
エチミアジン大聖堂の見学の後、一旦エレバンに戻ることになりましたが、車窓からリプシマ教会を望むことができました。
リプシメ教会は、キリスト教徒でなかったローマ皇帝の求愛を拒否してアルメニアに逃れ、キリスト教の布教を行ったものの、当時キリスト教徒でなかったトゥルダト3世の求愛を拒否したために殺害された女性のリプシメを記念して618年に建設されたものです。

一旦エレバンに戻り、ホテルの近くを通りました。これは、ホテルの近くにある聖サルギス教会。

エレバン市内では、旧東欧圏で良く見られるトロリーバスが走っていました。かつては東京市内でも走っていたトロリーバスですが、現在の日本では黒部ダムの立山黒部アルペンルートにしか残されていません。

エレバン市内を抜ける際、大きな剣を持ったアルメニアの母の像を見ることができました。
ソ連邦時代、第二次大戦の勝利を記念して勝利公園が造られ、スターリン像が置かれていました。しかし、ソ連邦からアルメニアが独立すると、スターリン象は取り壊され、代わりにアルメニア母の像が置かれることになりました。現在では、ソ連邦の各地に飾られていたスターリン像も、各国が独立した後には壊されてしまい、逆にキルギスのビシュケクのように、残されているものは珍しい見学の対象になっています。

エレバンを抜けて、部に向かうと、丘陵地が広がっていました。

ガルニ村で昼食をとった後にガルニ神殿を見学しました。

ガルニには、紀元前3世紀頃に要塞が築かれ、紀元1世紀にはアルメニア王ミトリダテスの離宮が置かれました。この神殿は「太陽の神殿」と呼ばれ、異教の神である太陽神「ミトラ(ミトラス)」に捧げられたものです。神殿が建てられた頃のアルメニアは、ギリシャやローマの大きな精神文化の影響を受けてた時代で、現在アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築になっています。

現在の神殿は。16世紀の地震で壊れたものを1976年に再建したもので、青みを帯びた玄武岩で作られた神殿は優雅な雰囲気を醸し出しています。

屋根は葡萄の彫刻を施した柱で支えられています。柱は24本あり、24時間を現しているようです。

基礎部の石は鉄の杭で補強されていますが、これはローマ時代の工法とのこと。

神殿内部の祭壇は、飾りは無く質素な造りでした。
三方が石の壁で囲まれて音響効果が良いため、中で笛の演奏が行われていました。そのため、奥まで入れず、ちょっと邪魔でした。

天井は一部が開いていました。

神殿周囲の回廊の天井部には細かい彫刻が施されていました。


神殿の周りには、他の遺跡が点在しており、これはシオン教会跡。

紀元前3世紀に造られた浴場跡。

現地ガイドが入口の鍵を借りてきており、内部に入ることができました。

高床式になっていました。

モザイクが残されていました。

人の姿が描かれています。

文字も描かれていますが、何語なのでしょうか。


浴場跡から見たガルニ神殿。ギリシャあるいはローマ建築物を思わせる佇まいです。

神殿脇からは、アザト川渓谷を見下ろすことができました。

深い渓谷に囲まれた高台に建つ神殿は、確かに聖域という感じがしました。
ガルニ神殿に続いては、そう遠くない距離にあるゲガルト修道院に向かいました。
リプシメ教会は、キリスト教徒でなかったローマ皇帝の求愛を拒否してアルメニアに逃れ、キリスト教の布教を行ったものの、当時キリスト教徒でなかったトゥルダト3世の求愛を拒否したために殺害された女性のリプシメを記念して618年に建設されたものです。

一旦エレバンに戻り、ホテルの近くを通りました。これは、ホテルの近くにある聖サルギス教会。

エレバン市内では、旧東欧圏で良く見られるトロリーバスが走っていました。かつては東京市内でも走っていたトロリーバスですが、現在の日本では黒部ダムの立山黒部アルペンルートにしか残されていません。

エレバン市内を抜ける際、大きな剣を持ったアルメニアの母の像を見ることができました。
ソ連邦時代、第二次大戦の勝利を記念して勝利公園が造られ、スターリン像が置かれていました。しかし、ソ連邦からアルメニアが独立すると、スターリン象は取り壊され、代わりにアルメニア母の像が置かれることになりました。現在では、ソ連邦の各地に飾られていたスターリン像も、各国が独立した後には壊されてしまい、逆にキルギスのビシュケクのように、残されているものは珍しい見学の対象になっています。

エレバンを抜けて、部に向かうと、丘陵地が広がっていました。

ガルニ村で昼食をとった後にガルニ神殿を見学しました。

ガルニには、紀元前3世紀頃に要塞が築かれ、紀元1世紀にはアルメニア王ミトリダテスの離宮が置かれました。この神殿は「太陽の神殿」と呼ばれ、異教の神である太陽神「ミトラ(ミトラス)」に捧げられたものです。神殿が建てられた頃のアルメニアは、ギリシャやローマの大きな精神文化の影響を受けてた時代で、現在アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築になっています。

現在の神殿は。16世紀の地震で壊れたものを1976年に再建したもので、青みを帯びた玄武岩で作られた神殿は優雅な雰囲気を醸し出しています。

屋根は葡萄の彫刻を施した柱で支えられています。柱は24本あり、24時間を現しているようです。

基礎部の石は鉄の杭で補強されていますが、これはローマ時代の工法とのこと。

神殿内部の祭壇は、飾りは無く質素な造りでした。
三方が石の壁で囲まれて音響効果が良いため、中で笛の演奏が行われていました。そのため、奥まで入れず、ちょっと邪魔でした。

天井は一部が開いていました。

神殿周囲の回廊の天井部には細かい彫刻が施されていました。


神殿の周りには、他の遺跡が点在しており、これはシオン教会跡。

紀元前3世紀に造られた浴場跡。

現地ガイドが入口の鍵を借りてきており、内部に入ることができました。

高床式になっていました。

モザイクが残されていました。

人の姿が描かれています。

文字も描かれていますが、何語なのでしょうか。


浴場跡から見たガルニ神殿。ギリシャあるいはローマ建築物を思わせる佇まいです。

神殿脇からは、アザト川渓谷を見下ろすことができました。

深い渓谷に囲まれた高台に建つ神殿は、確かに聖域という感じがしました。
ガルニ神殿に続いては、そう遠くない距離にあるゲガルト修道院に向かいました。