貧者の一灯ブログ

趣味のブログを徒然に 神戸発信…

貧者の一灯・歴史への訪問

2023-12-12 18:22:30 | 貧者の一灯





















※…
お母さんは、どういう訳か姉のお千代が大嫌いで、
いつも妹のお花ばかりを可愛がっていたのです。  

ある冬の寒い日の事、お花がこんな事を言いまし
た。 「お母さん。お花、イチゴが食べたい」  

するとお母さんは、お千代に言いつけました。

「お千代、お花の為に、いますぐイチゴを摘んで
おいで」 でもイチゴは夏の果物なので、こんな
寒い冬にあるはずがありません。  

そこで、お千代は、 「しかし、お母さま。冬に
イチゴなんて」 と、言ったのですが、 「つべこ
べ言うんじゃないよ! 可愛いお花がイチゴが食
べたいと言うんだから、お前はイチゴを摘んでく
ればいいんだよ! 

ほれ、弁当におにぎりをやるから、はやく行くん
だよ!」 と、お母さんはお千代を家から追い出
してしまいました。  

さて、お千代は仕方なく雪の降る山へと行った
のですが、どこにもイチゴなんてありません。

「どうしよう。でも、このままでは帰れないし・
・・」  

困ったお千代が雪の上で途方に暮れていると、
近くの山小屋に住むおじいさんが、お千代を
自分の山小屋に招いて言いました。

「どうした。こんな雪の山に、たった一人で何
をしにきたんじゃ?」

「はい、お母さまに、イチゴを摘んでこいと言
われたので」

「そうか。イチゴをのう。それより、寒いだろう。
遠慮せずに火にあたれ」

「はい。ありがとうございます」 お千代は火
にあたりながら、おじいさんに尋ねました。

「おじいさん、お弁当を食べてもいい?」
「ああ、いいとも、いいとも」  

お千代が弁当の包みを広げると、そこには米が
一粒も入っていない、小さなヒエのおにぎりが
一つ入っていただけです。  

それを見たおじいさんは、お千代に尋ねました。

「すまんが、わしにも、ちょっと分けてはくれ
んか?」

「うん。これでよかったら、みんなあげる」

「そうか。お前はいい子だな。・・・そうそう、
イチゴを摘みに来たのなら、小屋の前の雪の消
えたところへ探してみるといいぞ」  

そこでお千代が小屋を出てみると、雪の消えた
ところにまっ赤なイチゴがたくさんあったのです。

喜んだお千代は、カゴいっぱいにイチゴを摘ん
で家へ帰りました。  

すると、イチゴを摘んでこいと言ったお母さん
がびっくりして、お千代に尋ねました。

「お千代、お前、この寒い冬のどこにイチゴが
あったんだい?」  

そこでお千代は、お母さんとお花に、山小屋で
の出来事を話してきかせました。  

するとお花が、 「明日は、お花がイチゴを摘み
に行く」 と、言い出したのです。  

そして次の日、お花は、お母さんが用意してく
れたお弁当とカゴを持って、お千代に教えても
らった山小屋のおじいさんのところへ行きました。

「おじいさん。わたし、イチゴを摘みに来ました」

「そうか、イチゴをのう。それより、寒いだろう。
遠慮せずに火にあたれ」  

お花は火のそばに行くと、何も言わずに弁当を
広げました。  

お弁当は、お千代の時と違って、美味しそうな
白米のおにぎりが二つ入っていました。  

それを見たおじいさんは、お花に尋ねました。
「すまんが、わしにも、ちょっと分けてはくれ
んか?」  

しかしお花は、 「いやや、これはお花のだから、
おじいさんにはやれん」 と、おじいさんの目の
前で、二つのおにぎりを美味しそうに食べてし
まったのです。  

がっかりしたおじいさんは、お花に言いました。

「お前、イチゴを摘みにきたのなら、小屋の前
の雪の消えたところへ行ってみな」  

そこでお花が小屋を出てみると、雪の消えたと
ころにまっ赤なイチゴがたくさんあったのです。

お花はそのイチゴをかごいっぱいに摘むと、喜
んで家へ帰りました。

「お母さん、ただいま。イチゴをたくさん摘ん
できたよ。ほら」  

お花がそう言ってカゴを開けてみると、中には
イチゴではなくて、ヘビやカエルやムカデがい
っぱい入っていたそうです。。













※…
会社に入って3年目に、マンツーマンで一人の
新人の教育を担当する事になりました。

実際に会ってみると覚えが悪く、何で俺がこの
子を担当するんだろうと感じました。

しかし仕事ですから、現場で教えて行きました
が怒鳴る事多々。半年が過ぎようとした時に彼
は元気がなくなり、会社を休むようになりました。

休むようになって2週間後に、この子の両親から
小生と当時の部長へ会って話したい連絡があり
ました。

小生が怒鳴る事が多々だったので、その子に精神
的ダメージがあり両親が訴えているのかと思いま
したが、その子の両親から、その子が癌が発見さ
れ余命2年は持たないとの報告がありました。

両親は体調を見ながら癌だからと小生の指導の手
を抜かないでと哀願されました。

一人前の社会人として旅立って欲しいとの事でした。



彼の一時復帰後に、小生は必死に色々なことを教
えました。 しかし、先が短いから色々な事を覚え
て欲しくて強く対応してしまいました。

いつも会社が終わった後、居酒屋で強く当たり過
ぎたんじゃないかと、酒を飲みながら泣いていま
した。

そしたら、たまたま同じ部署の女の子が泣きなが
ら飲んでいる小生を見つけて、声をかけてきました。

以前女子会で、その居酒屋で小生を見たそうです。
訳を話してしまいました。

だから辛いから酒を飲んでいるんだと。

すると彼女は怒鳴り始めました。 「社会では、
辛い事を一杯抱えてている人がいる。酒を飲ん
で解決するなら皆べろべろになるまで飲んでる。

それに、あなたは明日から二日酔いに近い状態で、
あの子に指導するの!」

目が覚めました。もっと心身とも万全であの子
に指導しようと決めました。


※ しかし、若いから癌は進行します。

彼は3ヶ月を過ぎた頃に体調が悪くなり入院しま
した。 見舞いに行くと彼はベットから、 「復
帰したら、また色々と教えてください」

小生は両親からのお願いを思い出し、 「あ~、
もちろんビシビシいくよ」 と言って病院を去り
ました。


※ その後、約10日後に彼はこの世を去りました。

お通夜に彼の両親から一冊のノートを手渡され
ました。

小生が彼に教えた事をノートにまとめていたの
です。 最後に入院した際にも元気な時はノート
をまとめていたそうです。

涙が出てきました。 でも小生は、そのノートを
受け取る事ができませんでした。

彼の両親に、彼の得たノウハウは彼が行った天国
に持って行ってくださいとお願いしました。

ノートは棺に入れて火葬されました。
一冊のノート。今でも忘れられません。…








貧者の一灯・THEライフ

2023-12-11 15:38:42 | 貧者の一灯





















※…
愛するペットの治療に、あなたはいくらまで出せ
るだろうか。

「50代女性のケースでは、獣医師から『膀胱の
全摘手術で70万円』と告げられ、治療を断念する
しかなかった。…

※…
朝の散歩で、愛犬は真っ赤な血尿を出した

「膀胱がんですね。◎△動物医療センターに仮
予約したのでCT検査を受けてください」

エコー画像を指し示しながら獣医師は淡々と言っ
た。 50代女性の愛犬(オス)は当時12歳。

その日は土曜日で、大学生の娘と連れ立って朝
の散歩をしていた途中、真っ赤な血尿を出した。

過去何回か膀胱炎で、薄っすらとピンク色の尿を
したことはあったが、これほど真っ赤なのは初め
てだった。

慌てて愛犬を抱きかかえ、幼犬の頃からかかって
いる動物病院へと駆け込んだ。

診断の参考にするために血尿もティッシュペーパ
ーで拭き取って持参した。

(まさか、膀胱がんだなんて) 病名を聞いたと
たん頭の中が真っ白になった。と同時に不安にな
った。

愛犬は先天性の障害があったためペット保険は
未加入。獣医師が予約した動物医療センターは
最高の治療が受けられるが、それだけに高額だ。

かつて歯の疾患で同センターを受診した際には、
動物専門の歯科医と麻酔科医、消化器科医が3人
がかりで診てくれて、1日の入院+治療費は9万円
を超えた。

手厚さから考えれば決して暴利ではないと思う。

だが、気軽に出せる金額ではない。ましてCT検査
は高額だと聞いている。払いきれるだろうか。


※… 
検査だけで20万円、手術をしても余命3カ月

女性は獣医師に尋ねた。「CTじゃないとわから
ないんですか。◎△動物医療センターは高額で
すよね。いくらぐらいかかるんでしょう」

「20万円ぐらいかな。血尿の状態から言ってかな
り悪化しているから、急いで行ってね」

こともなげな返事が返ってきた。ではがんだと
分かったら、治療はどうするのか。

【獣医師】膀胱は全摘手術になるだろうね。

【女性】全摘……。それでどれくらい生きられ
るんですか。

【獣医師】相当悪そうだから、3カ月ぐらいかな。

これから検査、診断をして、手術まではどれくら
いかかるのだろう。

退院して、手術の痛みが癒える頃には病状が再び
悪化する、あるいは体力が尽きて死に至るかもし
れない。

聞きたいことは山ほどあったが、獣医師は次の
患者を呼び入れ、愛犬の診察は終了となった。

手術になれば、さらに50万円… 女性と娘は茫然
と帰路に就いた。涙がどっとあふれてくる。

「余命3カ月、手術するって。そんなに悪化して
いるの。痛いでしょ。早く気が付いてあげられな
くてごめんね」

泣きながら話しかけると、愛犬は大丈夫だよと
言うように懸命に顔をなめてくる。健気さに涙
が止まらない。…


※…
帰宅して、今度は◎△動物医療センターに電話
を入れた。CTは20万円として、それでがんが見
つかったら、手術費用はいくらかかるのか。

【相談員】そうですね、CTが20万円、手術は50
万円です。クレジットカードでお支払いいただ
けますよ。予約はいつになさいますか。

【女性】高額なので迷っています。他の獣医さん
にセカンドオピニオンをお願いしてみるので待っ
てもらえますか。

【相談員】では、どうされるかお決まりになりま
したらまたお電話ください。

迷いに迷い、手術しないことを決めた

愛犬は大切な家族だ。ペットショップで売れ残り、
3分の1にディスカウントされていたところを引き
取り、育ててきた。

穏やかで、優しく、甘えん坊な、一家の末っ子だ。
(いくらかかろうとも治療してあげるべきで、金
銭的な理由で治療をためらう自分は、愛情が足り
ないのかもしれない)

(だが、70万円は正直きつい)
(手術をしても余命3カ月。転移している可能
 性もある)
(愛犬には治療の意味が分からない。ただ、痛く
 て怖い思いをさせられていると思うだろう)
(手術そのものの危険、麻酔の危険、後遺症も
 心配だ)
(末期の膀胱がんは相当痛そうだ。

数年前に膀胱がんで亡くなった友人の母親は緩
和ケアが上手くいかず「痛い、殺して」と嘆願
しながら逝ったと聞いた。

人間でさえ上手く行かないことがあるのに、犬
はどうなのか) (痛く怖い思いをさせてまで数
カ月延命させることが、本当に愛犬のためにな
るのだろうか)

迷いに迷い、調べ、家族とも話し合った結果女性
は、「がんと診断されても、手術は受けさせない。

穏やかに逝かせてあげたいので、できる限りの緩
和ケアをしてもらう。

最期まで諦めずに治療することこそ最善と考える
獣医師から提案されることはなかったが、あまり
にも痛がるようなら安楽死もやむを得ない。

その時は、家族全員が見守る中で逝かせよう」
と決めた。…


※…重要なのは動物と飼い主さんのQOL

「今回お聞きした内容だけからすると、適切な
インフォームドコンセントが行われたか疑問に
感じます。」

動物の虐待や安楽死の問題に詳しい帝京科学大学
の佐伯潤教授は、いぶかし気に語った。

「動物の現在の状態を踏まえて、必要な検査や
治療について選択肢を示し、それぞれのメリット
とデメリットも説明し、飼い主さんと話し合い、
理解を得ながら、個々の症例で最良と思われる治
療方針を選択していく必要があります。

特に深刻な病状の動物では、重要なのは動物の
QOL(クオリティーオブライフ:生活の質)に
ついてしっかり考えることです。

そして、もう1つ重要なのが飼い主さんのQOLです。

経済面でも生活面でも、飼い主さんができる範囲
であることが大事で、飼い主さんの生活が犠牲と
なり、破綻してしまっては意味がありません。

末期のペットの看護は大変です。終日面倒がみら
れる時間と体力があって、十分な治療費がかけら
れて、治療後2年3年生きられるだけでも構わない
という飼い主さんは多くはないはずです」

従来までの日本の獣医学教育では、先端の獣医
療の教育は行われてきたが、インフォームドコ
ンセントやQOL等、倫理的な課題についての教育
は十分に行われているとはいえないのも問題と
いう。

安楽死は獣医師に認められた最後の治療法でも
あります。 また、適切なインフォームドコン
セントにおいては、専門職として獣医師の責任
も重要ですが、飼い主さん自身も、獣医師の説
明を真摯に聞き、疑問があれば質問したり調べ
るなどして、自らの希望を獣医師に伝えるなど、
主体的に考える義務があります。

獣医療では、飼い主さんは、治療者側でもある
とも言えるのです」


※…「飼い主が何を大事にしているか」を把握
する

膀胱がんの検査にCTを使うことは適切ではあるが、
その前に、飼い主の希望も聞き、尿中の細胞の検
査等、の体の負担や飼い主さんの費用負担の少な
い検査を行うのが一般的だ。

また治療方法についても、飼い主が何を大事にし
ているかを把握し、外科手術以外の複数の選択肢
を示すことも重要である。


※…
日本人が好む「動物愛護」という言葉の問題点

動物福祉は、動物が本来生きやすくなるための
環境整備であり、動物主体。

動物愛護は、人間側の意思や個人の意志でなされ
るものであり、人間主体。と定義されている。

動物愛護では「人間による動物の利用を否定」し
ているのに対し、動物福祉は、「動物を利用する
ことを否定してはいないが、その際には動物の感
受性を考慮し、心身ともに健康的な生活を送るこ
とができる飼育環境をめざす」という考え方が前
提にある。

「動物福祉は科学の1つでその判断には根拠が必
要です。どれくらいの痛みなのか、苦しみなの
かを客観的に判断する必要があります。

たとえ末期がんの動物でも、痛みのコントロール
ができていれば、飼い主さんには痛がって鳴いて
いるように見えても痛がっているのではなく動け
ないから動きたいと訴えているだけということも
あります。

日本の多くの動物をめぐる問題では感情的な議論
で終始してしまい、人と動物の違いや人が動物を
飼育する意義を考え、理解しようとする努力が不
足していると思います。

あくまで人間が感じるかわいそうという感情に
基づくのではなく、動物のことを真に理解し、
動物主体での議論を行いながら、動物の命や人
と動物が共に生きることについて考える必要が
あります」

日本では、動物愛護という概念さえも新しい。

たとえば、ほんの数十年前までは、犬と言えば
番犬で、猫はネズミを捉えるために飼われるも
のだった。

殺処分が問題にされるようになったのも、この
10年ぐらいことだ。

動物愛護から動物福祉への進化には、日本人が
感情的にならずにディスカッションできるよう
になる必要がある。…


※…冒頭のエピソードの続き。

愛犬を腕の中で看取ることはできたけど… 犬
友のクチコミで見つけた別の動物病院でセカン
ドオピニオンを受けた結果、女性の愛犬はがん
ではなかった。

詳しい病名はわからないままだ。血液検査と新
型のエコー検査を受けた時には症状が消失して
いたからだ(血液検査の結果、高脂血症気味だ
った)。

ただ、その半年後、実は糖尿病であることが分
かった。

全身に広がった火傷状の感染症、体重半減、一日
2回のインスリン注射、一回30分以上を要する食
事の介助、白内障による失明、不眠、一日おきの
通院、

心不全を経て亡くなるまでの10カ月の闘病生活は
壮絶だったが、最後は腕の中で看取ることができ
た。 10カ月間の医療費は60万円を超えた。…















※…
生涯、未婚を通した笠置シヅ子だが、大恋愛を
したこともあった。

作家の青山誠さんは「太平洋戦争が始まり、ジ
ャズを歌っていたシズ子は敵性歌手の烙印を押
され、長い歌手人生のなかで最悪の時期を迎えた
が、最愛の男性と巡りあったのもこの頃。

女性の方が9歳も上という当時では考えられない
恋は、戦時下だから成就した」という。


※…シヅ子のタイプは上品で育ちが良さそうな
貴公子 それは昭和18年(1943)6月28日のこと
だった。

名古屋へ地方巡業にでかけたシズ子は、親交の
ある新国劇の辰巳柳太郎が同市内で公演している
ことを知る。

挨拶をしようと彼の楽屋を訪れ、そこで偶然に出
会った男性と恋に落ちてしまう。

シズ子が楽屋に案内された時、辰巳はファンの芸
妓げいこ衆に囲まれて楽しそうにしていた。

狭い室内は足の踏み場もない状況。あまり長居し
ては迷惑になりそうなので、挨拶だけすませて帰
ることにした。

楽屋入口の暖簾に手をかけた時、外の廊下を所在
なげにウロついている青年の後ろ姿が目に入る。

辰巳を訪ねて来たようだが、女性だらけの楽屋に
入ることを躊躇していたのだろう。

青年に声をかけて、中に入るよう促そうとしたの
だが……振り返った彼の顔を見て衝撃がはしる。

声をだせずに、立ち尽くしてしまった。 眉目秀麗
でアメリカの映画俳優のジェームズ・スチュアート
に似た雰囲気。と、いうのがシズ子の青年の第一
印象だった。

上品で育ちが良さそうな貴公子タイプは、ストラ
イクゾーンのど真ん中。彼女は大阪の松竹楽劇部
時代に恋焦がれた男性がいたのだが、それも名家
出身のイケメンだったという。

相手もシズ子に気がついたようで、チラリとこち
らに視線を向けてきた。視線があわさってドキド
キと胸が高鳴る。

お互い黙ったまま会話することなく、しばらくす
ると青年は楽屋に入ることを諦あきらめて立ち去
った。それはほんの一瞬の時間だったと思うのだ
が、残像が目の奥に焼きついて消えない。

眉目秀麗な美男子・吉本穎右はシヅ子のファンだ
った あのときのシーンを思いだせば、ウキウキと
きめいて踊りたくなるような気分、ステージでは
忘れていた感覚を思いだす。

それから数日後、シズ子が舞台を終えて楽屋に戻
ると、吉本興業の名古屋会計主任が彼女に面会を
求めて訪ねてきた。

吉本興業は戦前からすでに松竹や東宝とならぶ大
手資本だが、興行は落語や漫才に特化されている。

彼とは挨拶する程度の顔見知りではあるものの、
お笑いの世界とは畑違いの彼女とは仕事で関係す
ることはなかった。

それが何の用事でわざわざ楽屋まで訪ねて来るの
か? 不思議に思ったのだが、とりあえず話を聞
こうと楽屋に案内させる。

と、心にまた衝撃が走った。彼に伴われて昨日の
青年が入ってきたのである。

「じつは、ぼんに頼まれて来ましたんや。

ぼんは笠置はんのファンだんねん」 彼はそう言
って青年を紹介する。青年の名前は吉本穎右えい
すけ。吉本興業の総帥である吉本せいの一人息子
だった。

早稲田の学生だった穎右はシヅ子より9歳下だっ
た いかにも御曹司らしく、穎右は仕立ての良い
高級な背広をお洒落に着こなしていた。

が、帽子を取って挨拶すると、その服装には似合
わぬ坊主頭。早稲田大学の学生だという。

当時の大学生は坊主頭が大半だった。6月に政府が
学徒動員に関する決定をした関係で大学の夏休み
が早まり、大阪に帰省する道中で名古屋に立ち寄
り遊んでいたと言う。

あのときは気がつかなかったのだが、よくよく見
れば、その顔には少年っぽいところが残っている。

29歳のシズ子とは9歳の年齢差があった。それに
気がつくと、ときめいて浮かれていたことが馬鹿
馬鹿しく思えてくる。

当時のカップルや夫婦は、女性が年上というのは
かなり稀まれ。10歳近い年の差ともなれば、恋愛
関係が成立することはまずありえない。

相手の年齢を知って冷静になれた。

緊張がほぐれ心に余裕ができてくると、 「じつ
は数日前にもお会いしてましてん。

知ってまっか?」 いつもの調子で軽口が叩たた
けるようになる。

「知ってますよ。辰巳さんの楽屋ですよね。会
釈したんですけど、なんや知らん顔してはりま
したね」

「あのときは、ボウとしてましてん」
「よう言わんわ」

「年の離れた姉と弟」として、つきあい始めた
ふたり さすがに吉本興業の跡取り息子、漫才師
のようにテンポ良く切り返してくる。

大阪弁でボケたりツッこんだりしながら語るう
ち、距離はぐっと近くなり親近感が湧いてきた。

楽しく会話ができている。波長があう。恋人同
士にはなれずとも、年の離れた姉と弟。そんな
感じで楽しくつきあえれば……と、期待も湧い
てくる。

シズ子は弟の八郎を溺愛していた。多少ブラザー
コンプレックスの傾向はあったか? 穎右はこの
翌日に、和歌山県の海辺に行って海釣りを楽しん
でから実家に帰ると言う。

シズ子も翌日には次の公演先である兵庫県の相生
へ向かう予定だった。

「それなら、大阪あたりまでご一緒に行きましょ
か?」 そう言って誘ってみる。

街ではデートしているカップルの姿などめった
に見かけない時代。戦時下の非常時、そういった
行動がひんしゅくを買うことは多々ある。

もしもマスコミに見られでもしたら「スヰング
の女王と吉本興業の御曹司が逢引」なんてスキャ
ンダラスな記事を書かれる危険もあった。

そうなったら目もあてられない。 仕事にも響く。
それは分かっていた。

また、相手もそのあたりのことは理解して、誘い
に乗ってこないだろうと思っている。つまりは
社交辞令、軽い冗談のつもりだった。

「いゃ、それは……」

やはり、困惑した顔で言葉を濁している。その
態度を見て、可愛いと思う。

この後、しばらく歓談して穎右は帰っていった。
一人で楽屋に取り残されると名残惜しさが湧きあ
がってくる。…


※…
ボケとツッコミの呼吸が合って、どんどん親しく
なる

翌日、名古屋駅に行くと、今度はシズ子が困惑
する番だった。改札口に穎右がいる。

「やっぱり道連れさせてもらおう思いまして、も
う笠置さんの席も取ってあります」 そう言って彼
女のスーツケースを抱えて列車へと先導する。

レディー・ファーストが身についている。穎右の
洗練された行動に心がまたときめいて、9歳の年齢
差が意識からしだいに遠ざかってゆく。

道中の列車の中では話も弾んだ。シズ子が冗談を
言えば、間髪容れずに気の利いたツッコミが返っ
てくる。

やはり、波長があう。

穎右はシズ子が列車を乗り換える神戸まで一緒に
ついて来て、荷物の上げ下ろしなど甲斐甲斐しく
世話を焼いた。

神戸駅のホームで別れの挨拶をすると、名残惜し
さがまた胸にあふれてくる。もっと一緒に居たい。
立ち去ってゆく穎右の後ろ姿を見つめる。

それは、もはや恋する乙女の目になっていた。

相生での興行を終えて東京の家に戻ると、穎右か
らの手紙が届いていた。名残惜しい気持ちは相手
も同じだったようである。

夏休みが終わって穎右が東京に戻ってくると、
シズ子は我慢しきれず一人暮らしの彼の家を
訪問した。

それを2回3回と繰り返すうち親交は深まってゆく。

しかし、ふたりは恋人同士といった感じではなく、
傍はたから見ても姉と弟のようにしか映らない。

最後の一線は越えず、親しい友達の間柄で止とど
まっていた。

坊ちゃん気質なのだろうか、穎右はおっとりし
て優しい性格だったという。

それをいいことにシズ子は、「あれを買こうて
きといてな」と、横柄な態度で用事を頼んだり
する。

また、 「なんや、興行師の子せがれの癖に」
などと、小馬鹿にしたような口を聞くこともよ
くあった。

まるで姉が弟をからかうような……それを意識し
ての言動だったのかもしれない。


※…
恋仲になれば母親の吉本せいに猛反対されること
は見えていた

ふたりが恋仲になっても、結婚は絶対に許されない。

息子が9歳も年上の女性と交際していると知れば、
普通の親でも猛反対する。

吉本興業の跡取り息子となればなおのこと。周囲
から祝福されることのない関係はいずれ破局する。
不幸な結末が目に見えている。

それなら姉弟のような親しい関係のままで、いつ
までも楽しくつき合うほうがいい。深入りせぬよ
う予防線を張っていたのだろう。

穎右もシズ子にはファンや友人という粋を越えた
恋愛感情を抱くようになっている。 が、自分の
立場を考えると軽はずみな事はできない。

沸き起こる恋愛感情を抑えて、擬似姉弟の関係が
つづく。 友達以上恋人未満。そこから先になかな
か進めない。

恋愛ドラマではよくあるパターンで、観ている
側にはじれったい。あれこれと理由をみつけて行
動を起こさないことを正当化するのは、現実世界
でもよく見られること。恋に奥手な者たちにはあ
りがちだ。


※…
おそらく穎右がはじめての男だったのではないか

舞台の上では奔放な恋多き女といった印象のある
シズ子だが、これまでの実生活で男の影はなかった。

松竹楽劇部時代に恋していたという名家出身の
イケメンにも、自分からアクションを起こすこと
ができず遠目に眺めるだけ。

やがて男性は他の女性と恋仲になってしまい、そ
れを知った彼女はしばらく不機嫌に荒すさんでい
たという。

おそらく、穎右がはじめての男だったのでは?
彼女を知る友人・知人にはそう考える者が多い。

ふだんは気軽に話しかけて人との距離をずんずん
と詰めてくるが、恋がからむと腰が引けてしまう。

恋愛下手の奥手は、生真面目で潔癖な性格も災い
していたか。

家族や自分を頼る者たちの生活を守らねばならな
い。その責任感に心を支配されて、色恋のことを
考える余裕がなかったという事情もある。

その「責任」が穎右との関係を先に進めないこと
の理由のひとつ。恋愛感情を押し止める防波堤の
役割を担っていたようだ。…


※…
戦火が激しくなり、明日をも知れないときつい
に結ばれる

しかし、強固な防波堤もやがては決壊してしまう。

昭和19年(1944)3月に「笠置シズ子とその楽団」
は解散に追い込まれた。

シズ子のマネージャーが彼女に無断で楽団を興行
師に転売し、演奏者やスタッフを全員引き抜かれ
てしまったのである。

信頼していたマネージャーの裏切りはショックだ
が、大勢の人員を養う責任からは解放されて少し
身軽になった。

それが引き金になったのか、 「私たちが具體的
(具体的)に相愛の仲になつたのは、名古屋で知
り合つてから一年半後の昭和十九年の暮でした。

サイパンが落ちて、今にも本土の上空に大編隊が
飛萊するかとの恐怖の中で、それまで撓たわめに
撓められていた私たちの情炎は火と燃えさかりま
した。」

姉弟の関係を越えてしまったときのことが自伝に
綴つづられている。

お互い我慢をかさねてきただけに、そこから先は
関係が深まるのは早い。幸いだったのは、戦局の
悪化である。

米軍機の空襲に怯おびえる世間には、もはや人気
歌手と御曹司のスキャンダルに関心を示すような
余裕はなかった。…








貧者の一灯・特別編

2023-12-10 15:41:39 | 貧者の一灯





















※…
ある晩、ネズミが一匹桶の中に落ちた。

飛び上がって出ようと最初は大いに努力したが
桶が深くてとても無理であった。

そこで今度は、桶の側の木を喰い破って外へ出
ようとかじり始めた。しばらくやってみたがど
うも木が分厚くて喰い破れそうもない。

あわてたネズミは違う場所をかじり始めた。

必死になってかじってみたが、やっぱり駄目だ
った。そこでその場所をあきらめて、また次の
場所に移ってみた。

しかし、分厚い側の板は到底喰い破れそうもな
かった。

散々に報いられることのない努力をしたネズミは、
とうとう明け方近く、心身ともに疲れ果て、空し
く死んでいった。

初めにかじり始めた箇所を最後までかじり続けて
おれば桶の側の板に自分が通り抜ける穴ができて
いたのに………。


※…
世の中にはこのネズミを笑えない人も多いので
はないでしょうか。

一つのことで失敗して、また他のことに失敗し、
転々と会社を変えていく人がいます。

また、事業家の中にも、もうかる商品と思われ
るものばかりを追いかけて、結局失敗するとい
う人がいます。

悲しいことですが、いつの世にもよくあること
のようです。

しかしながら考えてみると、このネズミの心境、
わからないでもありません。

例えば、毎夜日課のようにテレビのニュースを
一つの局に絞ればいいものを、どうしても他局
のニュースが気になり、チャンネルを一通りま
わしてからやっと一つの局に落ちつきます。

交通渋滞に巻き込まれたとき、抜け道を探して
逃げ込むと、ここも渋滞。「やっぱりもとの道
の方が早かった」なんてこともよくあります。

つまり、今、自分が選択していることに「これ
でいいんだろうか?」と迷いが生じることは日
常茶飯事に起こっていることなのです。

迷いが起こって他の方法を調べてみる。

自分の方が正しいと判断できれば安心し、でな
ければ、行ったり来たりする。大なり小なり私
達はこんなことを繰り返しています。

着実に、しかも安全に前進するという意味にお
いては、このようなスタイルもいいかもしれま
せん。

しかしこんな状態が続けば、もともと力がない
人は途中で力尽きてしまいます。

ある一点に全力を集中させ、思い切った施策を
打つことも正しい成長を実現するためには必要
に思うのです。

なぜ私達は自分の思いに迷いが生じるのか?

それは、“このまま行けば自分は失敗するので
はないか”という恐怖心がそこに働くからです。

失敗を恐れるために安全策をとろうとしたり、
自分の保身を考えたりしてしまうのです。

その結果、好機を逃し、恐れを抱いていた自分
に、後になって後悔してしまいます。

これは、冒険すべきであると言っているのでは
ありません。失敗を恐れ、自己の保身を考え出
すと正しい意志決定ができないと思うのです。

誰にでも失敗はあります。つまり“失敗を冒す
権利”があるのです。

失敗を失敗のままで放っておかず教訓とするなら、
人間の幅が拡がり、新たな成長機会が訪れるはず
です。

迷わずに、自分の思いを信じて日々を送りたい
ものです。

時には一匹のネズミの話から、自分を振り返って
みるのはいかがなものでしょうか。…















一般財団法人日本宝くじ協会が2022年に行った
「宝くじに関する世論調査」では、宝くじを過
去に1度でも購入したことのある購入経験者の割
合は81.4%。そこから推計される購入経験者は
約8,572万人とのこと。

さらに、キャッシュレス決済の導入により、購
入回数が上がると感じる人が50.1%と、宝くじ
を購入するハードルも下がっている様子。もし
も高額当選したら何をしよう? 一度はそんな夢
を膨らませたことがあるのではないでしょうか。


※…
新聞を開くまで、胸がドキドキ

少し前になります。地域のママさんバレーボール
の仲間4人と、私の故郷・北海道を旅することにな
りました。

私の出身地は日本海に面した、風光明媚で小さな
街。実家に立ち寄り、当時は元気だった母の歓待
を受けた後、札幌へ。

宿泊するホテルのチェックインまでに少し時間が
あったので、お金をおろすために銀行に寄りまし
た。その地下に宝くじ売り場があったのです。

聞けば、友人の1人がいつも買っているとのこと。

「札幌に来た記念にみんなで1枚ずつ買いましょう
よ」と誘ってくれました。ほかの3人は初めての経
験。宝くじはロト6でした。

彼女が言うには、「いつも買っているけど、なか
なか当たらないのよ」とのこと。その時はまさか
当たるなんて夢にも思っていませんでした。

旅を満喫したのち、空港での別れ際にその友人は、
「宝くじの結果は火曜日の朝刊で発表されるので
見てね」と言いました。

何しろ初めてのことで、火曜日が待ち遠しくて。
当日、新聞を開くまで、胸がドキドキでした。

「あれっ! 当たってる!」

1万円弱でしたが、4等に当たっていたのです。
バンザーイ! 宝くじって本当に当たるんだ。
驚きと嬉しさでいっぱいでした。

早速、友人たちと連絡を取り合うと、当たった
のは私だけ。3人とも「すごいね!」と喜んでく
れました。

旅行の写真ができたら集まる約束をしていたの
で、その時の当選金は、北海道旅行の思い出を
語り合うランチ代に。

それからというもの、出かけた時に近くに売り場
を見つけると、宝くじを買うことが楽しみになり
ました。

驚くことに、本当に宝くじの神様がおられるのか
と思うほど、次々に当たるのです。

ロト6で50万円が当たったのを皮切りに63万円、
38万円……。初めて買ったサマージャンボでは
100万円。さらにスクラッチで3000円、1万円な
どもありました。

売り場の方によると、「スクラッチでこの金額
が当たるのはなかなか見ないのよ」とのこと。

今夏、北海道に帰省中、子どもや孫たちととも
に立ち寄った空港の売り場で、スクラッチを10
枚買いました。

家に帰って、中学生の孫がくじを削りたいと言う
ので渡したところ、「ばあちゃん、これあと1ヵ所
絵柄が合うと10万だよ!」と興奮しています。

娘が「そんなの当たるわけないでしょう」と言っ
たその時、「本当に当たってる!」と孫。

皆が口々に「おばあちゃんはいつもいつもどうし
て当たるんだろう?」と言いますが、私にもわか
らないのです。 …


※…
お金は天下の回りものなのだから

私は昔からあまりお金に執着がなく、物欲もあり
ません。買い物に行っても、つい孫たちや遠くに
いる姪、甥たちのものを買っている自分がいます。

今までもいろいろなことがありましたが、損得を
考えず生きてきました。

夫が何の相談もなく突然勤め先を辞めてきた時も、
子どもたちは「ママ、明日からどうやって生活す
るの?」と泣いて心配していたものです。

けれど私は、夫には夫の、人には話せぬ事情や、
よほど嫌なことがあったのだろうと、気にしてい
ませんでした。

また夫は、大学時代の後輩たちが事業に失敗した
と聞いて、返ってくる当てもないお金を送ったこ
とも。事実、いまだに返済はなく、皆さん音信不
通です。

義妹が借金を抱えた時には、私たちの老後資金を
すべて渡したりもしました。 ですので、いつも子
どもたちには、「お人よしにもほどがある」と叱
られています。

そのたびに「お金は天下の回りものなのだから、
出さなければ入ってもこないのよ」と強がりを言
う私。

もしかしたら、その分を、宝くじとして神様が少
しずつ返してくださっているのかもしれません。

後期高齢者ですから、いつ何があってもおかしく
ない年齢です。子どもたちが近くにいて、私たち
夫婦を気遣ってくれて本当に幸せ。やはり元気ハ
ツラツで過ごせることが、どんな大きな宝くじに
当たるより嬉しいのです。

昨年の春、宝くじの楽しみを教えてくれた友人の
夫が亡くなり、彼女も後を追うように病気で亡く
なりました。

もう一度4人で北海道に行こうね、と約束をしてい
たので、残念でなりません。

あの旅は私たちの記憶の中でもとくに思い出深い
ものでしたから。 今も友人、家族は、私がその
うちに高額の宝くじに当たると期待しているよう
です。

もし本当にそんなことがあったら、宝くじを教え
てくれた友人のお墓に、一番に報告することでし
ょう。そんな夢を見ている私です。


※…
宝くじ詐欺に要注意 田村さん(仮名)は、宝くじ
をきっかけに、人生後半も充実した生活を送るこ
とができているようです。

ほどほどに宝くじを買ってみることは、日常生活
を楽しくする一つの選択肢かもしれません。

しかし、そんな宝くじを悪用した詐欺もあるので
要注意。

近年では、2021年に国民生活センターが「心当た
りのない海外宝くじや懸賞に当選したというSMSが
届いた」という相談事例を実在する、

または似たような事業者名を名乗り、「当選した」
「賞金がもらえる」と謳っている場合もあります
が、身に覚えのないメールが届いた場合は返信せず、
しつこく送られてくる際はブロック機能などを活用
してみましょう。…