旧王宮の北側にも広場があり、幾つもの寺院が並んでいます。
右の寺院はジャガナート寺院で、その前にプラタップ・マッラ王の石柱が立てられています。
旧王宮の北部分には、ナサル・チョークと呼ばれる中庭があります。
ナサル・チョークへの入り口は、ハヌマン・ドカと呼ばれています。
入り口には、一対の像が置かれています。
獅子に乗っているのは誰なんでしょうね。
ハヌマン・ドカの名前の由来は、門の脇におかれたハヌマン像です。赤い染料を掛けられて、原形が判らなくなっています。
旧王宮のためか、衛兵が立っていました。新旧の制服を着た衛兵がいましたが、この古い制服の衛兵は撮影可能で、新しい制服の方は撮影禁止でした。どちらもそれほど変わらないのですがね。
ネパールの兵隊としては、グルカ兵が良く知られています。グルカ兵とは、ネパール山岳民族から構成される白兵戦にたけた戦闘集団のことです。19世紀、ネパールとイギリス東インド会社軍との3度にわたる戦争(英・ネパール戦争)で活躍したことから、イギリス東インド会社は、グルカ兵を傭兵として用いることになりました。セポイの乱や第一次対戦、第二次大戦、フォークランド紛争など、イギリスが関係した戦争において、グルカ兵は先遣隊として働き、その勇猛さが知られています。
ナサル・チョークの中です。広場の南には、バサンタプル・ダルバールの塔が立っています。
また、北には、パンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院があります。
広場にあったブッダ・アイが描かれた扉。
ナサル・チョークのダルバール広場に面した建物は、19世紀のラナ家専制時代に増築されたもので、広場には不釣り合いになっています。
ハヌマン像でしょうか。
ナサル・チョークの外に出て、広場の見学を行いました。これは、ジャガナート寺院。
デグタレジュ寺院
カトマンドゥでも厚い信仰を受けているカーラ・バイラヴ。
シヴァ神の化身の一つである破壊と殺戮の神です。
カーラ・バイラヴの前で嘘をつくと即座に死んでしまうと信じられ、かつてはこの像の前に容疑者を連れてきて罪を白状させたといいます。
恐ろしいよりは、どこかユーモラスな顔をしていますがね。
ダルバール広場を一通り見学した後に、広場の南にあるクマリの館を見学しました。
広場の中庭です。団体客が集まると、上階の中央の窓から女神クマリが顔を出して、なにやらお言葉をいただきました。拍手して迎えました。
女神クマリは撮影厳禁のため、絵葉書からの画像を載せます。女神クマリの絵葉書はいたるところで売られています。
女神クマリは、大女神ドゥルガー、ネパールの守護神タレジュ女神、仏教由来の密教女神ヴァジラ・デーヴィーが宿るとされています。クマリは、仏教徒の僧侶カーストであるサキャの家族から、初潮前の美しく利発な少女が選ばれます。両親から引き離されてクマリの館に住み、神としての行いを教え込まれて、病気治療や願望成就の祈願、占いなどを行い、街の邪気を払って人々に繁栄と成功の力を与えます。
クマリは、カトマンドゥだけではなく、パタンやバクタプル、他の街にも存在していましたが、このカトマンドゥのクマリは、国や国王に関する予言を行うとされて特別扱いされていました。
実際の拝観では、遠目で顔つきまでは判断できませんでしたが、絵葉書を見ると不思議な表情をしています。
クマリの館にも孔雀の窓がありました。
王宮の南面です。
バサンタプル・ダルバールの塔がそびえています。
王宮の南には、バサンタプル広場があり、青空市が店開きしていました。広場に面したお茶屋で、チベット名産のイラム茶を買いました。
右の寺院はジャガナート寺院で、その前にプラタップ・マッラ王の石柱が立てられています。
旧王宮の北部分には、ナサル・チョークと呼ばれる中庭があります。
ナサル・チョークへの入り口は、ハヌマン・ドカと呼ばれています。
入り口には、一対の像が置かれています。
獅子に乗っているのは誰なんでしょうね。
ハヌマン・ドカの名前の由来は、門の脇におかれたハヌマン像です。赤い染料を掛けられて、原形が判らなくなっています。
旧王宮のためか、衛兵が立っていました。新旧の制服を着た衛兵がいましたが、この古い制服の衛兵は撮影可能で、新しい制服の方は撮影禁止でした。どちらもそれほど変わらないのですがね。
ネパールの兵隊としては、グルカ兵が良く知られています。グルカ兵とは、ネパール山岳民族から構成される白兵戦にたけた戦闘集団のことです。19世紀、ネパールとイギリス東インド会社軍との3度にわたる戦争(英・ネパール戦争)で活躍したことから、イギリス東インド会社は、グルカ兵を傭兵として用いることになりました。セポイの乱や第一次対戦、第二次大戦、フォークランド紛争など、イギリスが関係した戦争において、グルカ兵は先遣隊として働き、その勇猛さが知られています。
ナサル・チョークの中です。広場の南には、バサンタプル・ダルバールの塔が立っています。
また、北には、パンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院があります。
広場にあったブッダ・アイが描かれた扉。
ナサル・チョークのダルバール広場に面した建物は、19世紀のラナ家専制時代に増築されたもので、広場には不釣り合いになっています。
ハヌマン像でしょうか。
ナサル・チョークの外に出て、広場の見学を行いました。これは、ジャガナート寺院。
デグタレジュ寺院
カトマンドゥでも厚い信仰を受けているカーラ・バイラヴ。
シヴァ神の化身の一つである破壊と殺戮の神です。
カーラ・バイラヴの前で嘘をつくと即座に死んでしまうと信じられ、かつてはこの像の前に容疑者を連れてきて罪を白状させたといいます。
恐ろしいよりは、どこかユーモラスな顔をしていますがね。
ダルバール広場を一通り見学した後に、広場の南にあるクマリの館を見学しました。
広場の中庭です。団体客が集まると、上階の中央の窓から女神クマリが顔を出して、なにやらお言葉をいただきました。拍手して迎えました。
女神クマリは撮影厳禁のため、絵葉書からの画像を載せます。女神クマリの絵葉書はいたるところで売られています。
女神クマリは、大女神ドゥルガー、ネパールの守護神タレジュ女神、仏教由来の密教女神ヴァジラ・デーヴィーが宿るとされています。クマリは、仏教徒の僧侶カーストであるサキャの家族から、初潮前の美しく利発な少女が選ばれます。両親から引き離されてクマリの館に住み、神としての行いを教え込まれて、病気治療や願望成就の祈願、占いなどを行い、街の邪気を払って人々に繁栄と成功の力を与えます。
クマリは、カトマンドゥだけではなく、パタンやバクタプル、他の街にも存在していましたが、このカトマンドゥのクマリは、国や国王に関する予言を行うとされて特別扱いされていました。
実際の拝観では、遠目で顔つきまでは判断できませんでしたが、絵葉書を見ると不思議な表情をしています。
クマリの館にも孔雀の窓がありました。
王宮の南面です。
バサンタプル・ダルバールの塔がそびえています。
王宮の南には、バサンタプル広場があり、青空市が店開きしていました。広場に面したお茶屋で、チベット名産のイラム茶を買いました。