
織姫神社の境内にあった、足利氏の系図をあらわした石碑です。足利は、足利氏発祥の地ですので、ゆかりの史跡が残されています。せっかく足利を訪れたので、合わせて史跡巡りをすることにしました。

織姫神社から足利駅に向かっていく途中、賑やかな通りがあったので、そこに入っていくと、足利尊氏の銅像がありました。
足利尊氏は、室町幕府を開いた人ですが、この時代を描いた小説の代表作となると太平記になって、敵役というイメージがありますが、地元の印象は違うのでしょうね。

鑁阿寺(ばんなじ)
真言宗大日派の本山ですが、「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されています。
四方には門が設けられ、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐらされて、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。

本堂

多宝塔

天然記念物の大銀杏も黄色く染まっていました。

重要文化財の鐘楼

続いて足利学校に向かいました。文化の日のためか、無料で入場できました。
室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府でした。足利学校の出身者が、戦国武将に使えることも多かったようです。

学校と書かれています。

方丈
足利学校は、時代とともに荒れて、孔子廟だけが残った状態になってしまいましたが、最近になって、方丈や庭園が整備されたようです。

この日は、雅楽の演奏や講演会が行われていました。

付属の図書館

孔子廟

孔子像
いつもは見られないもののようです。
町中の静けさとうってかわって、鑁阿寺や足利学校は大賑わいでした。
駅に戻ると、列車は出たところで、しばらく待つ必要がありましたが、それもローカル線の旅です。のんびり待っているうちに、列車もやってきました。

織姫神社から足利駅に向かっていく途中、賑やかな通りがあったので、そこに入っていくと、足利尊氏の銅像がありました。
足利尊氏は、室町幕府を開いた人ですが、この時代を描いた小説の代表作となると太平記になって、敵役というイメージがありますが、地元の印象は違うのでしょうね。

鑁阿寺(ばんなじ)
真言宗大日派の本山ですが、「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されています。
四方には門が設けられ、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐらされて、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。

本堂

多宝塔

天然記念物の大銀杏も黄色く染まっていました。

重要文化財の鐘楼

続いて足利学校に向かいました。文化の日のためか、無料で入場できました。
室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府でした。足利学校の出身者が、戦国武将に使えることも多かったようです。

学校と書かれています。

方丈
足利学校は、時代とともに荒れて、孔子廟だけが残った状態になってしまいましたが、最近になって、方丈や庭園が整備されたようです。

この日は、雅楽の演奏や講演会が行われていました。

付属の図書館

孔子廟

孔子像
いつもは見られないもののようです。
町中の静けさとうってかわって、鑁阿寺や足利学校は大賑わいでした。
駅に戻ると、列車は出たところで、しばらく待つ必要がありましたが、それもローカル線の旅です。のんびり待っているうちに、列車もやってきました。