さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 サンクトペテルブルク その10

2012年07月11日 | 海外旅行
ネヴァ川クルーズでは、船の二階デッキから河畔の景色を楽しむことができました。



船は、一旦上流部に向かいました。

木立の奥に見えているのは、スモーリヌイの塔のようです。

スモーリヌイは、18世紀に女帝エリザベートが女子教育の場として修道院を創設したのが始まりです。1917年に、この女子修道院付属の女学校の建物で、ソビエト政権樹立宣言が行われました。



船はユーターンして下流部に向かいました。大ネフカ川の分岐に停泊しているのは、巡洋艦オーロアです。

巡洋艦オーロア(アヴローラ)は、極東艦隊に配属するために、サンクトペテルブルクの造船所で建造されました。日露戦争勃発時には、極東に向けての航海途中でしたが、本国に引き返しました。バルチック艦隊の派遣に加わり、日本海会戦を戦いますが、船長の戦死など大きな被害を受けて戦線を離脱し、中立国であったアメリカ領フィリピンにたどり着いたところで、マニラで抑留されました。

バルト海に戻ると、練習艦として運用されますが、大改装のためにペトログラード(サンクロペテルブルク)に回航されます。1917年の二月革命以降、乗組員の多くが、ボリシェヴィキに同調するようになりました。1917年10月25日、外洋への航海命令に抗命して、前部主砲が砲撃を開始し、これを合図に冬宮攻撃が開始されて十月革命が開始されました。

ソビエト崩壊後の歴史の見直しによって、巡洋艦オーロア(アヴローラ)の果たした役割にも、疑問が出されているようですが、この船の発砲によって革命が始まったという方が、話が盛り上がりますね。



巡洋艦オーロア(アヴローラ)は、海軍博物館の一部として博物館船となって公開されています。

久しぶりに、日本海海戦の旗艦であった戦艦三笠を見たくなりました。



前方にペトロパヴロフスク要塞が見えてきました。



川岸には、大きな帆船も停泊していました。

奥に見えている尖塔とドームを持った建物は、イスラム教のモスクのようです。



左岸には、立派な建物が並んでいます。



トロイツキー橋をくぐります。





トロイツキー橋をくぐると、右手には、ペトロパヴロフスク要塞が広がるようになります。

ペトロパヴロフスク要塞は、ピョートル大帝が、当時の敵国のスウェーデンに対する守りのために築いたものです。サンクトペテルブルクの街は、この要塞の建築から始まりましたが、市街地は対岸のネヴァ川左岸に広がりました。



ひと際目をひく尖塔は、ペトロパヴロフスク聖堂の鐘楼で、122mの高さがあります。

ペトロパヴロフスク聖堂には、ピョートル大帝以降の歴代の皇帝が埋葬されています。ロシア革命によってシベリアに流され、そこで殺害された最後の皇帝のニコライ2世も、1998年になってようやくここに埋葬されるようになりました。



左前方にエルミタージュ美術館が見えてきました。



左岸の街並みの奥に血の上の救世主教会の尖塔が見えていました。



前方に、イサク聖堂が迫ってきました。



ネヴァ川は小ネヴァ川と大ネヴァ川に分かれますが、その分岐一帯は、ヴェシリフスキー島の岬と呼ばれます。船は、一旦、小ネヴァ川に進んでから引き返しました。

ヴェシリフスキー島の岬で目をひくのは、ロストラの燈台柱です。ロストラの燈台柱は、高さ32mの燈台で、二本並んでいます。



ロストラは、船首を意味し、敵船の船首を切り取って船の飾りにして戦勝を記念したというローマ時代の習慣に由来しています。

ロストラの燈台柱の下には、ロシアを代表する、ヴォルホフ、ネヴァ、ドニエプル、ヴォルガの四つの大河を現す像が置かれています。



引き返して、大ネヴァ川に進みます。



対岸に、エルミタージュ美術館が大きく広がっています。

水色に塗られた壁は、エカテリーナ宮殿でも見られ、ロシアの宮殿のシンボルカラーになっています。ウィーンの宮殿が、テレジア・イエローと呼ばれる薄黄色に塗られているのと似ていますね。



宮殿橋の向こうに、イサク聖堂が大きく迫ってきました。



ペトロパヴロフスク要塞を振り返ったところ。



エルミタージュ美術館



宮廷橋をくぐると、旧海軍省が横に見えてきます。



エルミタージュ美術館を振り返ったところ。



青銅の騎士像が見えてきました。



イサク聖堂



ヴェシリフスキー島側の眺め。



メンシコフ宮殿。



芸術アカデミーの建物です。



芸術アカデミーの建物の前には、スフィンクス像が置かれています。



船は、ブラゴヴェシチェンスキー橋をくぐった先で引き返しました。



再び、エルミタージュ美術館の前に戻ってきました。



エルミタージュ美術館の劇場と旧エルミタージュの間は、ベニスの溜息の橋を思いこさせる渡り廊下で結ばれています。

この下を、運河めぐりの遊覧船がくぐりますが、頭がつかえそうです。

当初の予定では、翌日のペテルゴーフ見学の後は高速船で戻ることになっており、その際に川からの眺めを楽しめるはずでしたが、強風のために欠航してバスで戻りました。このツアーに参加して、船上からの眺めをゆっくりと楽しむことができたのは幸いでした。
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