いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

富岡製糸場

2007年02月15日 20時20分11秒 | 日本事情

 -- 翌二日、一同送りの人々に付添われまして、富岡御製糸場の御門前に参りました時は、実に夢かと思いますほど驚きました。生れまして煉瓦(れんが)造りの建物など稀に錦絵位で見るばかり、それを目前に見ますることでありますから無理もなきことと存じます。 --
和田英、『富岡日記』


佐幕タンは語りうるか - - 富岡製糸場、和田英、『富岡日記』- -







-- 私共一同は、この繰場の有様を一目見ました時の驚きはとても筆にも言葉にも尽されません。第一に目に付きましたは糸とり台でありました。台から柄杓(ひしゃく)、匙(さじ)、朝顔二個(繭入れ、湯こぼしのこと)皆真鍮、それが一点の曇りもなく金色目を射るばかり。第二が車、ねずみ色に塗り上げたる鉄、木と申す物は糸枠(いとわく)、大枠、その大枠と大枠の間の板。第三が西洋人男女の廻り居ること。第四が日本人男女見廻り居ること。第五が工女が行儀正しく一人も脇目もせず業に就き居ることでありました。一同は夢の如くに思いまして、何となく恐ろしいようにも感じました。 --
『同上』


この画像は明治5年に和田英(当時は嫁入り前なので、横田英)の見た光景と同じ光景なのである。

場内を障害物なく広く使えるように、柱がない。屋根は全て建物の壁が支えている。梁は木。つまりは木造建築。腐らないように白ペンキが塗ってある。たぶん明治5年に立てられて梁は一度も交換されてないのだろう。電気がない時代なので、壁一面ガラス張り。当時日本では、もちろん、板ガラスなどつくれないので、すべて輸入品。