国立人類学博物館見学後、独立記念塔近くのガレリアプラザホテルに入りました。このホテルでは、二泊することになりました。国立人類学博物館のあるチャプルテペック公園と旧市街地のソカロ地区の中間にあるため、出歩くには場所はあまり良くありませんでしたが、レフォルマ大通りにある独立記念塔はすぐ近くでした。
二日目の夕方に見た独立記念塔。周辺には高層ビルが並んでいました。
この塔は1810年に始まったメキシコ独立戦争の100周年を記念して、ポルフィリオ・ディアス大統領によって1910年に建設されたものです。塔の高さは48mあり、天使の部分だけでも6.7mあります。
塔の上に置かれた天使(アンヘル)像は、ギリシャの勝利の女神ニーケーをかたどったもので、右手には勝利を象徴する月桂樹、左手には自由を表すちぎれた鎖を持っています。
塔の足元には、メキシコ独立革命の父であるイダルゴ神父の像のほか、メキシコ独立戦争の英雄であるモレーロス、ゲレーロ、ミナ、ブラーボの像、さらに四方には、「法」、「正義」、「戦争」、「平和」を示す黒い像が配置されています。
独立記念塔の立つレフォルマ通りは、緑地帯も設けたヨーロッパの大都市の大通りに似た感じを持っています。
レフォルマ通りは、メキシコ皇帝マクシミリアンによって、王妃カルロッタ(ベルギー国王レオポルド1世の第1王女シャルロッテ)のために、フランスのシャンゼリゼ通りを真似て造られました。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟のマクシミリアンは、ナポレオン3世によって1864年に傀儡としてメキシコ皇帝に就けられましたが、政情の変化でナポレオン3世がフランス軍を引き上げたことによって、内戦後に銃殺という悲劇的な死をとげました。一方、妻のシャルロッテは、夫の帝国への支援を求めてパリ、ウィーンとヨーロッパをまわりましたが、努力が失敗に終わったことにより精神の崩壊を生じて幽閉状態の生活を過ごすことになり、2度とメキシコに帰ることはありませんでした。
ハプスブルグ家の没落の象徴的事件の一つであるマクシミリアン皇帝の遺産として、レフォルマ通りは興味あるものに思えました。
二日目の夜、独立記念塔を見学しました。
美しくライトアップされていました。
二日目の朝の独立記念塔。
レフォルマ通りには、多くの像が置かれています。これは、独立記念塔の東にあるディアナ像。
二日目は、プエブラの見学に出かけてメキシコシティを離れてしまったので、メキシコシティの市内観光は三日目になりました。
レフォルマ通りからソカロ広場に向かうと、クアウテモック記念像が現れました。
クアウテモックは、アステカ最後の王で、コルテスと戦いましたが、敗れた後に捕らわれ、財宝のありかを聞きだすために拷問に掛けられた後に絞首刑にされました。現在のメキシコでは国民的英雄になっているようです。
続いてコロンブス記念像。
コロンブスの評価も、「アメリカ大陸の発見者」から「大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した者」と変わってきて、否定的評価の方が大きくなっています。
レフォルマ通りから離れると、アラメダ公園にあるベニート・ファレス記念碑の前を通りました。
ベニート・フアレス(大統領在任:1861~1863、1867~1872)はメキシコで唯一のインディオ出身の大統領で、「近代メキシコの父」とも呼ばれています。フアレスはフランスと傀儡政権メキシコ帝国(メキシコ第二帝政)に対する徹底抗戦を貫き、フランスの撤退後にマクシミリアンを処刑し、共和制の復活を達成しました。
続いて、ベジャス・アルテス宮殿(メキシコ国立芸術院)が現れました。メキシコでもっとも格調の高い劇場で、1905年に着工され、メキシコ革命の勃発で中断後、1934年に完成しました。大理石を使った壮観なアール・デコ様式の建物ですが、かつては湖であったメキシコシティの地盤が弱いことから、年間数センチずつ地面に沈下しているといいます。
二日目の夕方に見た独立記念塔。周辺には高層ビルが並んでいました。
この塔は1810年に始まったメキシコ独立戦争の100周年を記念して、ポルフィリオ・ディアス大統領によって1910年に建設されたものです。塔の高さは48mあり、天使の部分だけでも6.7mあります。
塔の上に置かれた天使(アンヘル)像は、ギリシャの勝利の女神ニーケーをかたどったもので、右手には勝利を象徴する月桂樹、左手には自由を表すちぎれた鎖を持っています。
塔の足元には、メキシコ独立革命の父であるイダルゴ神父の像のほか、メキシコ独立戦争の英雄であるモレーロス、ゲレーロ、ミナ、ブラーボの像、さらに四方には、「法」、「正義」、「戦争」、「平和」を示す黒い像が配置されています。
独立記念塔の立つレフォルマ通りは、緑地帯も設けたヨーロッパの大都市の大通りに似た感じを持っています。
レフォルマ通りは、メキシコ皇帝マクシミリアンによって、王妃カルロッタ(ベルギー国王レオポルド1世の第1王女シャルロッテ)のために、フランスのシャンゼリゼ通りを真似て造られました。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟のマクシミリアンは、ナポレオン3世によって1864年に傀儡としてメキシコ皇帝に就けられましたが、政情の変化でナポレオン3世がフランス軍を引き上げたことによって、内戦後に銃殺という悲劇的な死をとげました。一方、妻のシャルロッテは、夫の帝国への支援を求めてパリ、ウィーンとヨーロッパをまわりましたが、努力が失敗に終わったことにより精神の崩壊を生じて幽閉状態の生活を過ごすことになり、2度とメキシコに帰ることはありませんでした。
ハプスブルグ家の没落の象徴的事件の一つであるマクシミリアン皇帝の遺産として、レフォルマ通りは興味あるものに思えました。
二日目の夜、独立記念塔を見学しました。
美しくライトアップされていました。
二日目の朝の独立記念塔。
レフォルマ通りには、多くの像が置かれています。これは、独立記念塔の東にあるディアナ像。
二日目は、プエブラの見学に出かけてメキシコシティを離れてしまったので、メキシコシティの市内観光は三日目になりました。
レフォルマ通りからソカロ広場に向かうと、クアウテモック記念像が現れました。
クアウテモックは、アステカ最後の王で、コルテスと戦いましたが、敗れた後に捕らわれ、財宝のありかを聞きだすために拷問に掛けられた後に絞首刑にされました。現在のメキシコでは国民的英雄になっているようです。
続いてコロンブス記念像。
コロンブスの評価も、「アメリカ大陸の発見者」から「大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した者」と変わってきて、否定的評価の方が大きくなっています。
レフォルマ通りから離れると、アラメダ公園にあるベニート・ファレス記念碑の前を通りました。
ベニート・フアレス(大統領在任:1861~1863、1867~1872)はメキシコで唯一のインディオ出身の大統領で、「近代メキシコの父」とも呼ばれています。フアレスはフランスと傀儡政権メキシコ帝国(メキシコ第二帝政)に対する徹底抗戦を貫き、フランスの撤退後にマクシミリアンを処刑し、共和制の復活を達成しました。
続いて、ベジャス・アルテス宮殿(メキシコ国立芸術院)が現れました。メキシコでもっとも格調の高い劇場で、1905年に着工され、メキシコ革命の勃発で中断後、1934年に完成しました。大理石を使った壮観なアール・デコ様式の建物ですが、かつては湖であったメキシコシティの地盤が弱いことから、年間数センチずつ地面に沈下しているといいます。