
本降りの中、嘉峪関(かよくかん)を見学することになりました。この日の朝に出発してきた砂漠の中の額済納(エチナ)とは全く異なる天候です。

入口の脇には、世界遺産のマークと共に「天下第一雄関」と書かれています。
嘉峪関は、万里の長城最西部に位置する関で、「天下第一関」と称される最東端の山海関と共に万里の長城における要衝になっていました。明代初期の1372年に建設された後、ティムール軍に対する防衛の必要性から関の防備は強化されましたが、ティムールは東進着手前に死去し実際に攻撃されることなく終わりました。万里の長城の関の中で唯一建設当時のまま残される建造物になっています。

中国の他の観光地と同じく、入り口からはカートに乗りました。武将の銅像が置かれていました。
砦の建設者であり、朱元璋のもとで北元と戦った「征虜大将軍」馮勝の像でしょうか。

九眼泉池を回り込んでいきました。城塞の水源として使われていたのでしょう。

カートを降りると、城壁が高く聳えていました。

東門から入場しました。

長い廊下が続きました。

嘉峪関の城塞部の地図。右下から歩いていきました。

「天下雄関」と書かれた石碑が置かれていました。奥に見えるのは、城砦全体を囲む城壁。

石碑の置かれた碑廊を通り抜けました。

大きな広場が現れ、その向こうに内城が見えてきました。

城壁は焼きレンガで造られています。

内城に三つある望楼のうち、光化楼が見えてきました。


内城への入り口の文昌閣。

文昌閣の奥には、舞台が設けられていました。

舞台の壁に飾られていた絵。

舞台と向かい合って、三国志でおなじみの関羽を祀った関帝廟も設けられていました。明の時代の要塞にわざわざ設けられているということは、現在の商売繁盛の神様というよりは、武将としての功績で神格化されているのでしょうか。熱心にお参りしている人は、三国志ファンというよりは、商売繁盛を願っているようでした。

内城へ入ります。

薄暗いトンネルを抜けました。城壁は、かなりの厚さがあります。

内城には、遊撃将軍府が置かれていました。

内城の壁際に大岩が置かれており、「撃石燕鳴」という伝説が残されています。
嘉峪関に仲の良い燕のカップルが住んでいて、毎日一緒に行動していた。ある日、二羽の燕は一緒に食べ物を採りに出かけ、夕方の門が締められる時に戻ってきた。メスの燕は先にお城に戻ったが、オスの燕は締まった門にぶつかって死んでしまった。メスの燕も哀しみ泣き続けて死んでしまった。その後、ここで燕の鳴き声が聞こえるようになった。人々がここを出る時に壁を叩き、燕の鳴き声が聞こえてきたら、今回は無事に戻れると安心するようになった。将軍が戦争に出る時にも、家族の人は壁を叩き、将軍が無事に戻るように祈ったという。
城門が締まっても、城壁の上を越せば良いだけだと思ってしまいますが、城壁は高く、燕でも門が締まったら越せないという意味を込めているのでしょうか。

内城の城壁へ上がりました。

内城の眺めが広がっていました。

内城に置かれた遊撃将軍府。

城壁の上を歩きました。

西側には、二つの望楼が並んで設けられていました。二つの望楼が連続して並ぶ姿は、堅牢な要塞であることがうかがわれます。

嘉峪関から長城の城壁が続いているのを眺めることができました。

長城の幅は狭いものの、中が窪んで兵が隠れることができるようになっていました。

城壁の途中には城楼が設けられていました。

この城楼の一段下がった段には、レンガが一つ置かれています。これにも伝説があります。
明の時代に嘉峪関を建てた時、易開占という素晴らしい職人がいました。嘉峪関造営に必要なレンガの数を計算するよう命じられた易開占は、詳細に計算した上で99999個のレンガが必要だと役人に報告しました。役人は1個でも間違ったら易開占の首を刎ね、ほかの職人には3年の労役を課すと言いました。しかし、嘉峪関が完成したときレンガが1個余ったので、西側の城楼の上に置いておくと、役人が見つけてしまいました。易開占はあわてず、「このレンガは神様が置いた定城レンガだ。もし動かしたら城は壊れてしまう」と言ったので、以後、そのレンガはずっとそこに置かれているというものです。

城門から下りて、西に進みました。

内城と外部の城壁の間は、防衛上の配慮のためか、狭い通路になって曲がっていました。

嘉峪関門から外に向かいました。

石畳の上には荷車の轍が刻まれて、この城砦の長い歴史をうかがうことができました。

嘉峪関門の眺め。西側の外部からは、望楼が並んで堂々とした姿に見えます。攻め落とすのは難しそうです。

嘉峪関門の外の砂漠地には、観光用ラクダがいましたが、雨のために開店休業状態でした。

嘉峪関門から城内に戻りました。隊商は、内城には入らず、この通路を通ったようです。

内城の周りを通って入り口に戻ってきました。
嘉峪関は、思っていたよりも大規模な城砦で、どのように攻め落とせば良いのかと、想像が広がります。
三国志やキングダムのファンなら、見逃せない城砦といえます。

入口の脇には、世界遺産のマークと共に「天下第一雄関」と書かれています。
嘉峪関は、万里の長城最西部に位置する関で、「天下第一関」と称される最東端の山海関と共に万里の長城における要衝になっていました。明代初期の1372年に建設された後、ティムール軍に対する防衛の必要性から関の防備は強化されましたが、ティムールは東進着手前に死去し実際に攻撃されることなく終わりました。万里の長城の関の中で唯一建設当時のまま残される建造物になっています。

中国の他の観光地と同じく、入り口からはカートに乗りました。武将の銅像が置かれていました。
砦の建設者であり、朱元璋のもとで北元と戦った「征虜大将軍」馮勝の像でしょうか。

九眼泉池を回り込んでいきました。城塞の水源として使われていたのでしょう。

カートを降りると、城壁が高く聳えていました。

東門から入場しました。

長い廊下が続きました。

嘉峪関の城塞部の地図。右下から歩いていきました。

「天下雄関」と書かれた石碑が置かれていました。奥に見えるのは、城砦全体を囲む城壁。

石碑の置かれた碑廊を通り抜けました。

大きな広場が現れ、その向こうに内城が見えてきました。

城壁は焼きレンガで造られています。

内城に三つある望楼のうち、光化楼が見えてきました。


内城への入り口の文昌閣。

文昌閣の奥には、舞台が設けられていました。

舞台の壁に飾られていた絵。

舞台と向かい合って、三国志でおなじみの関羽を祀った関帝廟も設けられていました。明の時代の要塞にわざわざ設けられているということは、現在の商売繁盛の神様というよりは、武将としての功績で神格化されているのでしょうか。熱心にお参りしている人は、三国志ファンというよりは、商売繁盛を願っているようでした。

内城へ入ります。

薄暗いトンネルを抜けました。城壁は、かなりの厚さがあります。

内城には、遊撃将軍府が置かれていました。

内城の壁際に大岩が置かれており、「撃石燕鳴」という伝説が残されています。
嘉峪関に仲の良い燕のカップルが住んでいて、毎日一緒に行動していた。ある日、二羽の燕は一緒に食べ物を採りに出かけ、夕方の門が締められる時に戻ってきた。メスの燕は先にお城に戻ったが、オスの燕は締まった門にぶつかって死んでしまった。メスの燕も哀しみ泣き続けて死んでしまった。その後、ここで燕の鳴き声が聞こえるようになった。人々がここを出る時に壁を叩き、燕の鳴き声が聞こえてきたら、今回は無事に戻れると安心するようになった。将軍が戦争に出る時にも、家族の人は壁を叩き、将軍が無事に戻るように祈ったという。
城門が締まっても、城壁の上を越せば良いだけだと思ってしまいますが、城壁は高く、燕でも門が締まったら越せないという意味を込めているのでしょうか。

内城の城壁へ上がりました。

内城の眺めが広がっていました。

内城に置かれた遊撃将軍府。

城壁の上を歩きました。

西側には、二つの望楼が並んで設けられていました。二つの望楼が連続して並ぶ姿は、堅牢な要塞であることがうかがわれます。

嘉峪関から長城の城壁が続いているのを眺めることができました。

長城の幅は狭いものの、中が窪んで兵が隠れることができるようになっていました。

城壁の途中には城楼が設けられていました。

この城楼の一段下がった段には、レンガが一つ置かれています。これにも伝説があります。
明の時代に嘉峪関を建てた時、易開占という素晴らしい職人がいました。嘉峪関造営に必要なレンガの数を計算するよう命じられた易開占は、詳細に計算した上で99999個のレンガが必要だと役人に報告しました。役人は1個でも間違ったら易開占の首を刎ね、ほかの職人には3年の労役を課すと言いました。しかし、嘉峪関が完成したときレンガが1個余ったので、西側の城楼の上に置いておくと、役人が見つけてしまいました。易開占はあわてず、「このレンガは神様が置いた定城レンガだ。もし動かしたら城は壊れてしまう」と言ったので、以後、そのレンガはずっとそこに置かれているというものです。

城門から下りて、西に進みました。

内城と外部の城壁の間は、防衛上の配慮のためか、狭い通路になって曲がっていました。

嘉峪関門から外に向かいました。

石畳の上には荷車の轍が刻まれて、この城砦の長い歴史をうかがうことができました。

嘉峪関門の眺め。西側の外部からは、望楼が並んで堂々とした姿に見えます。攻め落とすのは難しそうです。

嘉峪関門の外の砂漠地には、観光用ラクダがいましたが、雨のために開店休業状態でした。

嘉峪関門から城内に戻りました。隊商は、内城には入らず、この通路を通ったようです。

内城の周りを通って入り口に戻ってきました。
嘉峪関は、思っていたよりも大規模な城砦で、どのように攻め落とせば良いのかと、想像が広がります。
三国志やキングダムのファンなら、見逃せない城砦といえます。