
アンコール・ワットの第一回廊の壁には、長大なリリーフで飾られており、見どころの一つになっています。

これは、インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」を描いたものです。

「マハーバーラタ」は、「ラーマーヤナ」と並ぶ、インドを代表する叙事詩です。

「マハーバーラタ」は、同族の王家同士が、五王子側と百王子側に分かれて戦う物語です。粗筋を読むだけでも、多くの名前が出てきて頭が混乱してしまいます。王家の相続争いの物語のため、東南アジアでは、より神話の色合いの強い、「ラーマーヤナ」の方が人気が高いようです。

ウマや兵器が詳細に描かれています。

壁一面に描かれたレリーフは迫力があります。


レリーフから目を離して脇の柱を見ると、デバターが微笑んでいました。

ヴィシュヌ神の像が置かれていました。

石像が置かれていましたが、ヒンドゥー教のものか仏教のものか判りません。

十字回廊。沐浴のための池がありました。

仏像前の柱に、墨書が見られます。
日本の戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、日本人の海外進出も盛んに行われ、東南アジアには日本人町が作られました。カンボジアのプノンペンの日本人町の人々は、アンコール・ワットをシャカが説法を行ったという祇園精舎と誤認し、この誤った情報が日本にも伝えられ、多くの日本人が参拝に出かけたといいます。
鎖国令が出される三年前の寛永九年(1603年)、森本右近太夫一房は、加藤清正の部下であった父の菩提を弔うため、御朱印船を利用して南シナ海を渡り、メコン川を遡ってアンコール・ワットに到達したといいます。
現在でも、森本右近太夫一房が残した墨書の跡は、以前よりも判読が難しくなったとはいえ、このように残されています。

これは、インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」を描いたものです。

「マハーバーラタ」は、「ラーマーヤナ」と並ぶ、インドを代表する叙事詩です。

「マハーバーラタ」は、同族の王家同士が、五王子側と百王子側に分かれて戦う物語です。粗筋を読むだけでも、多くの名前が出てきて頭が混乱してしまいます。王家の相続争いの物語のため、東南アジアでは、より神話の色合いの強い、「ラーマーヤナ」の方が人気が高いようです。

ウマや兵器が詳細に描かれています。

壁一面に描かれたレリーフは迫力があります。


レリーフから目を離して脇の柱を見ると、デバターが微笑んでいました。

ヴィシュヌ神の像が置かれていました。

石像が置かれていましたが、ヒンドゥー教のものか仏教のものか判りません。

十字回廊。沐浴のための池がありました。

仏像前の柱に、墨書が見られます。
日本の戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、日本人の海外進出も盛んに行われ、東南アジアには日本人町が作られました。カンボジアのプノンペンの日本人町の人々は、アンコール・ワットをシャカが説法を行ったという祇園精舎と誤認し、この誤った情報が日本にも伝えられ、多くの日本人が参拝に出かけたといいます。
鎖国令が出される三年前の寛永九年(1603年)、森本右近太夫一房は、加藤清正の部下であった父の菩提を弔うため、御朱印船を利用して南シナ海を渡り、メコン川を遡ってアンコール・ワットに到達したといいます。
現在でも、森本右近太夫一房が残した墨書の跡は、以前よりも判読が難しくなったとはいえ、このように残されています。