いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢

2007年12月13日 19時48分15秒 | 仙台・竹雀・政宗


昨晩はNHKテレビ・その時歴史がうごいた「第309回 天下に旗をあげよ~伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢~」を見る。いつもはこの番組はみないのだけれども(ずーじには寝るから)、この日昼間たまたま、上記タイトルで番組があると知り、見る。 いささか また みずから ひそかに竹雀A級を目指しているおいらとしては、万が一知らないことが登場しては末代までの恥と、小梨のくせに、思い、見る。

ほんとんど、既知。よがったぁ。 おいらのブログで言及してきた、かつ竹雀入門者には、珠玉の内容。 

この番組は、ある特定の日を「その日」として選定し、その経緯を説明する。「第309回 天下に旗をあげよ~伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢~」のその日は支倉常長が仙台に、太平洋と大西洋を往復した後に、帰ってきた日であった。

例えば、おいらが、妄想的に睨んだ通り、支倉常長が、『ドン・キホーテ』の原本をスペインから日本へ持ち込んだ!という内容はなかった。 

で、番組の「落ち」は、明治@いかサマ政府の遣欧使節団(←「文明」乞食使節団)が、欧州の当地にて、これまた奥州からの300年前の使節団を知り、びっくらコクというもの。このオチも当ブログではとうに落札済み。

で、で、知らなかったことは、むつひとさんが伊達政宗公の偉人・偉業に言及していたということ。これまで、このブログでは伊達領でのむつひとさんの足跡には言及。 そのお言葉「政宗は、武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いをはせて交渉を命じた。文武に秀でた武将とは、実に政宗のことである。」の出典はどこに? と非常に興味を持った。

果たしてそれは、伊達家十五代当主伊達邦宗氏が、十数年の歳月をかけ作成した『伊達家史叢談』とのこと。 んー、身内資料か。

たぶん、むつひとさんは、皇室の藩屏たる新華族の結束に腐心したであろうから、各々の家に「リップサービス」をした可能性はあるだろう。

とまれ、むつひとさんがどう言おうが、政宗公は、えらーいのだ。

問題は、「政宗は、武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いをはせて交渉を命じた。文武に秀でた武将とは、実に政宗のことである。」といわれて流涙し、「賊軍」の汚名も晴れただろうと思う現世の御子孫さまたちではないか?

戊辰戦争に負けた責任は重いのだよ。もし、戊辰戦争の時代に政宗公が生きていたら、あるいは政宗公の遺訓を体現した藩主がいたら、仙台はどうなっていたと思う?

残念ながら幕末の仙台藩主・伊達慶邦さんは、ホトトギスの鳴きまねができない江戸屋小猫に他ならない。もちろん、実際の江戸屋小猫さんはできる、家風を相続している。

政宗公を参照(reference)として人物が量られちゃ、たまったものではないとは思うが、大変なのだよ、貴殿らの運命は。 でも、貴殿らは貴族なんだろう?↓参照

- - 生まれたときに突然、なぜだかわからないが、自分が富と権力のなかに据えられているのを見いだす。それらは、かれに由来したものでないから、本来のかれとはなんの関係もない。それは、他の人間、他の生物、つまりは彼の祖先の残した巨大な甲冑である。しかも、かれは相続者として生きなければならない、つまり、他の生に属する甲冑を鎧わなければならない。そこで、どういうことになるだろうか。世襲<貴族>は、かれの生を生きるのか、それとも、初代の傑物の生を生きるのか。そのどちらでもない。かれは、他人を演じる運命、したがって他人でもなく、かれ自身でもない運命をしょわされている。かれの生はいやおうなく、真実性を失い、他の生を演ずる生、あるいは他の生に似せた生となる。義務としてかれが扱わなければならない財産はあまりに多いので、かれは本当の個人的な運命を生きることをさまたげられ、かれの生は萎縮させられてしまう。 - -

オルテガ、『大衆の反逆』 11 <慢心した坊ちゃん>の時代




「おまいが、ぬっぽん最初の 欧米か!」ってつっこみは、ベタだ。

でも、しちゃうよね。

「欧米か!」

●番組中、司会のその昔タクシーの運ちゃんに狼藉を働いた平成の暴れん坊将軍松平某が、政宗がヨーロッパまでわざわざ使節を派遣したのは「ダテヤスイキョウデハナイデショウ」と言ったのには苦笑した。 あれは おやじギャグだったのか?

政宗は伊達なんだよ!


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