さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ウルムチ(烏魯木斉) その1

2010年06月05日 | 海外旅行
ウルムチは、新疆ウイグル自治区の首府で、中国西部最大の都市です。

シルクロードの天山北路沿いにありますが、シルクロードというイメージとは大違いの近代的な街でした。



広大な領土を持つ中国ですが、標準時間は一つのため、西端近くにあるウルムチでは、時間と生活の感覚が大きく違っています。7時に起きても、空は夜明け直後の色を見せていました。地元では、非公式ではありますが、2時間ずらしたローカル時間を使っているようです。



泊まったウルムチ環球大酒店です。近代的な大きなホテルでした。



ホテル前の通りで見た案内板ですが、漢字と英語に加え、ウィグル語の表示がされていました。

ウィグル語は、中央アジアの新疆ウイグル地区を中心として使われる言語でアラビア文字を改良した文字がつかわれています。



ウルムチ市内の観光スポットは、少ないですが、まずは紅山公園を訪れました。

紅山の山頂は、標高934.4mの岩山になっています。山登りの覚悟が必要かと思っていたら、ウルムチ市街地の標高はすでに900mあるので、公園の遊歩道の散策になりました。



遊歩道の途中には、中国的な色に塗られたお寺もありますが、これらは、新しく作られたものです。



公園内では、太極拳などのグループが、朝の体操を行っていました。

これは、扇を持って踊るグループ。背後の塔と良くマッチしています。



山頂手前には、林則徐の像が置かれていました。


林則徐は、イギリス商人が中国に持ち込んだアヘンを全て没収し、アヘン戦争を引き起こした清朝末期の大臣です。

アヘン戦争は、海岸部の広東を舞台にしているのに、どうしてウルムチに像があるのだろうという疑問がわいてきます。

イギリスの派遣した東洋艦隊の威圧によって、清朝は大幅に譲歩した南京条約を結び、林則徐は、新疆に左遷されます。

ウルムチは、世界で最も海から遠い都市とされており、最も近い海外線までの距離は2500kmあるといいます。ウルムチは、中国辺境の地として、林則徐の左遷場所として選ばれたのでしょう。

林則徐は、この地で農地改革を行い善政を行ったことから、地元の人に慕われることになったといいます。



山頂部は赤みを帯びた岩山になっており、紅山の名前の由来になっています。その上に鎮龍塔が置かれています。



鎮龍塔は、ウルムチ川がたびたび氾濫することから、そこに住む龍を鎮めるため、1788年に建てられたものです。



山頂からは、高層ビルが立ち並ぶウルムチ市街地の眺めが広がっています。

繁栄の姿を見せるウルムチですが、2009年7月5日に起きた「ウルムチ暴動」のことを忘れるわけにはいきません。

死亡者140人、負傷者828人、このほか焼き討ちされた車両はバス190台を含めた261台、打ち壊しに遭った商店は203店にそれぞれ達したといいます。

その背景には、ウイグル族の漢族に対する強い反感があるようです。中国政府の少数民族政策、少数民族の貧困による経済格差にたいする不満が噴出したのでしょう。

ウルムチ暴動からまだ一年しか経っていないため、ウルムチの街の状況が不安でしたが、旅行者には繁栄の姿しか見ることができませんでした。



街のかなたには、白い雪を抱いた山が見えていました。



見えているのは、天山山脈の一部です。

天山山脈は、キルギスと新疆ウイグル自治区との間に広がり、最高峰はポベーダ山(7439 m)になります。ウルムチから見えているのは、その末端部で、標高はそれほどは無いでしょうが、砂漠の中に雪を抱いた姿を見せています。

シルクロードは、天山山脈の北を抜ける天山北路と、天山南路(北道と南道)に分かれます。



バスの車窓から紅山を振り返ったところです。
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