さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
http://iide.hp.infoseek.co.jp/

さすらいの風景 モスクワ その4

2012年08月22日 | 海外旅行
午前はトレチャコフ美術館、午後は赤の広場とクレムリンの見学になりました。まずは、赤の広場の南のはずれにあるポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)を訪れました。

写真の右がポクロフスキー聖堂で、左はクレムリンです。



ポクロフスキー聖堂は、1551年から1560年にかけて、イヴァン4世(雷帝)が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立しました。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われます。中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く八つの小聖堂が取り囲んでいます。今日煮られる聖堂の彩色は17世紀から19世紀にかけて施されたものとのことです。

ロシアを代表する風景といっても良いですね。



クレムリンは、高い壁に囲まれていおり、右に見えている高い塔は公用門として使われるスパスカヤ塔です。



ポクロフスキー聖堂は、ポスニク・ヤーコブレフの設計によって完成されましたが、そのあまりの美しさゆえか、完成後イヴァン4世はこれより美しい建造物が建てられることを恐れ、設計者ポスニク・ヤーコブレフの目を潰して失明させたと言われています。もっとも、ポクロフスキー聖堂の完成後にも、彼の設計による建物が建てられていることから、伝説にしか過ぎないようです。



見る方向によって、塔の眺めも変わってきます。

ポクロフスキー聖堂に入場しようとしましたが、戦争記念のセレモニーの準備中ということで、赤の広場が立ち入り禁止になっており、見学は後回しになりました。



クレムリン内の武器庫や教会の見学を終えた後、夕方に再びポクロフスキー聖堂にやってきました。



赤の広場側が、入り口のある正面ということになります。



ポクロフスキー聖堂の前には、教会とは関係ないのですが、ミーニンとポジャルスキーの像が置かれています。

ボリスゴドノフの帝位簒奪後にモスクワはポーランドに占領されますが、義勇軍を組織して立ち上がり、モスクワを開放したのが、ミーニン(ノヴゴロドの豪商)とボジャルスキー(スーズダリ大公)でした。



派手なドームに目を奪われますが、壁も美しい模様が施されています。



教会内は、カメラ用チケットを買えば、撮影可でした。

ポクロフスキー聖堂の模型が置かれていました。背後は、イワン雷帝の像でしょうか。



堂内には、イコンが飾られていました。



ポクロフスキー聖堂に収められていることからすれば、これらのイコンは、由緒あるものでしょう。













ポクロフスキー聖堂では、ドームの下にそれぞれ聖堂が設けられており。合計九つの聖堂が集まって一つの大聖堂を形成しています。



狭い空間ですが、天井まで装飾が施されています。





狭いながら、イコノスタスと同じ構成になっています。





これはまた別の聖堂です。





聖堂の天井はドームになっています。



この聖堂では、男性合唱団が一曲歌ってくれました。素晴らしい音響効果で、オーケストラの伴奏付きの音楽のように聞こえました。



歌が気に入ったら買ってということで、CDを売っていました。気に入りましたので買いました。

この合唱団の名前はドロスというのでしょうか。これは、聖歌を集めたもの。



こちらは民謡集。



窓から赤の広場を眺めることができました。中央に見えているのは、赤の広場を挟んで向かい合う国立歴史博物館です。



迷路のような聖堂内を見学していきます。





外に出て、ポクロフスキー聖堂を振り返りました。



青空も広がって、聖堂のドームも輝いていました。
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さすらいの風景 モスクワ ... | トップ | さすらいの風景 モスクワ ... »
最新の画像もっと見る

海外旅行」カテゴリの最新記事