いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第345週

2021年06月19日 19時00分17秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第345週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花

■ 今週の昭和の成仏のために

御野立跡の碑(御野立落雁)

大正10年の陸軍大演習で、当時の皇太子殿下(昭和天皇)が演習をご覧になった場所です。長津田駅から近い場所にあり、周囲には大樹が何本も立ち並んでいますが、御野立跡は周囲から浮き立つように高台になっているため、眼下に恩田川とその周辺を一望することができます。横浜市のsite

大正10年は、1921年である。陸軍大演習は「11月17日から20日にかけて、東京および横浜の二都市を含んだ武相地域(現在の埼玉、東京、神奈川の大部分)を中心に行われた」[1]。つまり、訪欧は春なので、その後ということになる。


1921年5月10日、大英帝国国王ジョージ5世と昭和天皇(当時、皇太子)

1921年にひろひとさんが見たはず場所から見える現在の風景

■ 今週の年輪

■ 今週の森

横浜市緑区宿市民の森 (市の解説site

■ 今週のトマト

トマトの天ぷら(左下)。「金がしらと夏野菜の三陸天重」google

■ 今週の広告と現実

ベリーベリークレープなるものを注文した。ベリーはstrawberryだけだった。

家に帰って、店のsiteをみると、blueberryやraspberryものっていた。

 ソース

でも、ちゃんと書いてあった; 

※写真はイメージです。
※メニューの原材料や付け合わせは予告なしに変更する可能性がございます。

■ 今週の東京

■ 今週のアメリカさま、あるいは、ミサイルの標的の街へ

JR東日本と京急が共同で観光流動を創り出す

横須賀の米軍基地としての性格が観光資源となるという発想はこれまであったのだろうか?

中国の砂漠に「仮想・横須賀基地」 ミサイル実験場か

[1]

大正10年(1921)11月17日から20日にかけて、東京および横浜の二都市を含んだ武相地域(現在の埼玉、東京、神奈川の大部分)を中心に行われた。
演習の中でも、「陸軍特別大演習」といわれ、大元帥(天皇)が統監として通常は毎年1回実施。日数は4日前後となっている。
大正10年の大演習は、大正天皇の名代として皇太子裕仁(後の昭和天皇)が初めて統監を行った。
司令官は、東軍は大井成元(オオイ シゲモト)、西軍は梨本宮守正王(ナシモトノミヤ モリマサオウ)。
大本営は、横浜市。

東軍の兵力は、近衛師団、第一師団、独立歩兵聯隊、騎兵集団(第一旅団、第二旅団)、野砲第一旅団、独立重砲聯隊、独立重砲中隊、野戦高射砲、航空第二大隊、独立気球中隊、野戦電燈、軍電話隊、軍無線電信隊、軍自動車班、鳩通信班。
*東軍 航空隊:戦闘中隊(スパッド十機)、爆撃偵察中隊(サルムソン十機)、偵察中隊(モ式八機)。

西軍の兵力は、第三師団、第十三師団、第十四師団、独立重砲兵聯隊、独立重砲兵大隊、航空第四大隊、軍電話隊、軍無線電信隊。
*西軍 航空隊:戦闘中隊(ニューポール十機)、爆撃偵察中隊(サルムソン十機)、偵察中隊(モ式十機)、独立空中隊(コードロン三機、エフ六十号)

両軍の決戦は、11月19日深夜から20日早朝にかけて、多摩川をはさんで展開された。
大演習終了後の11月22日、代々木練兵場で観兵式が行われた。併せて、初めて航空隊による空中分列式も行われた。 (ソース)