いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

「せっくす」三唱! 八木秀次センセ

2005年04月03日 17時18分42秒 | 日本事情


日曜朝のフジ・産経の『報道2001』。学校での性教育について。

そのひどさを八木秀次センセが、ご自分の御子息の実体験をもとに、紹介。

それによると、教師が子供に「せっくす! せっくす! せっくす!」と唱和させ、

さらには。「せっくす! きもち、いー!」とも追加唱和させるとのこと。

このときスタジオの 時 がとまっただよ。みんなお口あんぐり。 

やっている人たちの意図はよくわからんが、せっくす!と唱和させることで、性交は隠微なものではなく「普通」のこと、すなわち食う寝る遊ぶと同じ、だと思わせることができると思っているのだろうか?

それにしても、おもしろいのは。「保守」派のひとが馬鹿サヨクの悪行を世間に報告するとき、その馬鹿サヨクがやっていることを世間の前で「保守」派自ら再現すること。

この日も、八木センセ御自ら「せっくす! せっくす! せっくす! せっくす・きもちいー!」と全国民の前でパフォーマンスあそばされたのである。

これと類似したことで、例の「戦時性犯罪裁判」の報道への政治圧力のあった・なかったの問題の時、中川昭一センセが、「戦犯ヒロヒトに極刑を!」などと彼ら(ばかサヨク)は言っていると紹介したときも、びっくり。中川センセ、御自ら「戦犯ヒロヒト」と発語されるのである。

 さて、「保守」派が是正したい変な性教育の背後にはジェンダーフリー推進勢力がいて、それらをかたずけたいと「保守」派が考えているのだろう。つまり、上記の「せっくす!」三唱の性教育では同時に異性愛だけが性愛の形式でもなく、非異性愛つまりホモやレズという性愛の形式もあるのですよ!と教えるとのこと。この異性愛を相対化する教育が「保守」派を刺激しているのであろう。
 近代社会、資本主義が支配的な社会では、異性愛が絶対化され、同性愛が排除・迫害されている。これは歴史的に見て特殊なことで、本来人間には異性同性にこだわらず広く性愛関係をもつ可能性があるはずである。それが資本主義社会で異性愛が絶対化されたのは労働者の再生産(=子供をつくる)をもたらすからである。資本主義社会では個々の構成員に異性愛を強いるメカニズムがあるというのである。(例えば『愛について』 竹村和子)


そこで,こういう近代以前の例がある。

我などいあわせ候はば、御わきざしにもすがり申すべき物を、是非に及ばず候。せめて我なども指をもきり申し候事 [訳;私がいさえすれば、その刀にすがりついて止めました。せめて、私も指を切って誠を見せたでしょう]


政宗が恋人・愛人の只野作十郎に宛てた手紙のほんの一部。(『伊達政宗の手紙』 佐藤憲一、より)

その手紙とは、政宗が、恋人・愛人の只野作十郎に猜疑心を抱き、酒席で只野を罵倒した。それを伝え聞いた只野が誠を示すため自らの腕を脇差で突いて起請文をしたため政宗に送ったものへ政宗からの返事の手紙。独眼流と怖れられた政宗ほどの大大名は恋人には平謝りである。

 秀次と政宗;政宗は小田原参陣=秀吉への事実上の屈服に始まり計3回秀吉からつぶされそうになった。そのひとつが秀次の件。秀吉が関白・秀次に死を与えたとき、政宗に「おめーも秀次と仲良かっただろう」と絡んできた。その時政宗は「親族の秀吉様さえ秀次殿の資質を見抜けなかったのだから、この片目の政宗がどうして見抜くことができたでしょう」と切り抜けたことになっている。

 以上、秀次・同性愛・政宗の3大話でまとめてみますた。


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