貧者の一灯ブログ

趣味のブログを徒然に 神戸発信…

貧者の一灯・番外編

2023-11-25 15:02:19 | 貧者の一灯
























※…

母が私を身ごもって間もなく、父の浮気が始ま
った。父は浮気相手を変えるたびに新車を買い
替えるので、また違う女ができたことがばれる。

浮気、飲み屋のはしごに加えて、ゴルフ、カメ
ラ、釣り、父の高級ブランド趣味、彼は収入の
すべてを使いきる。

生活費は父から一銭も出ていなかった。

私は祖母の貯金と母の財テク、同居する看護師
の伯母のお給料で育てられた。

子ども心にも何となくそんなことはわかっていた
から、専業主婦にだけはなりたくないと思うよう
になった。

母のような苦労をしたくない、男に翻弄されたく
ない。女性でも自立でき、結婚・出産しても続け
られる資格を持った職業に就こうと決めていた。


※… 「女に学歴は必要ないべや」


そんな父に、一度だけ高校進学について相談し
たことがあった。その時に父から言われた言葉
は今でも忘れない。

「女に学歴は必要ないべや」の一言だった。

腹が立った。コイツに相談したのが間違いだった。
私は大学に進学することを決意して進学校に行く
ことを決めた。

こうして私の学歴こだわり人生は始まった。そし
て、一生独身で職業婦人で生きていく! と決めた。

母も同じ思いであったという。習い事はすべて
高校までやめずに続けた。ピアノは先生に指を
叩かれ嫌だったけど、何時間も練習し発表会も
出た。

お茶も次々と免許状を獲得し、書道も展覧会に
出品するほど熱心に続けた。

中学校からは学習塾にも行った。優等生の私は、
成績は学校でも市内でもトップクラスだった。

でも、常にトップの子は並外れて優秀で、上に
は上がいた。ただ、成績が何番だろうと母がそ
れで喜んでくれたことはない。

それでいて「自慢のお嬢さん」と言われるのを
喜ぶ母のため必死だった。しかも、母は勉強が
できない子の世話まで暗黙に要求した。

小学校では、同じクラスに授業中におしっこを
垂れてしまう子、忘れ物をしてくる子も多く、
私は毎日その子たちの世話係。

トイレに連れて行き、おっしっこ漏れを受け
止める座布団を持って学校に通っていた。

忘れ物をしてくる子たちのために鉛筆も消し
ゴムもノートも、その日必要になる学習用品
のすべてを二倍カバンに詰めた。

だんだん重くなり、ある日、ついにかばんの
紐が切れた。中身が地面にこぼれ落ち、泣き
ながら詰めて家に戻ると、母は 「もっと大き
くて丈夫なカバンに替えようね」 と優しく言
った。「うん」と言ったのを覚えている。

そして、かばんは益々大きく丈夫なものに取
り替えられた。強制労働のような学校生活だ
った。





いまや過疎 私が生まれ育った地域は、北海道
の鉄道の発祥地。あの日の繁栄はどこへやら。

貧しい人たちが多く、親の職業は漁師か商店、
もしくはやくざという家が多かった。

中学校は絵にかいたような不良ばかり。テレビ
ドラマで話題になっていた『今日から俺は‼』
日本テレビのドラマが、リアルの中学校だった。

木造平屋の長屋が立ち並ぶ中、私の家だけ車庫
つきの三階建ての一軒家。私は貧民窟の「お嬢
様」だった。

これで容姿が美しければ自信をもてたのかもし
れないが、母から「お前は私に似ていない、可
愛くない」と言われ育った。

母は美しい人だった。自慢のお嬢様の私には自
信もなくコンプレックスしかなかった。

※…クラス女子の集団いじめ

中学二年生のある日、私が教室に入ると、女子
全員がシーンとなって一斉に私を睨みつけた。

最初は気のせいかと思った。でも、同じことが
毎日続いた。

私を見てひそひそ話をする女子軍団。話しかけ
ても無視。もしかして省かれている? やっと
気づいた。

しかし、学校の先生たちの関心は、他校からの
不良乱入とか生徒間の暴力が主の問題でいじめ
は放置。女子集団のいじめは執拗で数か月続いた。

最後に親友と思っていた子から「友達やめたい」
と言われた。その翌日から登校拒否、学校に行
かなかった。

しかし、生徒思いの担任は熱血教師だったので、
先生ならなんとかしてくれると期待したが、家
庭訪問してきた先生は、私に 「なんで学校に
来ないんだ」 と言った。

私は 「行けるわけない、先生だって知ってい
るでしょ!」 と精一杯言った。

それでも先生は 「いいから学校に来い、いいな」
と言い残して帰った。

あら、帰っちゃった。何で? もう少し優しく
してくれても良くない? 

悔しすぎて次の日、学校に行った。先生は「おう、
来たな」とだけ言った。しかし、教室の様子が変
わっていた。… …















理学者のロバート・エモンズとマイケル・マッ
カローは、一連の研究の中で、被験者を2つの
グループに分け、

1つのグループには「ちょっとしたことでもいい
ので、毎日、感謝できることを5つ書いてもらう」
という実験をしました。

被験者は、感謝の対象として両親やローリング
・ストーンズ、朝の目覚めから神さままで、あ
りとあらゆることをリストに書きこみました。

毎日1~2分、感謝する時間をとったことは思い

もかけない効果をもたらしました。

感謝できることを考えたグループは、何もしな
かったグループに比べて、人生をもっと肯定的
に評価できるようになっただけでなく、幸福感
が高くなり、ポジティブな気分を味わえるよう
になりました。

つまり、もっと幸せになって、意志が強くなり、
エネルギッシュで楽観的になったわけです。

また、人に対してもっと優しくできるようにな
り、手伝いを積極的に申し出るようになりました。

最終的に、感謝をしていた人々はよく眠れるよ
うになり、より多く運動をするようになり、身
体的な不調も減ったのです。

エモンズとマッカローの研究が発表される3年前
の1999年9月1日から、私はこのワークを毎日行な
っています。

息子のデイヴィッドが3歳になったときからは、
ちょっと形を変えてこのワークを一緒にするよ
うにしています。

毎晩、私は息子に聞きます。「今日、おもしろ
いこと、何があった?」

そのあと、息子も私に同じ質問をします。

夫婦の間でも、お互いのことや一緒にいられ
ることでありがたいと思えることを定期的に
確かめあっています。

このワークを習慣にすれば、幸せになるために
特別な出来事を必要としなくなります。

今日はノートに何を書こうかと思って日々を送
ると、ふだん起こるいいことにもっと気づきや
すくなるからです。

感謝のリストには、大事に思う人の名前や、
あなたがしたことや誰かがしてくれたこと、
また書いているうちに気がついたことなども
ぜひ入れてみてください。

※…
《あなたが感謝できることは何ですか。
自分の人生でありがたいと思うことは何ですか。》

グッド&ニュー」という、朝礼や、会議の前の
アイスブレイク(なごませる手法)に使われて
いるやり方がある。

24時間以内に起きた「良かったこと(グッド)」
や「新しい出来事(ニュー)」を、簡単に、順
番にスピーチする手法だ。

これを朝礼で発表しようとすると必然的に、朝
起きたとき昨日の「グッド&ニュー」を思い浮
かべるようになる。

つまり、ちょっとした幸せを見つける訓練を毎
日するということだ。

まさに、この感謝ノートも同じ。

仏教の「唯識論」では、「いっさいの存在は、
ただ自分自身の識、つまり心がつくり出した
仮のものだ」という。

つまり、「すべての幸不幸は自分が決めている
(つくり出している)」ということ。

ふだん起こる、ちょっとしたいいことに気づき
やすくなるために…

「感謝ノート」を毎日書き続ける人でありたい。