デンマーク編に続いてノルウェー編に入ります。ノルウェーは、スカンディナヴィア半島の西岸にあります。オスロが、ノルウェーの首都で、オスロ・フィヨルドの奥にある自然の色濃い都市です。
オスロの町は、建築好きのデンマーク王クリスチャン4世が整備したことから、1925年までクリスチャニアと呼ばれていました。
オスロ駅には、早朝発。両替の銀行が開くのを待ちましたが、困ったのは、トイレのドアを開けるノルウェー貨幣のコインを持っていなかったこと。幸い、出てくる人が、ドアを開けたままにして、どうぞと通してくれました。
夜の列車でフィヨルド見物に出かけますが、まずはオスロの市内観光に出かけました。ベルゲンから戻ってきた日を含めて、オスロは二日間の見物になりました。
ノルウェーは、現在、立憲君主制であることから、市内に王宮があります。
王宮の内部は公開されていませんが、すぐそばまで近づくことができます。外国の王宮をみると、市民との距離の近さに驚かされます。
スウェーデン王で、ノルウェーを支配していたカール・ヨハン王の銅像が、前に立っています。建物は、1848年に完成しましたが、建設を命じたヨハン王は先に他界してしまっていたとのことです。
オスロでは、旧市街といった街並みの見所は少ないですが、これは1694年から5年をかけて作られたオスロ大寺院です。
ノルウェーの国教は、福音ルーテル派で、ここはその総本山とのこと。この宗派の特長といっても知りません。キシスト教の分派についてはうといです。
町は、海に面しており、バイキングの末裔たる海洋国家に相応しい、見所が周辺に広がっています。
また、オスロというと、「叫び」の絵だけがあまりに有名になっているムンクの絵を、国立博物館とムンク美術館でまとまってみることができます。残念ながら、内部での写真は撮っていないので、省略となります。
今後の海外旅行では、ブログの素材用には、写真撮影できない被写体については絵葉書あたりを買ってくる必要がありますね。
オスロの町は、建築好きのデンマーク王クリスチャン4世が整備したことから、1925年までクリスチャニアと呼ばれていました。
オスロ駅には、早朝発。両替の銀行が開くのを待ちましたが、困ったのは、トイレのドアを開けるノルウェー貨幣のコインを持っていなかったこと。幸い、出てくる人が、ドアを開けたままにして、どうぞと通してくれました。
夜の列車でフィヨルド見物に出かけますが、まずはオスロの市内観光に出かけました。ベルゲンから戻ってきた日を含めて、オスロは二日間の見物になりました。
ノルウェーは、現在、立憲君主制であることから、市内に王宮があります。
王宮の内部は公開されていませんが、すぐそばまで近づくことができます。外国の王宮をみると、市民との距離の近さに驚かされます。
スウェーデン王で、ノルウェーを支配していたカール・ヨハン王の銅像が、前に立っています。建物は、1848年に完成しましたが、建設を命じたヨハン王は先に他界してしまっていたとのことです。
オスロでは、旧市街といった街並みの見所は少ないですが、これは1694年から5年をかけて作られたオスロ大寺院です。
ノルウェーの国教は、福音ルーテル派で、ここはその総本山とのこと。この宗派の特長といっても知りません。キシスト教の分派についてはうといです。
町は、海に面しており、バイキングの末裔たる海洋国家に相応しい、見所が周辺に広がっています。
また、オスロというと、「叫び」の絵だけがあまりに有名になっているムンクの絵を、国立博物館とムンク美術館でまとまってみることができます。残念ながら、内部での写真は撮っていないので、省略となります。
今後の海外旅行では、ブログの素材用には、写真撮影できない被写体については絵葉書あたりを買ってくる必要がありますね。