貧者の一灯ブログ

趣味のブログを徒然に 神戸発信…

貧者の一灯・THEライフ

2023-11-22 15:30:00 | 貧者の一灯





















※…
日本に毒を持つクモは少ないが、最強の毒を
持つのがカバキコマチグモである。

このクモは、体長が2センチ程度と小さいが、そ
の毒は毒ヘビやフグよりも強く、世界の猛毒生
物の6番目にランキングされているほどである。

体は小さく、毒も少量なので、幸い日本での死
亡例は報告されていないが、海外では嚙まれて
死亡した例もあるというから、危険であること
に間違いはない。

死亡することは稀(まれ)とはいえ、カバキコ
マチグモに嚙まれると、激痛が走り、腫(は)
れあがる。頭痛や発熱、呼吸困難やショック症
状を起こすこともあるという。

カバキコマチグモに嚙まれる事故は、6月から8
月頃にかけて多くなる。 この時期は、このクモ
の産卵期にあたるので、特に注意が必要なのだ。

カバキコマチグモの巣は目立たない。このクモは、
ふつうのクモのような「蜘蛛(くも)の巣」を張
ることはなく、ススキなどの細長い葉を丸めるよ
うに折り曲げて、筒状の巣を作る。

そして、巣から出て歩き回っては、獲物となる昆
虫を捕らえて食べるのである。

やがて、カバキコマチグモのメスは、卵を育て
るために新たな巣を作る。そして、オスと交尾
を終えたメスは、葉を丸めた筒状の巣の中に100
個程度の卵を産み、巣の中で卵を守るのである。

卵を守っているこの時期は、母グモは警戒心が強
く、気も立っているから、草むらに分け入って、
不用意に巣を壊してしまうと、母グモに攻撃され
る危険性が高い。

カバキコマチグモは、卵を守る虫である。 自然
界の中で、卵や子どもを守り、子育てをする生物
は、じつは少ない。

人間と同じ哺乳(ほにゅう)類や、鳥の仲間の多
くは子育てをする。

しかし、トカゲなどの爬虫(はちゅう)類や、カ
エルなどの両生類、メダカなどの魚類は、一部の
例外を除いて子育てをしない。卵を産んでおしま
いである。

「子どもを育てる」ということは、強い生物だけ
に与えられた特権である。 哺乳類や、鳥類が子
どもを育てるのは、親が子どもを守ることができ
る強さを持っているということなのである。

弱い生物が卵を守ろうとしても、親子もろとも
食べられてしまっては、元も子もない。そのため、
多くの生物は卵を産みっぱなしにせざるをえない
のである。


※…サソリに子育てができる理由

小さな虫であれば、なおさらである。 小さな虫
は、弱い存在である。さまざまな生物が小さな
虫をエサにしている。

そんな虫が卵を守ろうとすれば、よほどの強さ
が必要とされる。 子育てをする虫として知られ
ているものに、サソリがいる。

サソリは、強力な毒針を持っている。この毒針
は獲物を捕らえるためのものであるが、この強
力な武器で、卵や子どもを守ることができる。
そのため、サソリは子育てができるのである。

クモは、他の昆虫をエサにする生き物であり、
虫の世界では、比較的強いため、クモの仲間に
も卵や子どもを守るものがある。

カバキコマチグモは、そんな子育てをするクモ
の一例である。

強力な毒を持つカバキコマチグモのメスは、
「子育てをする」という特権を与えられた、
強い母親なのだ。

カバキコマチグモの母親は、巣を離れてエサを
獲りに出かけることもせず、絶食状態で、じっ
と卵を守り続けるのである。

やがて卵が孵化(ふか)をして、赤ちゃんグモ
が生まれてくる。 母グモにとっては、首を長
くして待ちわびた瞬間だろう。

そして、赤ちゃんグモが誕生したこの日、カバ
キコマチグモの親子には壮絶なドラマが待って
いる。

生まれたばかりの赤ちゃんグモは、最初の脱皮
をする。脱皮を終えると自由に動き回れるよう
になるのである。

歩き回れるようになった赤ちゃんグモが、最初
にすることは何だろう。

そして、このとき母グモは、何をするだろう。

あろうことか、赤ちゃんグモたちは、一斉に
母親に食らいつき始める。そして、母親の体液
を吸い始めるのである。

母親からミルクをもらうわけではない。母親
の体液を吸い始めるのだ。

驚くべきことに、母親は逃げようともせずに、
赤ちゃんグモたちがやるに任せて、体液を吸
わせている。

母グモは、けっして動けないわけではない。
逃げられないわけでもない。

その証拠に、人間が巣を調べようとすると、母
グモは威嚇(いかく)して、敵を追い払おうと
するようすが観察されている。

母グモは、体液を吸われながらも、わが子を守
ろうとするのである。


※…
この日のために母グモは卵を守り続けてきた

この日こそ、母グモにとっては、記念すべき
日であった。そして、この日のために、母グモ
は卵を守り続けてきたのだ。

生まれたばかりの赤ちゃんグモたちの食欲は、
旺盛(おうせい)である。

半日もすれば、母親の体液は子どもたちに吸い
尽くされて、母親はすっかり抜け殻のような
姿になってしまう。

そして、栄養をたっぷり蓄えた子どもたちは、
次々に巣の外へと独り立ちしていくのだ。

カバキコマチグモの赤ちゃんたちが生まれた
日は、母親にとって最期の日となる。

親のない命はない。 すべての命には親がある。
そして、親というものは、子どもに命を託して
いくのだ。 こうして命はつながっていく。

そして、この子どもたちの中のメスも、やがて、
母親のように生き、母親のように死んでいく日
が来るのだろう。

カバキコマチグモの母の姿に、私は、ある女性
の残した短歌を思い出した。





生後3か月で亡くなった次男の徹を含め、4人の子宝
に恵まれた。

『花の原型』 乳がんのために、31歳の若さで2男1
女の子を残して亡くなった中城(なかじょう)
ふみ子(1922─1954)の歌である。

ふみ子最晩年に詠まれた歌のひとつで、「死」
は「詩」を掛けた表現とも言われている

母親というものは、壮絶な存在なのだ。…















現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得
格差が急速に広がっている。

そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると
抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。



※…
「タイミーさん、今日は1番レジ入ってもらえま
す?」 「タイミーさーん! ちょっとこっち手
伝って」

日雇い仕事で食いつなぐユウジさん(仮名、51
歳)はもうすっかりその呼び名に慣れてしまった。

どの職場でも自分の名前を呼ばれることはほと
んどない。最初は驚いたが、今はただ「私の存
在はAさんでも、Bさんでも、なんでもいいんだ
な」と思うだけだ。

「タイミーさん」とは、「Timee(タイミー)」
というバイトマッチングアプリからくる呼び名
である。

地方都市で暮らすユウジさんがアプリに頼る理
由は「すぐに給料が入るから」。

たしかにアプリの公式サイトには「24時間・365
日いつでも銀行口座へ報酬を振り込むことが可能
です」との旨が書かれている。

バイトが終わり、スマホ画面の「振り込み申請」
をタップすると、10分もたたずにATMから現金を
引き出すことができるという。

「即日振り込み」どころか「即時振り込み」である。

仕事はスーパーのレジ打ちや飲食店での皿洗い、
工場内の作業など。ただユウジさんの経験から
いうと、人間関係はおしなべてすさんでいるという。

「あいさつをしても無視されることがほとんど。
狭い通路をすれ違うときもよけたりしてくれません。

『どうせ単発バイトで来るような落ちぶれた人間』
と、見下されているように感じます。

レジの仕事で誤ってお店控えをお客さまに渡して
してしまったときだけは、『ちゃんとしてよ』
『困るんですよね』と、ここまで言う? と
いうくらいしつこく叱られました。最初に普通
に教えてくれればいいだけなのに……」


※…
「どうせその日限り」で人間関係も希薄

即時振り込みは魅力だが、今年のゴールデンウ
イークには、こんな“事件”もあったという。

その日、所持金は1000円を切っていた。アプリ
から応募した仕事は飲食チェーン店での皿洗い。
殺人的に忙しい夕方から夜にかけての5時間、
汗だくになって洗い場に立ち続けた。

これが終われば5000円が振り込まれるはず。
しかし、コンビニのATMを何度確認しても入金
はなかった。

どうやら銀行のほうが、連休中は対応時間外だ
ったらしい。 帰りの交通費に70円足りなかった。

「バイトが終わった時点ですでにヘロヘロのボ
ロボロ」だったが、やむを得ず電車を途中下車。
そこから6時間以上歩いた。

以前バイク事故で痛めた左脚を引きずりながら、
自宅に着いたときは深夜3時を過ぎていたという。

「あの日はほんとに情けなかった。今思い出し
ても泣けてきます」

話はそれるが、Timeeのような単発バイトアプリ
は、ほかにも「マッハバイト」「バイトル」
「シェアフル」「ショットワークス」など数多
くある。

それぞれが「スキマ時間を利用」「即日払いOK」
「面接なし、履歴書なし」などとアピールして
いる。

学生や副業をしたい人にとってこれらのアプリ
は、さぞ使い勝手がよいだろう。

原則禁止されている日雇い派遣とは違って直接
雇用なので、違法性はないことも知っている。

ただ貧困の現場を取材していると、こうしたア
プリで生計を立てざるを得ない人が増えている
ことが気になっていた。

本人たちの自己責任では片づけられない。容易に
“その日暮らし”を選べる仕組み自体に危うさ
を覚えてしまうのだ。

アプリの利用経験者からは「6時間という約束だ
ったのに1時間で帰された」「集合場所まで行
ったら、『もう定員に達したので今日の仕事は
ない』と言われた」

「制服支給と書いてあったのに、買い取りさせ
られた」といったトラブルもたびたび耳にする。
ほとんどが泣き寝入りしており、一般的な非正
規雇用労働者以上にその立場は弱いのが現状だ。

一部のアプリは労働者と企業がお互いに評価し
合うシステムを売りにしているが、そもそも労
働者個人と企業の力関係は対等ではないという

“常識”が欠落しているようにもみえる。違法
ではないとはいえ、究極の不安定雇用という点
では日雇い派遣と変わらないし、「どうせその
日限り」と思ってしまえば、人間関係も希薄に
なりがちなのではないか。

話をユウジさんのことに戻そう。私が、将来を
考えるとアプリで生計を立てる働き方はよいと
は思えないと指摘すると、それまで穏やかだっ
たユウジさんが打って変わって強い口調で反論
した。

「でも、私が首の皮一枚で生きていられるのは
Timeeのおかげです」。 ユウジさんがせきを切
ったように続ける。


※…
屈辱的な日々に「もう殺してくれ」と願う

「私だって、名前も覚えてもらえないような
仕事がいいだなんて思ってません。でもそれ
が私の命綱なんです。惨めだし、屈辱的です。

だから毎日、神さまにお願いしてますよ。

『頼むからもう殺してくれ』って」 気が付く
と、ユウジさんはタオルで涙をぬぐいながら
話していた。

日雇いバイトの収入は月7万円ほど。家賃は
水道費込みで4万3000円なので、残りの3万円
足らずでやり繰りしなければならない。

洗剤や石鹸、シャンプーはすべて重曹で代用。
夏場はガス会社との契約を解約し、水シャワ
ーとカセットコンロでしのいでいる。

ユウジさんはなぜここまで追い詰められたのか。

ユウジさんの生い立ちは過酷だ。両親は自営業
者だったが、父親は酒浸りで母親とユウジさん
に暴力をふるった。

2人で逃げ出したものの、高校は中退。ユウジ
さんは働き始めたが、17歳のときに母親も出奔
した。

以来、「独りで生きてきました」。

20代のころ、いくつかの会社で正社員として勤
務。その後、熱中していたモトクロスバイクの
レースに出場するために生活の拠点をアメリカ
やカナダに移す。

本格的な移住も考えたが、結婚を機に帰国した。

その後は子どもや女性を対象にした運動指導教
室を主宰する一方で整体師として働いてきた。

施術の評判はすこぶる高く、30代後半で本格的
な店舗を構えてからは、月の売り上げが100万
円を超えたこともあった。

ユウジさんは「従業員も何人か雇いました。何
時間もかけて地方から来てくれる方もいました」
と振り返る。

ユウジさんにとって利用者から「先生に会えて
よかった」「先生でなければダメ」と感謝され
る日々は充実していた。

しかし、皆の期待にこたえたいというがんばり
が仇になる。 早朝から深夜まで働き詰めで、1
日中食事を取らないこともざら。

深夜や未明に押し掛けてくる人にも対応し、店
を持ってからは1日も休日はなかった。結局5年
ほどで過労で倒れ、閉店を余儀なくされる。残
ったのは数百万円の借金だった。

「その後はあれよあれよという間に貧困生活へ
と転がり落ちました」とユウジさん。しばらく
は妻の収入で暮らしたものの、結局離婚。

海外では接客業に就いていたことから、その後
は派遣労働者として全国各地のホテルで住み込
みで働いた。

しかし、観光シーズンのみの細切れ雇用なので
年収は100万円ほどだった。

安定した仕事に就こうと、ホテルでの派遣労働
をやめ、就職活動をしながらアプリによる単発
バイトで食いつなぐ生活に切り替えた。

しかし、収入はさらに減り、暮らしは苦しくな
る一方。

最近になり、相談に訪れた行政から、住まいを
失う恐れのある人に家賃を補助する「住居確保
給付金」を紹介され、ハローワークにも通うよ
うになった。ただ仕事探しは難航しているという。

ユウジさんによると、就職活動では「求人票の
内容と実際の仕事が違うことが多い」という。

ホテルのコンシェルジュと書かれていたのに、
清掃業務に回されそうになったり、なぜか介護
業務をさせられそうになったりしたこともある。

面接で初めて夜勤専門の仕事だと告げられたこと
もあった。夜勤専従は健康リスクを高めるとされる。

待遇との兼ね合いもあろうが、ユウジさんがこ
の手の働き方を避けたいと思うのはやむを得な
いだろう。

「何十件面接を受けても決まらない」と報告す
るユウジさんに対し、行政側の窓口担当者は
「今の収入だと生活保護(水準)より低いから、
ホテルでの住み込み仕事に戻ってはどうか」と
“アドバイス”してきたという。

詐欺同然の求人を放置しながら、オフシーズン
には収入が途絶えるようなホテル派遣に戻れと
いう提案には耳を疑う。

生活保護を持ち出すなら、制度を利用して暮らし
を立て直すよう促すべきだろう。

しかし、生活保護はユウジさん自身が利用したく
ないという。またしても生活保護は恥であるとい


「スティグマ(負の烙印)」が権利の利用を阻
むのか…。

ユウジさんは「生活保護は国民の権利だと頭で
はわかっています。もし以前の私が知人に相談
されたとしたら、恥じる必要はないと言ってい
たはず。

でも、いざ自分がとなるとやっぱり嫌なんです。

この気持ちは言葉では説明できません」と複雑な
心境を打ち明ける。

一方でつい先日は生活保護と同じくらい抵抗の
あったという自己破産の手続きを済ませた。

「(借金を)返したくないわけじゃなかったのに
……。こんな自分が恥ずかしいです」。

自身が貧困から抜け出せない理由について尋ね
ると、ユウジさんはしばらく考えた後、「男性
性の強い社会が問題だと思います」と答えた。
どういう意味か?


※… 先の見えない絶望と希望が去来する

「私が育った家庭では男である父親が不当に権
力を振り回し、家族の人生をめちゃくちゃにした。

今もがんばって働いた報酬と出ていくお金が不
当に釣り合っていないと感じます。

Timeeは一番忙しい時間帯だけ働かされること
も多いので、(給料は)いつも『これだけ?』
って思います。

そもそも最低賃金って誰が、何を基準に決めた
んですか? 

家賃も物価もどうしてこんなに高いままなんです
か?」

ユウジさんは暴君だった父親を、働き手が搾取
されがちな仕組みや、制度や政策を決める側の
人間、問題を放置する行政や政治に重ねている
ようだった。

「弱い立場になったことのない人が権力をふる
っている」とも言っていた。


※…
ユウジさんは取材で話を聞く中で「死ぬ日まで
生きるしかない」「今日で終わりにしたい」と
希死念慮を隠そうとしなかった。

一方で「家族がほしい」とも語っていた。

実は今、ユウジさんには付き合っている女性
がいる。ただ相手もシングルマザーで、ダブル
ワーク、トリプルワークをしながら子どもたち
を育てている。

お互いに今は再婚できる状況ではないが、いつ
か一緒になれればという夢があるという。

先の見えない絶望と、いつか家族をという希望
が去来している。 。…








貧者の一灯・特別編

2023-11-20 15:52:01 | 貧者の一灯



















その結果は一歩一歩向上し、やがて上達の域
にたどりつくという意味です。

出典は「論語」、つまり孔子の言葉です。


※…
近年は、入社して数力月、また2~3年で転職
する若者が非常に増えてきております。

人手不足という環境の中、転職が容易で、マス
コミで「職業選択の自由」が叫ばれているから
でしょうか。

現在の自分の職権やポスト、勤務環境に不平を
並び立てる人も増えてきているようです。

しかし、一つの仕事で満足な成果をあげること
のできない人が、他社ヘ移ったからといって成
功できるのは稀です。

まずは為すベきことを為すことが肝心である
と思います。 新入社員がまず為すべきことは、
学ぶ姿勢を確立することです。

このことは中途入社の社員であってもまったく
同じ。学ぶ姿勢がなくなったとき、彼の成長は
まちがいなく止まってしまいます。

企業としては業績を向上させることが最優先で
あり、学ぶことが優先とはならないでしょう。

(学ぶことが本を読んだり、セミナーに出席す
ることだけでないのは当然のこととして…)

しかし、学ぶことを忘れてしまったとき、確実
にその企業は衰退の方向に向かっています。

生涯教育=生涯学習」であります。

もちろんこの状態が実現できていないために
経営理念に掲げているのですが。

誰でもどんなときにも学ぶ姿勢を忘れずに、
成長していきたいものです。


※…
人は学びによって善とも悪ともなり、人間の種
類によって善悪があるわけではありません。

学ぶとは“心に誠実さを刻む”ことであり、学
ぶとは“自己の足りなさに気づく”ことであり
ます。

この姿勢を新人の間に下学して確立しておかな
いと当人の人生、そして企業の盛衰に大きな
影響があるように思えてなりません。











  




※…
一世一代の大仕事を終えて

厚生労働省が発表した「令和2年度 ギャンブル
障害およびギャンブル関連問題の実態調査」に
よると、過去1年間におけるギャンブル等の依
存が疑われる人の割合は、全体の2.2%だった。

家族や重要な他者の中にギャンブル問題がある
と回答した割合は、全体の14.4%に及ぶとのこと。

また、過去1年間で最もお金を使ったギャンブル
は、パチスロ、パチンコ、競馬の順で多いこと
が分かった。

辞めてほしいのにやめてくれない…

そんな自分自身や家族に困っている人は多い
のではないでしょうか。

小野朝子さん(仮名・主婦・67歳)は、夫の
パチンコ通いで苦労し、愛想を尽かした後は
見るのも嫌だと避けてきたそう。

それでも、やむにやまれず向き合ってみたら。(


※…
結婚式の後、渡してくれた通帳には わが家は
二人姉妹。姉は跡取りとして育てられていたの
に、遠くの大学に進学し、そのまま嫁いでしま
った。

姉の代わりに婿養子を迎え、家名を継ぐことに
なった私は、当時23歳。「今どき財産もない家
に来てくれる男なんていないよ!」と反論した
が、両親は「諦めるな。聞いて回れ」と言うば
かり。

ところがいたのだ、そんな男が。

当時仲良くしていた飲み友達の一人だった。
「いいよ。オレ次男だし」。そして取ってつけ
たように、「君と結婚してもいいなと思ってた」
と。

両親は大喜びで、さっさと向こうの家と話をつ
け、結納、結婚式の手配、新居までも用意。

私は両親の勢いに流されるままだった。 当

時の私は世間知らずだったのだ。そんな都合
のいい男なんているわけがない。

地元で大企業として知られる会社に勤めていた
夫は、結婚式を挙げた日に通帳を渡してくれた。

なぜかその月の給料、11万円の記載があるだけ、
貯金はゼロだ。

新居に持参したものは、数枚の着替えと、通勤
用のミニバイクが1台。

高校卒業後、大企業で5年働いて、全財産はこ
れだけ?疑問に思ったものの、小遣いは月3万
円ほしいという彼の言い分を聞き入れ、残り
でやりくりしようと気合を入れ直した。

すぐに長男にも恵まれ、結婚4年目。給料日前
には、お金が底をつく生活を送っていた。

家中の小銭を集めても100円ぽっち。

とにかく給料日まで、3歳の息子に食べさせな
くては。 米は3合ある。よし!スーパーへ自転
車を走らせた。

本日のお買い得品は、新鮮なイワシ。値段は
100円也。ああ、これで今月もなんとか乗り
切れる……。


※…サラ金のブラックリストに載った夫

そんな生活でも夫を信じていたなんて、本当に
大バカ者だと思う。

金がない原因はすべて彼のギャンブルだったの
だから。

夫は毎晩残業だと言っては、パチンコに通い
詰めていた。

何年経っても振り込まれる給料は11万のまま。
夫には別の通帳があったのだ。

おかしいと思わなかった自分もどうかしている。

27歳で次男を産んだ日、夫はサラ金のブラック
リストに載った。

会社にバレたらクビになるかもしれないと泣き
ついてきて、事の次第が発覚。

2人の子どもを抱える今、職を失わせるわけに
はいかない。長男のための学資保険を解約し、
必死で貯めたへそくりとともに渡してしまった。

しかし、夫の両親は借金を知っているのだろう
か。今後のことを相談するため、家族4人で夫
の実家へ向かったのだが、そこで悲劇が起こる・

私たちの乗った軽自動車が、大型トラックと
正面衝突したのだ。

私の腕の中でスヤスヤ眠っていた次男は、ぶ
つかった衝撃で即死。

それから何度、自分を責めたかわからない。

たった生後70日で死なせてしまった。私が夫
の親に助けてほしいなどと望まなければ。

子どもを亡くして落ち込む私を心配した父が、
60坪の土地を購入してくれた。

新しい家は自分たちの力で建ててみろ、力を
合わせて頑張ることが家族にとっての再スタ
ートになるだろうという配慮だった。


※…
「後のことは心配せんでも僕が話をつけてやる」

夫もさすがに改心したようで、穏やかな日々が
続いた。長女、次女が生まれ、5人家族になっ
た私たち。

ところが家のローン返済の目処が立った頃、再
び夫の悪癖が始まった。

残業という名のパチンコ通いが続いたある夜、
こそこそ家の権利書を持ち出そうとする夫を見
つけてしまう。

またもやサラ金に借金をしたという。

泣きながら往復ビンタした。 二度とギャンブ
ルはしないと信じていたのに。

私たちが「正しい家族」として生きていかなけ
れば、次男は浮かばれないではないか。

親としての責任は終わっていないから、離婚は
まだしないけれど、同じ空気を吸いたくもない。

出ていってくれ! 私の叫ぶ姿にたじろいだのか、
夫はその晩姿を消した。

ただ、数ヵ月もすると「出張してたんだ」と言
って子どもたちに会いに来る。

さらに、家のローンはオレの給料で払っている
んだからと、借金を押し付けてきた。

私は3つの仕事を掛け持ちして、代わりに借金
を返す。シュレッダーにかけるようにお金が
消えていく。

同じ頃、父が脳梗塞で倒れた。

母は懸命に支えたが、父は入退院を繰り返し、
最後には要介護5の寝たきり状態に。

遺言のように「この家で死にたい」と言って
いたため、施設に入れられるはずもない。

80歳の母は、もう自分だけでは無理と悲鳴を
上げたため、同居を決意。

当時、長男は東京で就職しており、次女も大阪
の短大に進学していたため、すでに働いていた
長女との二人暮らしだった。

そこで、ローンを払い終えた家は人に貸し、私
と長女は、老犬とともに実家へ。

介護と仕事の両立は大変だったが、介護保険制
度の助けを借りて、父はなんとか希望通り、
自宅のベッドの上で旅立った。…


※…ずっと支え続けてくれたもの

その後、次女が就職し、親の役目は一段落。
私は51歳になっていた。残るは夫との今後だ。

長男に相談したら、「後のことは心配せんでも
僕が話をつけてやる」という。

早期退職して退職金を手にしている夫に私が
求めたのは、思い出の家の所有権のみ。

今後いっさい関わりたくない、が希望だった。

その年のクリスマスのこと。長男が「僕から
のプレゼントだよ」と、夫のサイン済みの離
婚届と私名義の家の権利書を渡してくれた。

離婚届を提出し、長かった結婚生活もこれで
お終い――。

父の三回忌を済ませると、後を追うように母も、
老犬も逝ってしまった。

長女も嫁ぎ、広い実家に私一人きり。

その頃、私名義の家が売れて、小金が入った。
えい!こうなったら、私に必要なものだけを残
し、身の丈に合った小さな家を建てよう。

自分のために建て替えることを決心した。

寝室と客間が一つ、小さなリビングと、わが家
の思い出の品をまとめるための押入れ。そんな
ささやかな家に私は暮らしている。

世間知らずの私が、3人の子どもを育てあげた。
100円を握りしめスーパーに走ったあの日、次
男と親を喪主として見送ったあの日、膨大な
父母の荷物を一人で片づけたあの日。

私をずっと支え続けてくれていたのは、両親
と、3人の子どもたちと、先に天国に行った
次男だった。

たくさんの人の助けで生かされてきたように思う。
いろいろあったけれど、気づけば、私の人生の
帳尻は合っていた。…


※…
ギャンブル依存症に悩んだら 小野さん(仮名)
は、借金をしてもパチンコ通いを辞められなか
った夫から離れ、子育てや親の介護を経て、自
分の幸せを見つけることができました。

ギャンブル等依存症とは、ギャンブル等にのめ
り込んでコントロールができなくなる精神疾患
の一つ。

続けたいという衝動が抑えられず、日常生活や
社会生活に支障が生じることがある一方、本人
自身は「自分は病気ではない」と正しく認知で
きていない場合があります。

放置しておくと症状が悪化し、貯金を使い果た
したりさらには借金の問題につながり深刻にな
ることも。

国が主体となってギャンブル等依存症対策が推
進されており、治療や回復支援、借金の問題を
抱えた方への相談支援等の取り組みが勧められ
ています。

自分自身や家族だけで抱え込む前に、公的機関
などに相談することで、解決への糸口が見つか
るかもしれません 。…