満鉄の栄華を代表する列車として特急「あじあ号」があげられます。
この「あじあ号」を牽引した機関車を見学するため、大連駅と大連港の間にある大連機関区を訪れました。
機関庫のドアを開けると、「あじあ号」を牽引したパシナ型機関車が姿を現しました。
「あじあ号」は、1934年に大連―新京(長春間)で営業を始めました。大連―新京間の約700kmを約8時間半で結びました。平均時速は82.5キロで、当時の日本で最も早かった特急「つばめ」の67.5キロを大きく上回って、東洋の「陸の王者」と呼ばれました。
満洲時代は、「あじあ号」の運転区間はハルビンまで延長されました。この時の最高時速は、120キロに達し、後の新幹線の開発に続いていきます。
全長25.7m、総重量202トンで、動輪の直径は2mという巨大な蒸気機関車です。
「あじあ号」を牽引するパシナ型蒸気機関車は、合計12輌が作られました。
現在では、大連にあるこの757車両と、瀋陽の蒸気機関車博物館にある751車両の、合わせて二台が残されているだけです。
ハシゴを昇って、運転席に入ることができました。
中は薄暗く、機関車の知識も無いため、細部は良く判りません。
石炭の投入口ですね。
機関車を一周しました。人と比べると、巨大さが良く判ります。
満鉄時代の古い写真も展示されていました。オリジナルは、青い塗装が施されていたようです。
瀋陽の蒸気機関車博物館にある751車両は、雨ざらしになって痛みがひどくなっていたものを最近になって青く塗りなおしていますが、オリジナルの色には違いないようですが、いかにもペンキ塗りたてといった感じがします。
この757車両は、白線や赤の塗装が加えられていますが、このほうが、スピード感が出ていると思います。
見学が終わると、扉は再び閉められました。
この機関車は、中国で1980年代頃まで走り続けたようなので、再び整備をして、満洲大陸を走る姿を見てみたいものです。
この「あじあ号」を牽引した機関車を見学するため、大連駅と大連港の間にある大連機関区を訪れました。
機関庫のドアを開けると、「あじあ号」を牽引したパシナ型機関車が姿を現しました。
「あじあ号」は、1934年に大連―新京(長春間)で営業を始めました。大連―新京間の約700kmを約8時間半で結びました。平均時速は82.5キロで、当時の日本で最も早かった特急「つばめ」の67.5キロを大きく上回って、東洋の「陸の王者」と呼ばれました。
満洲時代は、「あじあ号」の運転区間はハルビンまで延長されました。この時の最高時速は、120キロに達し、後の新幹線の開発に続いていきます。
全長25.7m、総重量202トンで、動輪の直径は2mという巨大な蒸気機関車です。
「あじあ号」を牽引するパシナ型蒸気機関車は、合計12輌が作られました。
現在では、大連にあるこの757車両と、瀋陽の蒸気機関車博物館にある751車両の、合わせて二台が残されているだけです。
ハシゴを昇って、運転席に入ることができました。
中は薄暗く、機関車の知識も無いため、細部は良く判りません。
石炭の投入口ですね。
機関車を一周しました。人と比べると、巨大さが良く判ります。
満鉄時代の古い写真も展示されていました。オリジナルは、青い塗装が施されていたようです。
瀋陽の蒸気機関車博物館にある751車両は、雨ざらしになって痛みがひどくなっていたものを最近になって青く塗りなおしていますが、オリジナルの色には違いないようですが、いかにもペンキ塗りたてといった感じがします。
この757車両は、白線や赤の塗装が加えられていますが、このほうが、スピード感が出ていると思います。
見学が終わると、扉は再び閉められました。
この機関車は、中国で1980年代頃まで走り続けたようなので、再び整備をして、満洲大陸を走る姿を見てみたいものです。