さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらい人 アウシュヴィッツ強制収容所 その2

2017年02月07日 | 海外旅行
建物の外に出ると、ほっとひと息付くことができました。



5号棟に入りました。「犯罪証拠」というタイトルが付けられています。

被収容者から押収した衣服の山。



鞄。名前を書いた持ち主は、収容所で命を落としたのでしょう。





靴。



靴紐は全て抜かれており、再利用されたようです。



押収した食器類。





続いて6号棟。「囚人の生活」というタイトルが付けられています。



新たに到着した者は、服やあらゆる私物を取り上げ、髪を切ってシャワーを浴びせて消毒した後、囚人番号を与えて登録しました。初期の頃の被収容者は、三面から写真を撮られました。



被収容者に囚人番号を刺青で入れましたが、これはアウシュビッツだけで行われました。



縞模様の囚人服は、薄くて寒さを防げるものではありませんでした。また。下着は何週あるいは何か月ごとに交換ということもあって洗濯できませんでした。このことが、様々な伝染病、特にチフスの流行をもたらしました。



囚人は、収容の理由によって、様々な色の三角印が囚人番号とともに服に縫い付けられました。赤色の三角は政治犯。ユダヤ人は、赤と黄色の三角を組み合わせた印が付けられました。





被収容者の日常の食事の摂取量は、1日1300から1700カロリーで、朝は500ccのコーヒーと称する飲み物あるいは草を煎じたもの。昼は約1リットルのしばしば腐りかけた野菜でつくったスープ。夜は約300から500gの粘土みたいな黒パンに僅かな添加物(20gのソーセージまたは30gのマーガリンあるいはチーズ)と草を煎じたものかコーヒーでした。



写真左は、31才のポーランド人女性で、アウシュビッツに収容された際には身長160cm、体重75kgであったものが、体重25kgになっていました。右のユダヤ人女性は、身長168cm、60kgであったものが、35kgになっていました。



ロマ(ジプシー)の子供たち。



アウシュビッツでは、子供たちも大人と同じ扱いで一緒に収容所で暮らしました。ユダヤ人の子供の大部分は、到着後すぐにガス室で殺害されました。子供の中で双子は医学実験の材料にされ、大部分は重労働を強いられました。



気の滅入る展示物から目を離して外を見ると、プールが設けられているのが目にとまりました。防火用水の目的の他に、SSはここで水泳を楽しんでいたのだろうか。



生き残った被収容者が収容所の様々な情景を描いた絵が展示されていました。

収容所到着すると、すべての持ち物が取り上げられました。



収容所到着時の点呼。



洗濯。



食事の配給。



労働への出発。



強制労働。



強制労働者の列の脇で演奏する楽団。演奏者は特別待遇を受けることができましたが、このことによって心に消えない傷を受けたといいます。



膨大な数の被収容者の写真に見送られて、6号棟を後にしました。
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