いじめを許さない教師の会

世の中から「いじめ」を撲滅し、地球的正義の実現を目指す教師の会です。2007年6月24日に始まり、現在も活動しています。

学業不振による自殺者は名門校の生徒に多い・人生の底を極めると、たくましく生きていける

2018-03-29 17:31:51 | いじめ・教育
学業不振による自殺者は名門校の生徒に多い

 青年期には学業不振による自殺もあります。

 こういう自殺は、どちらかというと、学業不振に慣れている劣等生には、わりに少なくて、むしろ秀才のほうに多いのです。

 小学校のころから優秀で、中学校や高校は名門校へ行ったり、あるいは地方から一流大学に入ったりし、そのなかで挫折感や劣等感を味わい、自殺する人が多いわけです。

 調べてみると、特に、いわゆる名門進学校の生徒のなかに、自殺する人が数多くいます。

 それはなぜかというと、それまでは、いい子で秀才で、ほめられてばかりいたのに、名門校に入ると、急に自己イメージが悪くなるからです。秀才ばかりが集まれば、あっというまに普通の人か劣等生になってしまうことがよくあります。

 いつも一番や二番の成績だった人が、名門校に入り、ビリのほうになったりしたら、もう、それだけでノイローゼになって、精神科の厄介になったり、自殺したりする場合があります。自分の評価が、あまりにも大きく引っ繰り返ってしまい、そのことを理解できないのです。

 「優秀な人がたくさん集まるところに行く」ということは、「自分の評価が下がるところへ、わざわざ行っている」ということです。そのことは、ある程度、知っていなければいけません。

 有名校に入ったために、おかしくなり、不登校になった人は、普通の学校へ転校すれば、うまくいくかというと、そうでもなくて、普通の学校へ行っても、挫折感が強く、そこでもまた駄目になることがあります。

人生の底を極めると、たくましく生きていける

 そのように、学業のほうで、かつてのような栄光が味わえない場合には、学業とは関係のないところで、人間関係を少しつくったほうがよいと思います。さまざまな稽古事や習い事のサークルなど、学校から離れたところで人間関係をつくることです。

 そういう場で、「世の中の一般の人たちは、どうであるのか」ということを見て、自分の思い詰めた気持ちを少し安らがせたほうがよいと思います。

 たいていは勘違いをしているのです。人間には、「みずからが属している集団のなかでの自分」というものしか、考えられなくなるところがあります。それで、「自分は駄目だ」と思い詰めていくのですが、日本全体で見たら、ずいぶん優秀だったりするわけです。

 また、「一番も偉いけれども、ビリだって偉いのだ」と思ってください。

 四十人のクラスの一番も偉いけれども、四十番も偉いのです。学年四百人のなかの一番も偉いけれども、四百番だって、なかなか大したものです。四百人の生徒がいれば、必ず、一番も出ればビリの四百番も出るので、誰かがビリをやってくれなければ困るのです。

 したがって、「おれが正真正銘のビリだ。他の人たちは、おれがいるから、幸福な人生が送れて、よかっただろう。おれが頑張って底辺を支えているのだぞ」と言える人は、それはそれで立派なものです。

 一番の成績を取って機嫌よくやっている人で、不登校になったり、学校をやめたりする人はいませんが、ビリであっても、学校をやめずに、機嫌よく学校に通う人も偉いのです。なかなかの根性をしています。

 そういう人は、社会に出てから出世する可能性は、かなり高いのです。「人生の底を極めた」ということで、人に踏みつけられながらも、たくましく生きていけるからです。その意味で、ビリもなかなか偉いのです。

 ビリというものは、なかなか、取れるものではありません。昔の旧制中学のころから、「上のトップと下のトップは偉い」と言われて、他の人たちから尊敬されていました。

 確かに、ビリのほうからも人材が出るのです。そういう人は、それだけ鍛えられているわけです。

 現在、ビリの人、あるいは、ビリから十番目以内に入っている人もいるでしょうが、「底辺を支える」というのも大事なことなので、耐えて生きてください。

 それでも、その学校に入れなかった人よりは優秀ですし、ほかの人たちが自殺しないように底辺を支えている面もあるわけです。そうである以上、頑張って支えてあげればよいのです。

 人生には、ほかにも、生きる道はたくさんあります。特技は幾らでも開発することが可能です。ほかの道で、優れたところを磨いていけばよいのです。

(「生命の法」第二章 自殺を防止するためには 第二節 学業以外にも生きる道がある 大川隆法著より)

いじめを許さない教師の会 会長 後藤克彦

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