被災地のこどもたちに人形劇を届けよう! ★ いい顔・笑顔 人形劇の会 ★ @ ブログ

東日本大震災の被災地の子どもたちに、人形劇による楽しい時間を届けるためのネットワーク。

人形劇トロッコ 潟見英明さんからの 4月15日のメールより

2011年06月27日 | あの日を忘れないために

被災地に向けての人形劇の活動記録として、ご本人のご了承をいただいたうえで過去のp-punchのメールからピックアップし、少しずつこの場で紹介していきます。

 

4月5日から11日まで、東北に行ってきました。
山形酒田市で「飽海の人形芝居」という猿倉人形芝居を中心とした展示(4月7日から5月31日まで)があり、後半は都市間バスで行ける仙台まで行き、仙台周辺地域(多賀城、塩釜)でこどもたちに人形劇をと思ったのです。

 仙台市は駅周辺だけ見ると、さほど以前とかわらぬようにも見えますが、建物の損傷や、並ぶ商品の量には明らかな違いがあります。中心からバスで10分も走ると1ヶ月たちだいぶ片付けられてきているとはいえ、テレビ映像でこれでもかと流れてるような状況の地域もあります。
滞在中にも大きな地震が来て、即停電で真っ暗になりまったく情報が入らず、湯も暖房もないなかで、こどもたちの不安・恐怖を直接に感じました。

 こどもたちですが、そんな中で明らかに恐怖とストレスにおいやられています。ハイテンションだったり、恐いと口に出すこどもが少なからずいたりしました。理屈も全体像もわからないこどもたちの不安をすこしでも和らげるために、人形劇が有効なことは阪神大震災の経験で知っていますので、できれば早い機会にと思っていました。
私はなんの伝手もありませんでしたので、現場に飛び込みで行きました。足は鉄道がまったく動いていなかったので、とりあえずバスで行ける範囲を目指しました。バスは近隣都市をむすぶ臨時路線がたくさんありますが、現地で張り紙など見てはじめて具体的な時間や行き先が分かるようなことでしたが、なんとか乗り継いだり、後はとにかく歩いてキャリーを曳き目的地へ向かいました。荷物は最小限のトランク2個ですが、バスは結構込むことが多く、通路は邪魔になるので荷物で座席を占領せざるえないことがあり、心苦しい思いをしました。

 避難所は、ちょうど役所の年度替りによる統合したり移動したりの最中で、まともに受付へ行くと体よく断られることが多々ありました。もっとも素性もわからない怪しげなのが突然現れて、こどもたちに人形劇をみてもらうことの意味など話し出されても、このいそがしいのにと思われるのは致し方ないことで、断られたら早々に引き下がり裏?へ回ってこどもたちによびかけて勝手に始めるというやりかたで、それなりにこどもたちが(おとなもですが)集まってくれました。これは街頭紙芝居とおなじやりかたですね。

 保育園も行きました。くっきり天井近くに線が残り、かろうじて水没を免れた2階で保育がおこなわれてましたが、こどもたちの恐怖はどのようなものだったのか、消えていない水の線のようにその恐怖はまだほとんどこどもたちから抜けていないのです。
じっさいに人形劇を観たこどもたちにすこしはその表情に変化があったように思えました。

終わってから、最初人形を恐がった男の子もみんなと同じように人形とハイタッチしてくれました。

 できれば早くこどもたたちに人形劇が果たす役割をすべきだと思っていましたので、私はまったくの飛び込みでしたが、避難所、幼稚園、保育園など新年度、新学期も動き出し、少しは落ち着きはじめているようなので、今後は直接電話で事前に確認されると受け入れてもらえるでしょう。
自前の車があれば移動は問題はないし(ガソリンは現地でほぼ問題ないようです)、食べ物などコンビニなどはまだだめでも被災した食堂や居酒屋などがおにぎりや弁当をなんとか作って店頭で並べているところがあり、そういったものを食させてもらうのも支援のひとつといえるかもしれません。

 仙台市の受入れ担当者によると、避難所などは自治組織を作りつつあるので、今後人形劇の受入れなどもプログラムしたい、とのことです。「いい顔」として対応することができればいいなと思います。

 いずれにしても、被災地は阪神の時とまったく違うほどの広い地域であり、これからは放射能問題がさらに大きくなるでしょう。
それでも人形劇がこどもたちのところへ向かう意味はもっと大きく、私もまた機会をつくっていきたいと考えています。