンクCFR(外交問題評議会、Council on Foreign Relations)の代理人?・・・・CFRの使命をうけて日本のTPP参加を強力に進めることだろう。小泉政権の「郵政民営化」の時と同様に、内閣諮問会議を復活させるらしい。
安倍氏はアベノミクスなどとおだてられていますが、安倍首相の政策では、株高、円安で物価は上がっても庶民の懐を潤すどころか、庶民に痛みを押し付ける結果になるだろう。筆者は円安は大歓迎する、だが、その前に国民の収入を潤して庶民の懐が物価高(円安)に耐えられる形にしておいて、その結果需要が高まりデフレを克服するという過程を取らないと日本経済の真の回復にはならないだろう。
なぜなら、バブル後の大企業の経営者は、利益をあげても株主配当と内部留保にまわすだけで、従業員(非正規雇用も含めて)の賃金増にまわす良心的(苦笑)経営者はいなくなった・・・小泉政権時(小泉・竹中路線)で一時「いざなぎ景気」と言われた。大企業は利益を出したが株主配当と内部留保にまわし、労働者の賃金は低く抑えられたままだった。
マクロ経済政策の司令塔として復活させる経済財政諮問会議の民間議員として、佐々木則夫東芝社長、小林喜光・三菱ケミカルホールディングス社長、伊藤元重東京大学大学院教授、高橋進・日本総合研究所理事長ら4人を内定したという。
諮問会議は安倍首相を議長に、菅官房長官、麻生副総理兼財務相、甘利経済財政担当相ら関係閣僚で構成するほか、日本銀行の白川総裁もメンバーとして名前を連ねている。菅氏は会議開催の時期について「経済対策の取りまとめはまさに喫緊の課題。できるだけ年明け早期に開催をして意見を聞きたい」と語った。(朝日新聞デジタルほか)
経済財政諮問会議がくせもので、表向きは日本経済の牽引役の姿格好を装いながら、その実、真の狙いは、TPP参加へ強引にひきずり込むことにあるとみる。内閣側の菅、麻生、甘利らのメンバーをみただけで、悪役ぞろい(苦笑)である。その上に竹中氏とイイジマ氏の最強のお目付け役が睨みをきかし、反対する者は郵政民営化同様に、痛い目に遭うことだろう。安倍首相の神経性胃腸炎が再発しそうな予感がする。
参照:CFRについて
主流メディアが真実を報道しない歴史的な背景: CFR 外交問題評議会
http://www.youtube.com/watch?v=a0jP6aWrTLw
中世、シロアリたちの活躍によって、国庫の収入が激減。中世の公団・独立行政法人ともいうべき荘園が発達すると、各地の荘園の管理者はその地名を冠にした氏を名乗り始める。郡名のように大きな地名を負った者は大名と呼ばれ、郷のような小さな地名を負った者は小名と呼ばれるようになった。そうした小名のなかでもとりわけ小さい、端数の戸からなるアマリの郷の名を負った一族に甘利氏がある。その治めた荘園は甲斐国巨麻郡余戸郷。甲斐源氏の一族に連なる。
代々、武田氏の重臣を勤め、中でも、信玄に仕え、上田原の戦いで討死した甘利虎泰が有名。武田氏滅亡後、一部は北条氏に仕えたようだが、その北条氏の滅亡後は多くが帰農。多摩地方に土着した。明治になって名字が復活した際は甘利・天利など表記に違いが出た。
その裔に甘利正氏が出て、政治家の世界を目指した。1947年、依知村村長(現厚木市)を経て1951年神奈川県議。その後、自民党から国会を目指したが落選。1976年新自由クラブ旋風に乗って初当選をはたしたが、そ
の風がやんだ1983年、政界を引退。息子の甘利明に託した。
ちなみに私の伯母は甘利という家に嫁に行ってる。