命運もつき、相果てる。
悲しい歴史の蔭山の里(中世の船津、山田、豊富の広範囲の地域)
悪名高い高師直の追手に追われた塩谷高貞公とその一族は、都から出雲へ二手に分かれて逃げ帰りましたが、夫人で美人の誉れ高い早田姫(後醍醐天皇隠岐の島脱出の恩賞)は、ここ蔭山の里酒井村(姫路市豊富町酒井地区)まで命からがらたどり着きましたが、身も心も尽き果て、命運を悟り、この地で自害しました。
その時、「この松、心あらば、自分の名を残し伝え、朽ち果てさせないで」と片袖を松に懸けて、相果てたということです。
それからいつの頃からか、人はこの松を「袖懸けの松」と呼ぶようになりました。
村人が塩谷高貞公一族を弔うために堂を建てようとした時、観音仏が出てきたので、それはきっと夫人の物であろうと思い、それを本尊にし、夫人のおくり名を寺号にして建てられたのが、近くにある円通寺です。
悲しい歴史の蔭山の里(中世の船津、山田、豊富の広範囲の地域)
悪名高い高師直の追手に追われた塩谷高貞公とその一族は、都から出雲へ二手に分かれて逃げ帰りましたが、夫人で美人の誉れ高い早田姫(後醍醐天皇隠岐の島脱出の恩賞)は、ここ蔭山の里酒井村(姫路市豊富町酒井地区)まで命からがらたどり着きましたが、身も心も尽き果て、命運を悟り、この地で自害しました。
その時、「この松、心あらば、自分の名を残し伝え、朽ち果てさせないで」と片袖を松に懸けて、相果てたということです。
それからいつの頃からか、人はこの松を「袖懸けの松」と呼ぶようになりました。
村人が塩谷高貞公一族を弔うために堂を建てようとした時、観音仏が出てきたので、それはきっと夫人の物であろうと思い、それを本尊にし、夫人のおくり名を寺号にして建てられたのが、近くにある円通寺です。
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