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六角堂

2013年01月04日 | 歴史街道
六角堂の東門を入って直ぐの右手にある丸い穴のあいた石を「へそ石」という。かつてここが京都の中心地だったので『へそ石』と呼ぶ。
このへそ石の正体をめぐっては、石灯籠とうろうや水位計の跡とする説が有力。(元は門前の六角通りにあった)

聖徳太子が、夢のお告げによって六角形の小堂を置き、如意輪観音像を安置して建てたのがはじまりといわれる。
弘仁13年(822)に嵯峨天皇の勅願所となり、建仁元年(1201)には親鸞が六角堂に百日間籠もり、浄土真宗開宗の契機となったところ。
「六の角」とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲をいい、煩悩を脱して角を無くし円満になること。つまり「六根清浄を願う」という祈りを込めて六つの角を造ったと伝わる。

正式名を頂法寺ちょうほうじといい、山号は紫雲山。本尊は如意輪観音(秘仏)。華道の家元・池坊の発祥の地としても知られる。



錦天満宮(錦天満神社)
長保年間(999~1004)、菅原道真の旧邸菅原院の旧殿を源融の六条河原院跡地に移し歓喜寺としたが、その際道真の霊を祀って鎮守社にしたと伝える。天正年間(1573~92)に豊臣秀吉の都市計画のため、現在地に移った。

錦天満宮の場所は、「京都の台所」として有名な錦市場のある錦小路通と新京極通が(T字路の形で)交差した東側にある。

←二条通り











 <注>
 写真は、15年ほど前に撮影。



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5 コメント

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Unknown (らいちゃん)
2013-01-04 07:24:36
今日からブログを再開しました。
今年もよろしくお願いします。

親鸞聖人は六角堂に籠って煩悩を脱したようです、私は年と共に煩悩が薄れ、角が取れて丸くなったように思います。
でもネコにボインを見るとネコが羨ましいです。
まだ煩悩から脱し切れていませんね。

江ノ島からの富士山を背景にした波しぶきは見事です。
まるで現代版 葛飾北斎の「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏ですね。
1富士、2鷹、3なすびと言いますが、正月早々よい写真を見せていただきました。
ありがとうございました。
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花筆文字 ♪ 山口百恵 ( アルバム「花ざかり」 より ) (あQ)
2013-01-04 09:36:35
以前から楽しく、此方のブログを拝見させていただいておりました。
切っ掛けは、毛沢山様の(新)爺砲弾のコメ欄からです。

毛沢東と云えば、その演説の中でしばしば引用していた 「 阿Q正伝 」が有名ですので、そこから名前をいただきました。

母親が花好きで、庭に季節の花々を植えておりました。
その影響で花名はたまたまです。

今後とも、宜しくお願いします。
15年前の写真が良い雰囲気を醸していますね。(笑)
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欲がなければ生きてる価値が・・・ (「のべR山会」のK)
2013-01-04 18:55:39
六角堂は、「聖徳太子によって建てられ、黄金の如意輪観音像を安置した」
と伝えられてますが
その如意輪観音さまは一般者が拝見できるのでしょうか?
いずれにしても由緒ある御堂ですね。
私は、煩悩こそ活きる意欲でもあると思います。
いろいろな欲が有るから成長も有る、当然摩擦も有ると思いますが・・・
欲がなければ生きている価値が見いだせない。
~とう事で、私は全く悟ってないようです。

京都の中心地「へそ石」
やはり真ん中はありがたいのでしょうか
熊本県蘇陽町(現在:山都町)九州の真ん中、という事で「へその町」として知られています。

江の島からの富士山~今日は残念
また次の楽しみですね

標柱にこびりつく雪塊~これぞ通称「えびのしっぽ」。霧氷の一種です
風に含まれた水分が小枝や葉っぱ等の障害物に当たって凍りつく
そのため、風の吹く方に向かってどんどん成長していきます。
確かに雪山の厳しさが伝わる迫力のシーンですね
ありがとうございました。
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こんばんは (楽母)
2013-01-04 21:30:11
六角堂はあまりにも街中に突然出現!って感じですよね(笑) 私が行った時はやたらと鳩が多くてへそ石を隠してたほど。
錦天満宮は、新京極をぶらぶらしてたら目にとまりますね。
天満宮なので学問の神様なんだけど、なんせ、場所が場所。 ついつい錦市場の喧騒に誘われて、そそくさと食べ物方面に足がむく、という次第。
その錦市場もだんだんと様変わりしています。
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コメントに 返信 (iina)
2013-01-05 10:10:57
(らいちゃん)へ
糠漬が出されても、お口直しにもなり次の料理をたのしみにします。でも、期待した料理が出てこなかったら、
それこそ糠よろこびになりますね。

「ぬかるむ」が、あるいは「糠」に通じるかと調べたら、「泥濘るむ」と当てるそうです。勘違いし 「抜かって」しまい
ました。ぬかぬか難しいです。

親鸞聖人こそ煩悩のひとだと考えます。その悩みを基に、後の世の門弟たちが浄土真宗を浄土宗から別れさせ
たもののようです。僧侶なのに女犯の戒律が守れぬのなら、妻帯して「南無阿弥陀仏」と念仏すればよいと法然
上人が親鸞に諭します。親鸞でさえ左様ですから、われわれ凡人はなおのこと煩悩に悩まされます。
さまたげになるのなら、それを受け容れ、ただただ念仏せよと法然の浄土宗は教えます。




(あQ)さん へ
ハンドルネームの「あQ」さんのイワレに、なるほどと思いました。Qといえば、「オバケのQ太郎」がいるし 「ウルトラQ」
がありました。

15年前は、鞄に使い捨てカメラを忍ばせて1箇所1ショットを基本に撮ってました。少し写真が綺麗なのは、一眼レフ
を使ったものです。

なお、すでに今日の記事にもコメントを頂きましたが、一日遅れで返信させていただいています。 m(_ _)m




(「のべR山会」のK)さん へ
神社仏閣は、どこでもありがたがられていますね。はじめは、主柱に分社を願い出て、許されて各地に広まった
のでしょう。権威が必要であり、相応のお願いをしていると思われます。

六角堂の本尊の如意輪観音さまは、(秘仏)とされていますから非公開でしょうね。境内には通り抜けでき、無料
開放しています。

京都の真ん中が、ありがたいのかどうか不明ですが「へそ石」が残っているということです。
平安遷都のとき、邪魔なので天皇が使者をたて南北どちらかに少し動座を祈願されると、礎石(へそ石)一つ
残し御堂がにわかに5丈(約15m)ばかり北へ退いた話が伝わります。六角堂は謙虚な建物のようです。




(楽母)さん へ
六角堂は、烏丸通にあるので小さいながら目につきます。

大阪に赴任する前が富山でしたから、井波の瑞泉寺が越中一揆の寺で、浄土真宗なのに神教であるべき聖徳太子
の曼荼羅があるのを不思議に思ってました。親鸞は六角堂で夢に太子が現れ、法然の元へ行けと啓示を受けたから
でした。 政治的にいうと、皇室に結びつけたのでしょうね。
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