さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ジェットウィング・ライトハウス その1

2016年04月17日 | 海外旅行
ゴール要塞の見学の後は、早めにこの日の宿のジェットウィング・ライトハウスに入りました。今回の旅行での最後の晩になります。

バスが横付けされたジェットウィング・ライトハウスの入口。ちょっと地味な感じがします。



二階にあるプロントへの螺旋階段には、シンハラ・オランダ軍とポルトガル軍の戦いをモチーフとした彫刻が飾られています。

撮影のために足が止まってしまいますが、後で時間をかけて見学することにして先に進みましょう。



二階に出ると、インド洋のきらめく海原が目に飛び込んできました。劇的な演出です。



ジェットウィング・ライトハウスを建てたジェフリー・バワは、現在のトロピカル・リゾート・ホテルのスタイルを造った建築家として知られています。

丁度この旅行の予習をしている時に、ジェフリー・バワの建築についての本が新潮社のとんぼの本シリーズで出版され、参考になりました。

ジェフリー・バワは、スリランカのコロンビアのヨーロッパ系の裕福な家庭に生まれ、19歳だった1938年にイギリスのケンブリッジ大学へと留学し英文学を専攻しました。大学卒業後に弁護士となり、1946年にスリランカへと帰国しました。帰国後すぐに1年半にも及ぶ世界旅行を行い、その後自分の理想郷をつくろうと、ベントータに土地を買いました。しかし建築の知識に欠けていたことから、イギリスへと再び留学し、38歳となった1957年より建築家としての活動を始めました。

ジェフリー・バワは同性愛者でしたが、その兄ベイビスも同性愛者で、その恋人にオーストリア人芸術家のドナルド・フレンドがいました。フレンドは、スリランカ滞在後にバリ島に移り、そこで高級別荘地造成の計画をたてることになりました。それにジェフリー・バワの建築様式を紹介し、アジアンリゾートの建築にジェフリー・バワのスタイルが取り込まれることになりました。



海に面したテラスに置かれたテーブル。

ジェフリー・バワの建築は、海や空、岩といった自然との一体化といえます。



風景としてまとまっているため、この正面のテーブルには座れず、見るだけになってしまいます。



海を眺めながらチェックインの手続きが終わるのを待ちました。



チェックインに時間がかかりそうなため、もう一度螺旋階段に戻りました。このシンハラ・オランダ軍とポルトガル軍の戦いをモチーフにした彫刻は、ラキ・セナナヤケの作品です。









ドームの上部まで彫刻に飾られた螺旋階段が続いています。



フロント脇から客室に向かう回廊が続いています。自然の地形を残しているため、庭園部は起伏し、回廊部の中に岩が飛び出ていたりします。



奥の方の建物は、収容人員を増やすために行われた客室の増築部分です。幸い、この新築部でもジェフリー・バワの建築様式が施されています。



客室に向かう途中、プールサイドを通りました。



さらに海岸部にも、もう一つのプールが設けられていました。



客室への廊下。少しそっけない感じです。



ターコイス・ブルーの扉を開けて部屋に入ると、ウェルカム・フルーツがお出迎え。



入口を振り返ったところ。客室の扉は、このようなターコイス・ブルーに統一されています。



ベッドルーム。美しく装飾されています。



ただ、日ごろ安ホテルに慣れていると、ベッドの上に並べられた幾つものまくらやクッションが寝るときに邪魔でね。



白壁に飾られた絵も、部屋の華やかさを増しています。





外光が差し込む窓際にテーブルが置かれていました。



自然の光も、この部屋の雰囲気造りにひと役かっています。



テラスのドア。開けるとどんな風景が広がるかの期待感がわいてきます。



テラスには椅子とテーブルが並べられていました。プールと脇の芝生、インド洋を見下ろすことができました。



入口脇のクローゼット。



バスタブとシャワールーム。



トイレ。



洗面台。ベッドルームと異なり、暗めの装飾になっていました。

まずは部屋の観察を終えて、この後は、館内の見学、プールでのスイミング、夕日鑑賞と忙しい時間を過ごすことになりました。
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