いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【山麓記念日】 N度目は何劇として?...四半世紀前の今日筑波万博開幕

2010年03月17日 07時39分29秒 | 筑波山麓

元ネタ*1 
国際科学技術博覧会、「科学万博―つくば'85」が開催されて4年あまり後ひろひとさん崩御。昭和は終焉。それよりずっと前に中川一郎(科学技術庁長官)は筑波研究学園都市を万博会場に決定するも、開催前に死去。岡田有希子(下YouTube)は翌年に...。せめて、オウム事件に先立つなんちってヘッドギアーをしていたねぇーちゃんや地元夫婦を導くコンパニオンのねぇーちゃんもいまやおばさんとなってどこかで幸せに生きていることを祈るばかりだ。

【プロローグ】山田洋次監督の映画『家族』をおいらが見たのは筑波万博の頃かその少し前。日曜午後のけだるい雰囲気の中でテレビでみた。話の概要は西日本のある田舎で生活に困窮した家族が北海道に移民するというもの。その途中大阪万博に行く。おいらは映画の詳細はほとんどわすれたが、唯一せりふを覚えているシーンは倍賞千恵子演ずる北海道に移民する困窮者が万博会場でばったりその「西日本のある田舎」の金持ちらしい人物に会う。そこで倍賞千恵子演ずる女は「貧乏人が万博に来たらいけないのか!?」と言うシーン。

今から思えばバブル経済の上り坂に入っていた1980年代にこのシーンを見たおいらは、「ビンボー人がたくさん来るから万博って成り立つのだろう」と漠然と思った記憶がある。むしろ移民する困窮者より、パンタロンとかくさったサイケ風のファッションを本気で信じて着込み、万博に来ている"中産階級"人達(田舎の金持ちらしい人)こそが趣味の悪いビンボー人に違いないと、1985年の時点で1970年を見ておいらはおもった。小心者なので自己保身のために念を押すと、日本銀行券を持っていない=ビンボーということではないのです。

このビンボーくささは来る上海万博でも再現されるでしょう。むしろ、開発主義、経済成長に認められる一般的現象と言ってもいいと思います。

【2番煎じ】 ―歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として―

つくば科学博で「出ているものは、既に出ているもののおさらいといった感が深い。技術しても会場構成にしても、ほとんどが大阪の万国博のときに、ごく初期的な形で登場していたものが多い」と堺屋太一が言ったそうだ*2。

「民間出典二八館のうち、二六館が映像ショウだというし、しかもしかけが大がかりなことをのぞけば、おおむね同工異曲で原始から未来へと、人間不在のテクノロジーの進化の歴史をたどるのだから、まだほんの一部をみただけだが、ゲップがでるほど飽きあきした」針生一郎*3

1985 東芝 筑波科学博


― そのときにこそ、例の水晶宮が建つわけだ。そのときにこそ....いや、一言でいえば、そのときにこそ鳳凰が舞い降りるわけなのだ。― ドストエフスキー『地下生活者の手記』

【水晶宮】近代の開発主義に基づく万博開催ということです。その嚆矢はいうまでもなく、ロンドン万博の水晶宮。

水晶宮(ユートピア)は『何をなすべきか』の下巻にヴェーラの夢の中で出てくる(コマロービチ『ドストエフスキイの春青』128頁~)。 「水晶宮」とは万国博覧会の喩え(メタファー)である。逮捕されるまでのドストエフスキイはフーリエに熱中していた。フーリエとドストエフスキイの関係:「フーリエは平和主義者です」当時はサン=シモンもフーリエも同じように「空想」社会主義としてみられていた。万国博覧会は水晶宮クリスタル・パレスとしてみられていた。それはロンドンの博覧会(1851)が鉄とガラスでできていたから。地下室の手記の主張

サンーシモン主義、つまりは産業主義の思想。筑波万博もこの思想の延長上であったに違いない。推進者は政府の開発官僚であり、期待し後援したのは産業資本家のみなさんである。税金を5000億円つぎ込んだ。土光敏夫(上図右下参照)は博覧会協会会長。サンケイ新聞は万博閉会時の9/18に「成功した"科学のお祭り"」と題した社説を載せ、筑波万博を寿いだ。これは「魅力が薄れた国際博覧会」という題の毎日新聞の社説と対照をなす。

ただ、筑波万博には「水晶宮クリスタル・パレス」に相当するインパクトのある展示物はない。むしろ、科学万博は研究学園都市を開発する中央政府の官僚のダシにされた。目的は研究学園都市の建設促進。大目的は日本の産業化のための科学技術の供給拠点。万博の展示として水晶宮を作るのではなく、万博の後にその一体が水晶宮群になることを目指したのだ。

■四半世紀たった今、その官僚たちの目的は失敗したといわざるをえない。なぜなら、万博会場後の西部研究団地やつくば山麓の研究団地の民間企業の研究所の数は1990年代に入り増えないどころか撤退、減少している。時代はとっくに中央研究所の終焉。大学や国研と民間企業の研究所がそれぞれの役割を果たして国の産業化のために機能するということは絵空ごとに過ぎないことは今日では明らかである。たしかに、税金を注ぎ込んだ立派な道路や鉄道はできたが。今のつくばは科学技術に関連する産業(tax payer)の興隆はあきらめ、駅近くの高層住宅を作りまくって、東京に通う人を集めようとしている。でも、その高層住宅はダブついているようだ。

筑波山麓では民間企業の研究所の撤退の一方、tax eater研究所は御殿の建設ラッシュ。あの捏造のタイラーズに数(十)億円とかに限らず、どうみても産業技術に寄与しそうもない研究(にもなってない道楽)やtax eater研究者の 捨扶持 雇用維持のために、"産業"という美辞を掲げて、税金を蕩尽している。ろくでなしの楽園だ。うらやましい。

上記、土光は元祖行革の旗振り役。メザシを食べるパフォーマンスの倹約家。今じゃ政府支出の科学技術予算は3-4兆円にも及び、防衛費に迫る規模である。臨調土光も四半世紀後に科学技術が放蕩息子と化して国の財政を食い散らかす(上にアウトプットが低いとの指摘。 愚ブログ、同趣旨。)とは予想しなかったのだろう。

●【エピローグ】; 閉鎖される水晶宮をあとに。


1980年代に宮殿のような中央研究所を筑波山麓に建てたが、1990年代に閉鎖したある企業はその宮殿内の部屋を小分けにして賃貸ししていた。おいらの前の death valley キャラバン隊もそんな宮殿の一部を間借りしていた。そのdeath valley キャラバン隊が数年前解散した時、その大家さんの企業がくれた本。つまり、大家さん企業の研究所の残存書籍。宮殿に間借りした"地下生活者"が宮殿に残されていた、例えば靴1万足、をもらったようなものだ。なおもらった本はdeath valley キャラバン隊を買収した会社の所有となりました。

▼付記; 

*1:


*2,3 吉見俊哉『万博幻想』から孫引き

■なぜ3/17が開催日なのか?3/17は"真の"彼岸らしい。
東京(東京都)
2010年3月17日(水) 日の出 5:50
日南中時 11:50
日の入り 17:50
月の出 6:03
月南中時 12:34
月の入り 19:14