いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑波山麓とりびあ

2007年12月24日 19時55分02秒 | 筑波山麓
以前に話題にした、つくば市松代の なんちって米軍ハウス について、建築時期年を「1970年代中後半か1980年代前半」と推定した。 今日調べたら1977年以降であるとわかったので、誰も関心はないとは思うが、報告する。

ここで生じる謎は戦後30年もたって、占領軍住宅の パクリ・ものまね しかできなかった ぬっぽん建築作家たちの気持ちである。 何を考えていたんだ? こればっかりはちょっとやそっとでは調べがつかねー。

図1は現在の地図。図の左の松代5町目付近が、この「なんちって米軍ハウス」がある場所。図2の地図にはない。

さらには、国道408の手代木交差点から、ハナマサとホテル諏訪の前を通り、西大通の洞峰公園にぬける道は1977年にはなかったことがわかる。(←って、何言ってんだかわがらねぇべさ)


図1


図2



上記、手代木交差点から松代への途中の ハナマサ(ムスリム客用のお祈りしながらしたお肉が売っている、らしい)。


手代木から洞峰公園に抜ける道。 
松代から松野木/小野崎境界にかけての「三重点(triple point)」付近。

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