真衣歌の心~蛸壺の中で

生きているとあれやこれやあるわねえ

旦那が生きた屍になるまで

2020-01-07 21:43:51 | 日記
去年の6月までは見た目にはふつうでした。
最初私は軽い脳卒中でも起こしたかと思っていました。
よちよち歩きになり発声が悪く、くぐもってしゃべっていました。
食欲も落ちましたが、好きなものは結構食べていたのと
クリニックにかかりつけていたので
あまり気に留めていませんでした。
「俺はお前より先には絶対死なん」
と言い張っていて通販のサプリを買って飲み
クリニックで保険外の高濃度ビタミン注射を2年も打ち続け
健康に相当の注意を払っていたのです。
生(せい)に対する執着心がすごかった。

しかし体の異常に耐えかねて
結局毎月していた血液検査でとんでもない数値が出て
あせっちゃたのね。
igg(?)。が10000超えちゃったの。
で紹介状貰って旭川に行っちゃったの。

白血病一歩手前だったんですって。
多発性脊髄腫で即入院で
抗がん剤はデキサメタゾンデカメロンの組み合わせ。
この予定表見て私びびっちゃった。
ステロイドの組み合わせ、
ステロイドって、最終兵器の気分。
効果もあるけど副作用もすごいって聞いていた。

2回目にダウンしちゃって
寝たっきりの人になり
紙おむつが必要な人になtり
ほとんど点滴だけの人になり
直る見込みがあるとは思えなかったけど
急ピッチで弱っちゃった。
せん妄続出で言いたい放題を言うようになった。

せん妄なら可愛いせん妄すればいいのに
相手を攻撃する方向に向かっていった。
(特に嫁攻撃よ)
人格が変わっちゃたというべきか。
あらぬことも言うけど攻撃はいかん。
私に向かって
「あいつが、こいつが、てめえが・・」
だもんね。
怒るの抑えさせなだめるのが大変だった。
この時期を考えると抗がん剤のせいだ。
そのうちおとなしくなって
口も利かなくなった。

治療の放棄は仕方ないと思う。
たとえ治療を続けても
数か月で再発し、
治療、再発の繰り返しで死に至るって
ググってみたら書いていた。
医師もそういっていた。
もう若くないから諦めるしかなかった。

9回も抗がん剤受けられそうもなかったので、
治療を途中で断念し、転院を希望したわけで
後はリハビリだか、緩和ケアだか
転院先は姥捨て山代わりになったわけ。

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