さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
http://iide.hp.infoseek.co.jp/

さすらいの風景 アンコール・ワット その3

2010年04月16日 | 海外旅行
アンコール・ワットの第一回廊の壁には、長大なリリーフで飾られており、見どころの一つになっています。



これは、インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」を描いたものです。



「マハーバーラタ」は、「ラーマーヤナ」と並ぶ、インドを代表する叙事詩です。



「マハーバーラタ」は、同族の王家同士が、五王子側と百王子側に分かれて戦う物語です。粗筋を読むだけでも、多くの名前が出てきて頭が混乱してしまいます。王家の相続争いの物語のため、東南アジアでは、より神話の色合いの強い、「ラーマーヤナ」の方が人気が高いようです。



ウマや兵器が詳細に描かれています。



壁一面に描かれたレリーフは迫力があります。





レリーフから目を離して脇の柱を見ると、デバターが微笑んでいました。



ヴィシュヌ神の像が置かれていました。



石像が置かれていましたが、ヒンドゥー教のものか仏教のものか判りません。



十字回廊。沐浴のための池がありました。



仏像前の柱に、墨書が見られます。

日本の戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、日本人の海外進出も盛んに行われ、東南アジアには日本人町が作られました。カンボジアのプノンペンの日本人町の人々は、アンコール・ワットをシャカが説法を行ったという祇園精舎と誤認し、この誤った情報が日本にも伝えられ、多くの日本人が参拝に出かけたといいます。

鎖国令が出される三年前の寛永九年(1603年)、森本右近太夫一房は、加藤清正の部下であった父の菩提を弔うため、御朱印船を利用して南シナ海を渡り、メコン川を遡ってアンコール・ワットに到達したといいます。

現在でも、森本右近太夫一房が残した墨書の跡は、以前よりも判読が難しくなったとはいえ、このように残されています。
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岨巒堂山 (2010.4.13.) | トップ | さすらいの風景 アンコール... »
最新の画像もっと見る

海外旅行」カテゴリの最新記事