さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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畑谷城址 (館山) (2009.4.19.)

2009年04月24日 | 登山
 慶長5年(1600年)、天下取りの野望を露わにした家康は、会津の上杉景勝が軍備を増強していることを詰問しますが、直江兼続はこれに対して、直江状と呼ばれる絶縁状で返答します。これを受け、激怒した家康は会津征伐に向かいます。しかし、石田三成らが上方で挙兵したことにより、会津攻撃を中止し、上方に引き返してしまいます。

 上杉景勝は、家康との戦いの代わりに、かねてから庄内地方の覇権を巡って宿敵関係にあった最上義光を討つべく、直江兼続に軍勢を預け、米沢と庄内の二方面から、最上領侵攻を開始させます。直江兼続は、白鷹から狐越街道を進み、白鷹丘陵のいっかくにある畑谷城を落とし、長谷堂城に向かいます。

昨年のうちに、長谷堂城址は訪れていたのですが、畑谷城址はまだであったので、今回訪れました。



東黒森山の麓に畑谷集落がたたずんでいます。左が畑谷城のあった館山です。右の少し高い丘は、東黒森山から落ち込む尾根上のピークで、上杉軍はここに陣取って鉄砲を打ちこんだため、二日間で落城したといいます。



城跡訪問者用に駐車場が設けられており、そこから登山道が始まっていました。縦堀が道に沿って走っています。



打ち取られた将兵の首を洗ったものでしょうか。首洗池という標識も置かれていました。



幅広の山道が続きます。



標高も低く、15分ほどで山頂に到着します。

城主の江口光清は、最上義光の撤退命令に反して城を守りますが、兵力の差によって破れ、自刃し落城します。

ここにも、天地人の旗が置かれていました。このドラマでは、合戦部分ははしょられる傾向があるので、畑谷城が登場すると良いですね。



山頂には、顕彰碑の他に「旅人よゆきて伝えよ最上のために戦い倒れし者を」と書かれた石碑も置かれています。



山頂からは、東黒森山の左に山形市街地を望むことができました。



登り口には、長松寺があります。



その奥には、江口公のお墓と顕彰碑があります。



再び大沼に戻って山形に向かうと、ピラミッド型をした富神山が見えてきます。



富神山の登山口には、「天地人 出羽の虎将最上義光」の旗が置かれていました。

でも、上杉にとっては、最上は、庄内や阿賀北に度々ちょっかいを出してきた宿敵なので、ドラマでは悪人として描かれるのではないですかね。



長谷堂城攻めの際、上杉軍の本陣は、北隣りの菅沢山に置かれました。現在では、すげさわの丘という分譲地になっていますが、坂道の途中に本陣跡の看板が置かれています。



長谷堂によってみると、先回車を停めた空き地は公園化され、国道脇に立派な駐車場作られていました。

旗が並べられた丘が上杉軍が本陣を置いた菅沢山で、左奥のピラミッドピークは富神山です。



新しい旗も作られて、訪問者の歓迎準備も進んでいます。



昨年車を停めた空き地は、土塁や堀が作られて、城跡風に整備されていました。

ドラマの放送に合わせて、地元で急遽整備を進め、昨年の訪問時と様子が変わってきているところも多くなっていますが、様子が違っているのは私の責任ではないということでご容赦を。

天地人のまとめは、1月に出していますが、その追加でした。

http://blog.goo.ne.jp/iide3/e/16a4cf2873f166de327ed28326e0f65a
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