
午前はトレチャコフ美術館、午後は赤の広場とクレムリンの見学になりました。まずは、赤の広場の南のはずれにあるポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)を訪れました。
写真の右がポクロフスキー聖堂で、左はクレムリンです。

ポクロフスキー聖堂は、1551年から1560年にかけて、イヴァン4世(雷帝)が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立しました。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われます。中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く八つの小聖堂が取り囲んでいます。今日煮られる聖堂の彩色は17世紀から19世紀にかけて施されたものとのことです。
ロシアを代表する風景といっても良いですね。

クレムリンは、高い壁に囲まれていおり、右に見えている高い塔は公用門として使われるスパスカヤ塔です。

ポクロフスキー聖堂は、ポスニク・ヤーコブレフの設計によって完成されましたが、そのあまりの美しさゆえか、完成後イヴァン4世はこれより美しい建造物が建てられることを恐れ、設計者ポスニク・ヤーコブレフの目を潰して失明させたと言われています。もっとも、ポクロフスキー聖堂の完成後にも、彼の設計による建物が建てられていることから、伝説にしか過ぎないようです。

見る方向によって、塔の眺めも変わってきます。
ポクロフスキー聖堂に入場しようとしましたが、戦争記念のセレモニーの準備中ということで、赤の広場が立ち入り禁止になっており、見学は後回しになりました。

クレムリン内の武器庫や教会の見学を終えた後、夕方に再びポクロフスキー聖堂にやってきました。

赤の広場側が、入り口のある正面ということになります。

ポクロフスキー聖堂の前には、教会とは関係ないのですが、ミーニンとポジャルスキーの像が置かれています。
ボリスゴドノフの帝位簒奪後にモスクワはポーランドに占領されますが、義勇軍を組織して立ち上がり、モスクワを開放したのが、ミーニン(ノヴゴロドの豪商)とボジャルスキー(スーズダリ大公)でした。

派手なドームに目を奪われますが、壁も美しい模様が施されています。

教会内は、カメラ用チケットを買えば、撮影可でした。
ポクロフスキー聖堂の模型が置かれていました。背後は、イワン雷帝の像でしょうか。

堂内には、イコンが飾られていました。

ポクロフスキー聖堂に収められていることからすれば、これらのイコンは、由緒あるものでしょう。






ポクロフスキー聖堂では、ドームの下にそれぞれ聖堂が設けられており。合計九つの聖堂が集まって一つの大聖堂を形成しています。

狭い空間ですが、天井まで装飾が施されています。


狭いながら、イコノスタスと同じ構成になっています。


これはまた別の聖堂です。


聖堂の天井はドームになっています。

この聖堂では、男性合唱団が一曲歌ってくれました。素晴らしい音響効果で、オーケストラの伴奏付きの音楽のように聞こえました。

歌が気に入ったら買ってということで、CDを売っていました。気に入りましたので買いました。
この合唱団の名前はドロスというのでしょうか。これは、聖歌を集めたもの。

こちらは民謡集。

窓から赤の広場を眺めることができました。中央に見えているのは、赤の広場を挟んで向かい合う国立歴史博物館です。

迷路のような聖堂内を見学していきます。


外に出て、ポクロフスキー聖堂を振り返りました。

青空も広がって、聖堂のドームも輝いていました。
写真の右がポクロフスキー聖堂で、左はクレムリンです。

ポクロフスキー聖堂は、1551年から1560年にかけて、イヴァン4世(雷帝)が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立しました。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われます。中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く八つの小聖堂が取り囲んでいます。今日煮られる聖堂の彩色は17世紀から19世紀にかけて施されたものとのことです。
ロシアを代表する風景といっても良いですね。

クレムリンは、高い壁に囲まれていおり、右に見えている高い塔は公用門として使われるスパスカヤ塔です。

ポクロフスキー聖堂は、ポスニク・ヤーコブレフの設計によって完成されましたが、そのあまりの美しさゆえか、完成後イヴァン4世はこれより美しい建造物が建てられることを恐れ、設計者ポスニク・ヤーコブレフの目を潰して失明させたと言われています。もっとも、ポクロフスキー聖堂の完成後にも、彼の設計による建物が建てられていることから、伝説にしか過ぎないようです。

見る方向によって、塔の眺めも変わってきます。
ポクロフスキー聖堂に入場しようとしましたが、戦争記念のセレモニーの準備中ということで、赤の広場が立ち入り禁止になっており、見学は後回しになりました。

クレムリン内の武器庫や教会の見学を終えた後、夕方に再びポクロフスキー聖堂にやってきました。

赤の広場側が、入り口のある正面ということになります。

ポクロフスキー聖堂の前には、教会とは関係ないのですが、ミーニンとポジャルスキーの像が置かれています。
ボリスゴドノフの帝位簒奪後にモスクワはポーランドに占領されますが、義勇軍を組織して立ち上がり、モスクワを開放したのが、ミーニン(ノヴゴロドの豪商)とボジャルスキー(スーズダリ大公)でした。

派手なドームに目を奪われますが、壁も美しい模様が施されています。

教会内は、カメラ用チケットを買えば、撮影可でした。
ポクロフスキー聖堂の模型が置かれていました。背後は、イワン雷帝の像でしょうか。

堂内には、イコンが飾られていました。

ポクロフスキー聖堂に収められていることからすれば、これらのイコンは、由緒あるものでしょう。






ポクロフスキー聖堂では、ドームの下にそれぞれ聖堂が設けられており。合計九つの聖堂が集まって一つの大聖堂を形成しています。

狭い空間ですが、天井まで装飾が施されています。


狭いながら、イコノスタスと同じ構成になっています。


これはまた別の聖堂です。


聖堂の天井はドームになっています。

この聖堂では、男性合唱団が一曲歌ってくれました。素晴らしい音響効果で、オーケストラの伴奏付きの音楽のように聞こえました。

歌が気に入ったら買ってということで、CDを売っていました。気に入りましたので買いました。
この合唱団の名前はドロスというのでしょうか。これは、聖歌を集めたもの。

こちらは民謡集。

窓から赤の広場を眺めることができました。中央に見えているのは、赤の広場を挟んで向かい合う国立歴史博物館です。

迷路のような聖堂内を見学していきます。


外に出て、ポクロフスキー聖堂を振り返りました。

青空も広がって、聖堂のドームも輝いていました。