さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ウルムチ(烏魯木斉) その2

2010年06月06日 | 海外旅行
紅山に続いて、新疆ウイグル自治区博物館を訪れました。

ここでは、少数民族やシルクロードの文化財が展示されていますが、特に見たかったのは、「楼蘭美女」といわれるミイラです。

館内は撮影禁止であったため、博物館で購入した図録からの写真を載せます。



1980年、タクラマカン砂漠の東にある楼蘭故城で発掘されたものです。

1980年4月から1年間放送されたNHK特集「シルクロード 絲綢之路」の第5回「楼蘭王国を掘る」では、このミイラの発掘状況が詳細に収録されています。

脇に置かれた袋には、あの世での食糧にするためか、小麦が入れてあります。



推定年齢40~45才で、紀元前19世紀(約3800年前)に埋葬されたものです。

生前の顔つきを再現したところ、ヨーロッパ系の美女であることが判り、楼蘭美女と呼ばれるようになりました。

ただ、埋葬された身なりから、そう裕福な身分ではなかったようです。また、虱が付着しているのが発見されたことから、死後に体温が下がるとともにこの虫は体から逃げ去るため、埋葬の状況には謎がのこされているといいます。



1985年に発掘された60才ほどの女性のミイラで、ヨーロッパ系と蒙古系の混血のようです。



こちらは、1985年に発掘された50才ほどの男性のミイラ。

エジプトのミイラが薬剤によって防腐処理を施して作られるのに対し、ウィグルのミイラは、砂漠の乾燥によって自然に出来上がるようです。ただ、夏ではなく冬に埋葬したものがミイラになりやすいようです。

この他、2005年のNHKスペシャル「新・シルクロード 第一回楼蘭 四千年の眠り」において、小河墓遺跡での発掘されたミイラも展示されていました。

井上靖著「楼蘭」でも、小説の最後にスウェーデンの探検家ヘディングが、楼蘭の遺跡で、楼蘭王の妃であった若い美女のミイラを発見するエピソードを挿入されています。

1980年に発掘された「楼蘭美女」は、漢の時代に栄えた楼蘭王国に先立つこと千年前の殷時代に相当する、知られざる民族のもののようです。いずれにせよ中国と匈奴の間に挟まれて現れては消えていった小国の運命に想像をかき立てられます。




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